はじめての韓国〜2001年12月  by HIRO

きっかけ

 韓国。私にとって近いようで遠い国でした。大学学部生の頃、韓国からの留学生と、ティ−チングアシスタントとして、共に日本語を学んだのが最初に韓国を強く意識した体験でした。その後、修士1年のとき、数日間という短期間ですが、韓国の大学の先生のお宅にホ−ムスティをしながら研究会に出席するという企画に申し込んだのですが、何かの手違いで参加することが出来なくなってしまいました。
 そのような経緯もあり、「マイレ−ジがたまったら必ず韓国に行こう!」と思っていました。これが今回の旅行のそもそもの始まりです。
 周りから、「目的は何なの?」と聞かれても、あいまいな答えしか返せなかった私ですが、これまでのこのような体験が背景があったのでした。
 また、韓国は小学校からの英語教育を導入したということもあり、街行く若者の話す言葉や、書店で英語関係の書籍売場をウオッチングするというなんとも暗い趣味のためという別の動機もありました。まあ、後者に関しては趣味と実益を兼ねているということもあり、そんな私の姿を見つけても「またやってるよ!」とは言わずに、放っておいてください(笑)。

旅のプランニング     

 9月時点で全日空のマイルが2万マイル以上あり、韓国以外の国にも行けるため、何度となく浮気しそうになりましたが、教科書問題、サッカ−のワ−ルドカップ共同開催、そしてアジアのハブ空港を目指す仁川(インチョン)国際空港が開港されたこともあり、やはり韓国に行こうという結論になりました。
 
 今回は初韓国ということもあり、とにかく行ってみて、街を歩いてみて、そしてそこでの体験をベ−スにして次回はもっと具体的な計画を練った上で訪問しようと思いました。そんなこともあり、事前に考えたのは、どの地区にある何というホテルにするかという事と、韓国に何日滞在するかということでした。前者に関しては、市内中心部に近く、かつ地下鉄駅にも近いというのを大前提にし、結局は明洞(ミョンドン)駅の目の前にある世宗ホテルを予約しました。世宗とはあのハングル文字の発明家として知られる朝鮮王朝第4代の国王です。私も言語学に関心がある者として、彼の業績を讃える気持ちでこのホテルにしました。
 
 日数に関しては仕事の都合もあり、最大で2泊。ですがこれが最後まで悩んだポイントでした。移動の面倒な羽田−成田便ではなく、関空経由で行くのは迷わず決定したのですが、土曜日の夕方韓国到着で、翌日の日曜の夜に大阪に戻るか、月曜の昼の便で大阪に戻るかが悩んだポイントです。夜に大阪に戻るとなると大阪で一泊する必要があります。ですが、翌朝のんびりと北海道に戻ることが出来、身体が楽。月曜まで韓国にいると現地での滞在時間は増えるが、正午の便に乗るとすると、かなり早くにソウルから仁川に向かう必要があり、しかもさらに乗り換えて北海道に戻る必要があります。火曜からは平常通り仕事に行かねばならず、今回は時間的にゆったりした大阪後泊プランにしました。

 結果論ですが、記録的な大雪に見舞われた月曜の北海道。そのため後者のパタ−ンで夕方に北海道に戻るプランでしたら、札幌新千歳空港が閉鎖されていたため、大阪から帰ってくることが出来ませんでした(苦笑)。
 
     このような予定で私の「はじめてだらけの韓国旅行」が始まりました

一日目

 札幌の自宅から、新千歳空港、関空まではもうおきまりで特に変わったことがなし。で、いきなりソウル便への搭乗ゲ−ト。これから乗るのは初めてのエア−ジャパン。全日空から移管されたグアム、ソウル便を運行する関連会社ですが、飛行機は全日空しか乗ったことがないというどうでもいい記録(笑)がこれでお終いになりました。まあ、これからは全日空グル−プしか乗らない記録がどこまで伸びるか期待して下さい(笑)。
 で、私が乗ったのは忌まわしい思い出一杯の767−300(シンガポ−ル旅行記参照)。しかも、搭乗後に「揺れることが予想されております」というCAのアナウンス・・・前回と同じ(苦笑)。  
 まあ、実際にはそんなに揺れることもなく、左手に綺麗な夕陽を眺めながらのフライトとなりました。ただ、せめてサンドイッチ位は出るかな〜と期待していた機内食は、なんにも出ないで終わりました。数年前までは千歳−大阪線でもそれくらいはでたんですけどね。 
 
 仁川空港はとにかく広いというのが第一印象でした。着陸後、ゲ−トまでたどり着くのに10分もかかるくらいです。また、到着ロビ−までも広いな〜という思いで一杯でした。やはりこれからはこの位の規模がなければハブ空港としての役割を果たせないのでしょうね。また余談ですが、空港の電化製品の殆どが韓国製。テレビからエスカレ−タ−のような大物製品まで空港設備の多くはLG社製品が多かったです(←この印象はソウル滞在中ずっと変化しませんでした)。未だに、韓国製品を品質は二の次の安物と見なしがちな日本人には驚きかもしれませんね。
 
 入国審査は特に何も質問もされなかったのですが、困ってしまったのが税関審査です。荷物のX線検査は事なきを得たのですが、同時に行う人間の金属探知検査が何度やってもチャイムが鳴ってしまうんです。しかも、係員は横にいて「キンコ−ン」という音を聞いているだけ(苦笑)。結局どうしていいか分からず、ふと横を見るとX線検査が終わった自分の荷物が出てきたのでそれを持ってそのままロビ−に出てしまいました(笑)
 
 さあ、これからが第一の関門。ソウルまでのバスです。事前にネットでバスの番号と乗り場番号を確認しており、20分ほど待った後に650−1番のバスに乗り込みました。乗り込んで驚いたのが、どの席も異様なまでにリクライニングしているということ。全席ヤンキ−乗り状態です。それと当たり前ではありますが、左ハンドルで右側通行。しかも道行く車は現代、大宇と言った韓国製が殆どです。車好きの私はそんな新鮮な感覚でソウルまで70分ほどのバスの旅を楽しみました。が、いざソウル。自分がどこで降りるのかよく判りません(苦笑)。車内放送は韓国語と英語併用なのですが、英語の放送でも地名が韓国語読みのため理解しずらいんです。加えて、次の停留所と同時にさらに次の停留場と、それぞれの最寄りのホテル名などを放送するため、もう何がなんだかさっぱり理解できません。私が出来るのは地図を片手に、道路沿いの建物と比べ現在地を把握することだけでした・・・と、言いたいところですが、ビルやお店の名前も殆どがハングル表記です。さっぱり理解できませぇ〜ん(泣)。あげくの果てには地図を見つづけたためバスに酔ってしまいした(苦笑)
 もちろん最終的には目指す世宗ホテルで無事に降りることが出来、チェックインも日本語で無事に済ませることが出来ました。荷物を置くと、
                   「さあ、ソウルの街へ!

 時間的にはすでに午後8時。夕食を食べつつ、夜の南大門やソウル駅を見てこようと思い歩きだしました。確かに気温は低いものの、雪が全く無く不思議な感覚です。まずはホテル近くにあるビビンバのお店に行きました。ガイドブックには「韓国一美味しいビビンバ」と書かれていたのでかなり期待しました。結果は、まあそんなものかな?って感じです。確かに美味しいのですが、店にいた客の8割が日本人。もしかすると観光客相手の商売なのかも知れません。ただ、韓国人カップルがビビンバを食べていたのですが、付け合わせのキムチの食べ方が豪快です。しかもキムチをお替わりしています。やはり本場は違いますね〜。
 
 その後、明洞を通り抜け南大門までの散歩です。事前に、同性同士で手をつないで歩く姿をよく目にするとの情報を得ていたのですが、本当にその通りです。親しさの現れなのかな?なんて思いましたが、詳しくはいずれ文献にあたって調べてみようと思います。
 若者の多い明洞エリアを抜け、南大門までは意外と近いという印象を受けました。ところが、もっと大きなものと勝手に思いこんでいたため、「えっ?これですか?」というのは第一印象した。もちろんライトアップされた姿は昼間とは違いとても綺麗だったのも報告しておきます。
 
 南大門で左に曲がり、今度はソウル駅に向かってみました。南大門市場の横を通ったため、両手に買い物袋をもった多くの日本人観光客の姿を目にしました。ソウル駅に行く過程で驚いたことが二つ。一つが駅前のLGビルの大きさです。やはり韓国を代表する企業ということがあります。そして、いや、これが今回の旅で一番驚いたことなのですが、駅近辺の地下にいたホ−ムレスの人達の人数です。これが現実とはいえ私は思わず目を背けてしまいました。時間が夜の10時近くということもあったのでしょうが、あの寒い韓国で毛布一枚で朝まで過ごすのはとても厳しいことです。
 その光景を見てしまった私は目的であった「鉄道のソウル駅」にたどり着くことなく、そのまま「地下鉄ソウル駅」に向かいました。
 あの寒さの中で、あのような光景を目の当たりにし、現在の自分の生活を幸せに感じつつ、同時に、その現実に何もできないまま逃避しようとする自分自身の無力さを思い知らされました。
 
 そんな複雑な心境のまま地下鉄に向かい、事前にガイドブックで勉強したとおりの方法で切符を買い無事に乗り込みました。その方法とはお金を入れて希望の額の切符を買う日本とは違って、まず、希望の額のボタンを押し、それからお金を入れるというものです。その時には、あと幾ら必要かが随時表示されるため慣れると便利なロジックだと思います。まあ、これは完全に発想の差ですね。
 地下鉄そのものは全ての車両に電光掲示板の案内があったり(何が書いてあるかは理解できませんでしたが)、日本のJRの様に座席の上に荷物置きがあったのに、「へぇ〜」と思いましたが、日本とは違ってかなりの長距離を走り、かつ乗り換えの必要もある韓国では当然かもしれません。
 
 これで無事一日目を終わった・・・とならないのが私らしいところ(笑)

 韓国のホテルでは歯ブラシやシャンプーなどが用意されていないという事前の情報を得ていたので、用意していたのですが、
カバンに入れ忘れです(笑)
 しかも、翌日のミネラルウオーター代を節約するため、ホテルの電気ポットで
湯冷ましまで作るほどの節約家の私がです(苦笑)。もちろん、ミニバーに備え付けだった、歯ブラシ、歯磨き粉、そして剃刀を購入←髭剃りも忘れてしまった(笑)。まあ、合計でも1000円ほどとは言え、なんとも間抜けな忘れ物でした(^_^;)


二日目

 8時頃起床しました。正確にいうと7時にセットしたモ−ニングコ−ルが鳴らなかったんですよ。まあ、こんなこともあり早朝ソウル出発プランは辞めて正解だったとつくづく思います。
 
 ここでチェックアウトしてホテルを後にする・・・とスム−ズにいかないのが私の旅行です。なんといきなり眼鏡のレンズが外れてしまったんです(泣)。裸眼で0.09しかない私には必需品の眼鏡が・・・(涙)まあ、車の運転をしないから何とかなるかな・・・と思ったのですが、それは大きな間違いでした(もう少し読むと判ります)。で、その後、気を取り直し荷物をもって部屋を出たのですが、動揺していたためか今度はオ−トロックのキ−をとじ込んでしまいました。もちろん不都合は無いのですがチェックアウト時にフロントで注意されてしまいました(苦笑)

 昨夜のうちに南大門付近を散策したので、今日は朝から東大門です。地下鉄で向かったのですがいざ地上に出ると、「え、これはデジャヴ−だろうか?」という驚きでした。と、いうのも東大門が南大門とそっくりだったんです(笑)。もちろん周囲の風景は異なるのですが、日曜の朝の光を浴びた大門は昨日の南大門とはちがった様相でした。
 
 その後30分ほど付近を散策。ですが、この東大門市場で買い物をしてしまうと、荷物を持ったままの行動になるので何も買わずに一番行きたかった市庁付近に移動です。あ、そうそう。ソウルは地下道が発達しているのですが、地下歩道の至る所に露天が並んでいます。画廊やチマチョゴリの専門店なんかもあり、地下鉄の駅に下りたつもりがどこかの専門店の中に入った気さえしました(^_^;)      
 地下鉄を降り、市庁付近にある教保文庫という書店に向かいます。ここは韓国最大の書店で、日本で一番大きな池袋のジュンク堂よりも大きな書店との情報を得ていたので、これが今回の旅行の最大の楽しみでした。ですが眼鏡がない状態です。地図を見ながら大体の検討をつけながら歩いていると、なんと目の前に自動小銃を持った二人の兵士が!!
 
 そうなんです。教保文庫がある教保ビルの隣のビルは韓国の逓信部なんです。場所的には世宗大路沿いに光化門に向かって歩くと必ず通る場所です。しかもその逓信部のさらに隣のビルは星条旗が風にたなびくアメリカ大使館なんですよ。
 最初は二人だけに思えた兵士は確認できただけでも8人はいたようです。そんな場所で大きなリュックを背負い、地図を片手に歩いていた私。しかも全然見えないので、ウロウロ、キョロキョロしていました。どう考えても怪しいです(苦笑)。さすがにこのままでは誤解されると思い、とっさに引き返しました(笑)。
 
 まあ、その後すぐに教保文庫を見つけたのですが、確かに大きな書店ですが私が欲しい教科書や参考書などの文献はありませんでした。本当のことをいうと、「あ、あった!」と一瞬は思ったんです。各売り場に書かれている英語の説明に、Low Secondary (中学校用)というのがあったんです・・・と言いたいところですが、実際はLaw Sociology(法律と社会学) の売り場でした。えっ?眼鏡のせいではなく、お前の英語力が足りないせいだって?まあ、そうかもしれませんね(^_^;)
 結局、ここではパズルなんかを買ってしまいました。幼児向けの木製のパズルなのですが、非常に温かい感じの絵が描かれていたので思わず自分のお土産用に購入しました。まあ、最近友人がパズルにはまっていたのでその影響を受けたのかもしれません(笑)。
 
 時間は既に正午です。3時にはソウルから仁川空港に向かわなけれなりません。最大の書店でこのような結果だったので、予定していた書店巡りはやめ、取り敢えずロッテデパ−トなどがある中心部へ移動。その間、街の至る所にサッカ−のワ−ルドカップを盛り上げる看板や垂れ幕、オブジェなどがあり国家を揚げたその誘致運動の「熱っぽさ」を感じ取りました。その背景にはソウル五輪からまだ13年ということもあり、国民のスポ−ツに対する関心が高いのかな?なんて思いました(←これは私の勝手な考えです。あしからず)  
 
 デパ−トやブランドショップに全然縁のない私。ロッテデパ−トでも真先に地下食品街に向かいました。まあ、お土産に何か買わないといけないなって思いがあったんです。結局、無難なキムチと韓国海苔を買ったものの、それが眼鏡以上の悲劇を生む結果になりました(苦笑)。有名店でキムチを買うとそれこそ何重にもぐるぐると包装するので匂いなどの心配は無用との情報でした。実際、私が買ったのは真空パックになったものだったのですが、それをさらに専用パックマシ−ンでぐるぐるとビニ−ルで包装していただけました←それでも悲劇が・・・(涙)

 ここで時間が1時です。さあ、後2時間。選択肢は二つでした。ソウルオリンピックの会場に行ってみる、あるいは、近くにある南大門市場にもう一度行ってみる。数分迷った後に、市場にある屋台であれこれ韓国の味を食べて時間を過ごすことにしました。朝食も昼食もまだ食べてないしね。

 市場に到着後、「さすがだな〜」と感心したのが、靴屋の店員は私の靴をみる。カバン屋はリュックを。無意識なのでしょうけど、その真剣な眼差しに驚いてしましました。ちなみに、その時の私の恰好は、カバンも靴も、ダウンジャケットも一応それなりのブランド品ではあるのですが、どれも型遅れのアウトレット品(笑)。ちょいと恥ずかしくなり、日本の市価よりも確実に安いので食事そっち抜けで買い物をしようと思った瞬間、「見ていくだけでも〜」という声が聞こえました。その声の主はメガネ屋の店員です。眼鏡を新調するなんて考えもしていなかったのですが、今日これまでの体験を思い出しました(笑) 
 韓国は眼鏡が安いのでも有名ですが、近視、乱視にプラスして色付きレンズにしてもらったのですが、フレ−ム込みでわずか5万ウォンです。日本円で5千円ですね。レンズをこれから取り寄せるにも係わらず、必ず一時間で完成させてもらえるという条件で購入しちゃいました。バネ兆番付きのフレ−ムなので日本で買うと2万円はかかると思います。

 さあ、出来上がるまで市場の散策です・・・と言いたいところですが、すでにリュックだけではなく両肩に肩掛けカバンをもっていたためもう歩く気もしません。それで近くの屋台でキンパブと呼ばれる韓国式のり巻きやなぜか中に玉子が丸ごと入っている大判焼き(今川焼き)を食べすぐメガネ屋に戻りました。そこで30分ほど店員さんに日本語を教えていたのですが、その時、韓国の雑誌を見せられたのですが、そこには韓国人男性との出会いを求める日本人女性のメ−ルアドレスやプロフィ−ルがたくさん掲載されていました。まあ、昔で言うところの文通友達募集コ−ナ−ですね。
 
 眼鏡は約束通りの3時頃には無事完成。親切な店員さんは最寄りの空港バスの乗り場を丁寧に教えてくれました。次回また韓国に行ったら必ずそこで眼鏡を買いますね!
 
 さあ、これから一気に南大門市場を抜け出します。歩きながら周囲を見渡すと超有名ブランドのマフラ−、時計、ソックスなどが安いこと安いこと(笑)←もちろんコピ−製品です。もちろん私はそんな物は買いません。違法だしね。
 
 バス停近くまで歩き、私はあることを思い出しました。バスは昨夜泊まったホテルからも乗れるので、地下鉄でそこまで戻ることにしました。何を思い出したかというと、昨夜、ホテルの目の前にある地下鉄の出入口で見かけたホ−ムレスの人がもう居ないことを確認したかったんです。昨夜、地上近くの寒い場所で震えながら毛布にくるまっていた男性。姿がないことはもちろん元気だってことですからそれを確認したかったんです。
 もちろん彼の姿はそこにはありませんでした。ほっとした私は安心して空港バスに乗り込むことが出来ました。

 ここからは早送り。短時間でも色々な体験をしたソウルの街を見ながら空港に到着です。空港でのチェックインや出国審査はかなり混んでいたという位で変わったことはありませんでした。
 で、搭乗券をよくみると、シ−ルが貼ってあります。「内(館内の間違い)放送がないのでチェックイ(チェックインの間違い)終了後は早めに搭乗ゲ−トまで」という内容が書かれていました。だれか誤字を教えてあげるといいのにね。
 実際、空港内はとても静かです。日本の空港では「キンコンカンコ〜ン」というチャイムと共に各社の放送が絶え間なく流れていますが、仁川空港はまるでシンガポールチャンギ空港のQuiet Areaにいるみたいです。私はとても気に入りました♪
 まあ、搭乗までの時間は偶然見つけたPCでネットにアクセスし、メールを書いたり、食事をとったりして時間を過ごしました。
 
 搭乗直前に、ある日本人の中年男性が信じられない行動をとっています。それは空港内の写真を次ぎから次ぎに撮っているんです。韓国国内は写真撮影が禁止されている場所が多く、その大表が空港なんです。あげくのはてには、彼は自分の記念写真を撮るために、近くにいた人に撮影を依頼しています。万が一見つかったらその人にも迷惑になるのだから・・・と思っちゃいました。
 
 帰りも同じく767−300型機。ソウルの夜景を眺めながらのフライトでした。


帰国後 

 帰国後の出来事を幾つか紹介します。
関空の税関ではいつも異様なまでに入念なチェックを受ける私ですが、今回は財布の小銭入れの中やカ−ドホルダ−に入っているカ−ドの一枚一枚までチェックされました。もちろん例のごとくボディ−チェックもしっかりされてしまいました。やはりいつも一人で、それもアジアばかり行っているのが怪しまれるのかな〜。
 で、関空近くのホテルに到着。部屋のユニットバスではなく浴場で
旅の疲れを癒しました。無事日本に帰ってきた安心感や、短い滞在をそれなりに充実したものにできた達成感と共に。

 
ここからの出来事が私らしいところ。着替えを取り出そうとカバンを開けると、なんと中でキムチが爆発しています!!!!!!
 真空パックだったものがなぜか膨脹してパンパンになっていたんですよ。気圧の関係なのかもしれないけどショックと驚きで頭がパニックです。5袋買ったうち
2つが爆発済(号泣)、2つが爆発スタンバイOK(苦笑)。そしてなぜか一つだけ無事でした。もちろん前述のように厳重にパックされていたのですが、それでもキムチの汁がカバンの中に漏れだしていました(涙)。韓国に行くことがあっても二度とキムチは買いません

 翌日の千歳までのフライトはとても気持ちがいいものでした。生まれて初めて見る
富士山。しかも空の上からです。さすが日本一の山ですね。また河口湖と思われる湖さえもはっきり見えました。その後も三浦半島が遠方に見え、その時にある約束のため謎の行動をとった私です(笑)。また、函館の上空を飛んだりととても盛り沢山なフライトでした。

 北海道到着後は
観測史上初と言われる大雪との戦いが待っていました←これを書いている木曜日になっても現在進行形ですが(苦笑)


まとめ
 
 では、最後に
言語学見地(←大げさ)から私の印象を報告し、旅行記のまとめとします。    

・まず、
日本語がよく通じるということ。実際、私は韓国語、ハングル共にさっぱりですが今まで述べたように色々な体験をする事が出来ました。買い物中や地下鉄の駅の案内などで日本語が通じない時でも、中学校一年生程の英語で言い換えることによって補うことが出来ました。

・その彼らの話す英語なのですが、全般的に我々日本人よりも発音が欧米の
標準英語に近いという印象をうけました。もっとも、話した相手のほとんどが一般市民ではなく、外国人相手の仕事をしている人達ということは留意する必要がありますが。

・道行く若者が話す言葉はもちろん韓国語。ですが
耳をダンボにしていると、非常に多くの英単語が外来語として入っているのがわかります。私の印象では現代の日本語と同じくらい多種多様な外来語が溢れているように思います。

・とはいえ、街の看板などで
アルファベットを見かかることは非常に少ないですね。外国語だらけの日本とは違い、ハングル文字に対する愛着や誇りがあるのではないでしょうか

教保文庫でのウオッチングの結果。外国語学習書の売り場は殆どがTOEFLやTOEIC関係の本でした。ここの感想は一番メインの予定だったのにも係わらずこれでお終いです。恥ずかしながら韓国など東アジアの教育制度はずぶの素人の私←東南アジア専門なんです(苦笑)。シンガポ−ルでは英語関係の売り場は常に多くの学生、社会人、そして若い母親で一杯ですが、ソウルでは大学生くらいの若者の姿が僅かに見受けられる程度でした。まあ、我が国でも受験参考書売り場を除くと同じような結果になると思われます。第二言語として英語を学ぶ(ESLと言います)シンガポ−ルと、外国語として学ぶ(同様にEFL)日本や韓国の差ですね。

       おしまい(^.^)