岩手(盛岡・平泉)旅行記 2008 冬
2008.2.2〜2008.2.3

はじめに
「海外旅行には最低100回、国内旅行は47都道府県全てに宿泊する!」というのが当面の私の生きていくうえでの目標、というか唯一にして最大の息抜き。そんなわけで、今回の旅では、普通に過ごしていればおそらく一生訪れる機会が無いと思われる岩手県を訪問地に選んでみました。この時期に旅をした理由は3つ。前回のイタリア旅行だけで、ちょうど国内線無料航空券を手にできるだけのJALのマイルが貯まったのが第一の理由。で、次の理由として「雪が似合う町を旅してみたい」というのがありました。何気に、これまでの国内、海外旅行とも、雪の中の旅行の経験が皆無だったんです。雪国北海道で生まれ育った私です。雪が珍しいわけではありません(笑)。他の町や国の雪がある風景を眺めてみたかったんです。本当は白川郷の合掌造り住居を訪れてみたかったけど、万が一大雪で帰りの飛行機が欠航になった場合、鉄道で北海道まで戻るのが至難の業。と、いうわけで東北を旅することにしたのでした。この日程で旅をした3つ目の理由は、「用意すべき重たい内容の書類を複数抱えており、じっくりと考え事をしたかったから」ということがあるんです。旅先のホテルや、移動中の交通手段って考え事に最適なんです。読書は言うに及ばず、勉強や研究もはかどります。そんないくつかの理由が重なり、今回の旅を計画してみました。

プランニング
航空券:JALのマイレージ特典。ネット経由での申し込みなので、キャンペーンで20%オフになり、12000マイルで往復航空券をゲット!

ホテル:楽天のポイントが2500ほど貯まっていたので、迷わずに楽天トラベルで申し込みました。ホテルでのんびりしたかったので、駅からは多少歩くけど、セミダブルの部屋で、かつ2時チェックアウトだった「ホテルニューカリーナ」を利用しました。

ホテルの窓から見た盛岡の街並み。
そして、はるかに臨む岩手山。

レンタカー:限られた日程で効率よく旅するにはレンタカーが絶対条件。今回は業界2位のオリックスレンタカーを利用しました。今回利用した6時間という短い時間設定もあり他社よりもお得。ただ、高速道路の料金を抑えるべく、事前に申し込んだのは軽自動車だったのだけど、満車だったようで一クラス上のホンダのフィットが用意されていました。軽が空いていない場合、ETCさえついていればどんな車種でもいいです、と、お願いしたとおりの結果でした。まあ、往路は国道利用なので、軽自動車よりも燃費がいいであろうフィットの方が都合がいいのかもしれません←だけど、満タン法での今回の燃費はたったの?14キロ/リッター。受け取った時点で完全に満タンだったのか怪しいのであくまでも参考値ではあるけど、正直がっかりです。燃費計とにらめっこしつつ、アクセルワークにも十分気をつけ、下道を延々と時速50キロ程で走った結果ですし、コペンでもリッター18〜20近い数値になるような条件でしたからね。

新型フィット4WD仕様の最廉価版。
帰路は東北自動車道を利用するため
ETC装着車が絶対条件でした。

盛岡

盛岡駅にて。第三セクターの「IGRいわて銀河鉄道」は、当然銀河鉄道999とは関係なく、
岩手出身の宮沢賢治の作品名が由来です。なお、賢治は今の花巻市の生まれです。

平泉観光の後、盛岡についたのが17:30。その後、夕食時に1時間ばかり、そして翌日もチェックイン後の2時間ほどを散策したのみの盛岡の街。感想らしい感想は何もありません。あえてあげると、気温が1度ほどだったのだけど、北海道での1度より体感気温がずっと低いように思えました。空っ風のせいなのでしょうか?

盛岡3大麺の1つ、じゃじゃ麺の発祥のお店「白龍」に行ってみました。麺を食べ終えた後の汚れたお皿に生卵入れ、それに茹で汁を入れて
もらえば「チータンタン」の出来上がり。写真のじゃじゃ麺「中盛」が450円。チータンタンが50円(卵込み)。合計500円。安い〜!

実は、麺料理が大好きな私。と、なれば夕食は麺料理を外せません。盛岡三大麺,、すなわち、冷麺、わんこそば、じゃじゃ麺の中で一番食べたいものは・・・と、言われるとやはり他にはない「じゃじゃ麺」が第一候補に。冷麺は食感が苦手だし、小食なのでわんこそばは論外ですしね。肝心の味も、肉味噌の程よい甘さ、きゅうりやしょうがのさっぱり感で、とっても食べやすい、癖になる味でした。チータンタンの素朴な味も好印象です!

平泉

毛越寺にある芭蕉直筆の歌碑と、仏の世界、すなわち浄土を地上に表現した浄土庭園。

平泉までは花巻空港から国道4号を道なりに走って1時間半ほどでした(14:00着)。まず向かったのが天台宗のお寺である毛越寺(もうつうじ)。この地は、文治5年(1189)4月30日、泰衡に急襲された義経が妻子とともに自害した場所。その後、元禄2年(1689)5月13日に、弟子の曽良と奥の細道の旅に出て44日目の松尾芭蕉は、悲運の義経をしのび、あの有名な句を詠んでいます。

夏草や 兵どもが 夢の跡

芭蕉直筆の句碑が、この毛越寺境内にあるんです(↑の写真、左右に2つある石碑のうち左の小さな石碑が芭蕉直筆のもの)。 ここの本堂は1989年に再建されたばかり。奥州藤原氏第2代の藤原基衡が建立した壮大な伽藍は、1226年の火災、1573年の兵火の影響で、今では土壇と礎石を残すだけ。浄土庭園は平安末の遺構として、毛越寺のシンボルとなっているのですが、雪の季節で人気もまばらなこの庭園を散策していると、「夢の跡」と詠った芭蕉の嘆きがひしひしと伝わる思いでした。

金色堂は写真撮影禁止。どのサイトを見ても
左上の構図の写真ばかりなのはそのせい。
右上は中尊寺の本堂。左は芭蕉の像。

毛越寺の後は来た道を戻りつつ中尊寺に向かいます。中尊寺は小高い場所にあるのですが町営の駐車場はその坂の下にあります。今回は冬で寒いこともあり、本堂のすぐ下にある「坂の上駐車場」まで車で上がりましたが、本来ならかなり急で、しかも長い月見坂を登るべきなのでしょうが、とにかく寒かったので、今回は楽をしてしまいました(^_^;)。この月見坂は、初代藤原清衡が目指したという仏の国へ向かう気持ちにさせる演出になっているとのこと。

覆堂ですっぽり覆われた金色堂には初代
清衡、基衡、秀衡そして四代目泰衡までの四遺体が収められています。平等院鳳凰堂とともに平安時代浄土教建築の代表例である金色堂ですが、思った以上に小さいな、これが第一印象。ですが、全面金箔張りのその姿はやはり圧巻。語彙の貧弱な私には表現しきれない美しさなので、またしても芭蕉は次の句を紹介。

五月雨の 降りのこしてや 金堂

「五月雨の 降りのこしてや 金堂(ひかりどう)」(長年の風雨でも金色堂を朽ち果てさすことはできなかった)。全面金箔張りの金色堂、本来は屋外に建てられたものでした。もちろん、東北の厳しい環境では痛みも早く、建立の数十年後には風雨から守るため、霧よけの施設が造られ、やがて金色堂を外側からすっぽり包む形で覆堂(おおいどう)が建設されました。

中尊寺といえば、雪の季節・・・私の中ではそんなイメージでしたが、上の写真のように、天気も良かったこともあり実際以上に輝いて見える金色堂でした。


世界遺産について思う
中尊寺は2001年に世界遺産登録の前提となる暫定リストに記載されており、今年2008年には「平泉-浄土思想を基調とする文化的景観」の一部としてユネスコ世界遺産委員会の審査を受けることになっています。世界遺産巡りが最近の旅のテーマである私が言いうと矛盾してしまうのですが、平泉は、人気がまばらな今回のような姿だからこそ「味がある」場所だと思うんです。既に800を超えた世界遺産。文化財の保護保全という当初の目標がぼけ、観光地としてのお墨付きをもらうかのごとく、世界中で登録に向けた住民や行政の手による運動が盛んになっています。自分の街の財産を自分たちで守ろう、その運動は大いに賞賛に値しますが、たとえば、白川郷への観光客が激増したこと、一部の非常識な観光客が日常生活を覗き込むといった問題、しまいには、世界遺産認定を目指している鎌倉で2007年11月に、神奈川県職員の公文書偽造という事件までおきてしまいました。

世界遺産の定義。それは1972年のユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)に基づいて、世界遺産リストに登録された遺跡や景観そして自然など、
人類が共有すべき普遍的な価値をもつもの。なので、世界遺産に登録されたことで観光地化し、保全の妨げになってしまうのでは本末転倒です。世界遺産への登録が抹消されたのは、今のところオマーンのアラビアオリックスの保護区のみですが、たとえば、遺産登録数の上限を設け、後はその後の保全状態などを鑑み、定期的な入れ替え制にするなど、登録後の保全状態や、観光地化した後のデメリットなどを、そろそろ真剣に議論する必要があるのではないでしょうか?

2007年に訪れた
世界3大仏教遺跡国といわれるミャンマーのバガン。実は1997年の世界遺産委員会で世界遺産登録が審議されたですが、残念ながら登録は延期されてしまいました。世界遺産委員会は、この遺跡の普遍的価値を認め、ミャンマー政府にバガンの保護体制を改善して早急に再推薦するように要求したまま現在に至っているのですが、本来なら、こういう場所こそ早急に世界遺産に認定し、そして全世界の支援の下で保全体制を確立していくべきなのではないでしょうか?・・・以上、政治的な背景もあるらしい、世界遺産の認定や遺産そのものの価値に意義について疑問を隠せないHIROなのでした。


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