3.シンガポール英語の特色

<目次>                                            
3-1.Singlish(シングリッシュ)の定義
3-2.発音の特徴
3-3.統語上(文法)の特徴
3-4.語彙の特徴
3-5.Diglossia(ダイグロシア)とは何か

この章の参考文献
        


3-1.Singlish(シングリッシュ)の定義

 シンガポール-Singapore-で話されている英語-English-なのでSinglish。
語呂が非常に良く、一般的にも広く使われている単語である。同様の語にManglish(マレーシア英語)、Japinglish、Japlish(日本英語)等を見かけることもあるがSinglishに比べると一般の認知度は低い。
 ではここで、これから考察していくSinglishという語の定義をしなければならないのだが、これが少々難解な作業である。その理由を明確にするため、先に
American EnglishBlitish Englishという語について考えてみよう。これらの語を用いるとき、我々は「アメリカで話されている英語」、「英国で話されている英語」を指すのだが、具体的には、両国におけるnotという語の発音や、ceter(centre)の綴りの違い等、「差異」という形でそれらを思い浮かべるのではないだろうか。つまりマイナスのイメージを抱くことはあまりないのではないか、ということである。
 それに対し、Singapore EnglishやSinglishという時、多くの人が「
標準英語には程遠いブロークンな英語」という風に認識しているようの思われる。実際「訛りがきつい」、「文法がめちゃめちゃだ」、「中国語を話しているのかと思った」などの感想を見聞きすることも多い。また英語学や英語教育をかじったことにある知人たちに「ピジン英語なんでしょ?」と言われることが多いのも事実だ。シンガポール国内でさえ、


Even within Singapore, the term Singlish is often used with
negative overtones, to mean little more than 'poor English'(Brown, 1999, p.vi)
(シンガポール国内でも、「シングリッシュ」という語はしばしば「へたくそというよりは
少しはマシな英語」という否定的な意味合いで用いられる)


という事実もある。だが小国とは言え、シンガポールにも二つの国立大学がある。海外の大学で学位を取得してくる者もしだいに増えている。
高学歴と言ってもいい彼らが話す英語は、主に発音面に母語の干渉が見うけられることもあるが欧米の標準英語に近い英語である事が多い。一方、ホーカーの店主、タクシーの運転手などが話す英語は、前述の通りブロークンで我々には判り難い英語である事も多い。もちろん彼らの中にもBlitish Englishに近い発音、文法的にも正確な英語を話す者もいる。そうかと思うと、MRTの車内などでよく見聞きするが、英字新聞を手にした学生やビジネスマン等がが仲間同士で非常にブロークンな英語を話している。英語と中国語、英語とマレー語のように母語と英語が混ぜ合わさった何語といえばいいのだろうということもけして少なくない。つまり、シングリッシュの定義として話者の学歴や職業などによる分類は意味をなさないということだ。
 以上の考察を踏まえ、この章ではSingishを「
シンガポール人が家族や友人達との会話で用いる英語」と定義してみてはどうだろうか。Brown(1999)の用語を用いると、Singapore Colloquial English(SCE)となる。彼はまた教育を受けた者がフォーマルな場面で用いるような英語をSingapore Standard English(SSE)としてSCEとSSEを明確に区別している。これは本名(1990)でも同様である。本名は上位語、中位語、下位語と大きく3つに分類している(詳細は「1-5.Diglossia(ダイグロシア)とは何か」で扱う)。Brownの用語とは、SSE=上位語SCE=下位語の関係が成り立っていると言ってもよいだろう。また本名によれば、


(上位語の)レベルでは、シンガポール英語と標準イギリス英語の文法上の差異はほとんど見られない・・・(下位語の)レベルになると、 シンガポール英語は標準イギリス英語と
かなり違うようになる。それはシンガポール社会で、シンガポール人どうしが毎日の生活のために使う英語であるから、シンガポール人にとって便利になるように変質するのは、当然のことであろう(本名,1990,pp.12-13)


となる。よって、この章ではSinglish
を「シンガポール人が日常的な会話で用いる、シンガポール人にとって便利な様に変質した英語」と定義して行こうと思う。
  

3-2.発音の特徴

 この節ではシングリッシュの音声的な特徴を扱うのだが、数々の事例についてはあまり触れない。なぜならcar parkを「河童」などの例はあまりに有名であり、それらの事例から帰納法的に論じていくより、演繹的にまず背景的な要因を考察していくことにより、「ああ、そうだったのか」と、みなさんに自身の体験と照らし合わせながら読んでもらいたいと思うからだ。

 これから論を展開するのにあたり、まず私自身の体験を二つだけ紹介したいと思う。シングリッシュの
音声的特長の予備知識を多少は有していると自負していたのにも関わらず、相手の英語が理解できなかった事例である。

1.あるお店での出来事。

 とりあえず"How much?"と尋ねると、「ワッハー」と答える初老の店員。後になって考えると一度で理解できなかっただけでも恥ずかしいのだが、不覚にも
何度も"How much?"と尋ねてしまった。もちろん何度聞いても、「ワッハー」。それでも理解できず"Sorry, but I can't speak the Chinese language"(ごめんなさいね。私中国語できないんですよ)とまで言ってしまった私。そう、私の頭には彼が話しているのは中国語だという考えしかなかった。
 私の
無礼な発言に苛立ちを隠せない彼は、店の奥からもう一人の中国系男性を呼んできてなにやら説明している。そして二人で同時に、また「ワッハー」。ここでやっと気がついたのだが彼らが話していたのは紛れもない英語。シンガポール通のみなさんはもう理解できたと思うが、「ワンハンドレッド(=one hundred)」と言っていたのである。             
      

2.筋肉痛のためホテルでマッサ−ジを頼んだときのこと。

 マッサ−ジ師の中国系中年女性が私の身体を見るなり「チンチン! 」と言ってくる。もちろん私はうつ伏せになっていたのだが、彼女の口から発せられた言葉が言葉だけに驚いてしまった。とっさにWhat? と尋ねると、再び「チンチン」と言われてしまった。だがこの時は彼女のジェスチャ−で言わんとしていることがわかった。彼女は単に"thin!thin!"(痩せてますね!)と言っていたのだ。なお、同じ語を二度繰り返して発するのもシンガポ−ル英語の特徴の一つであるが、これについては語彙の項目で考察することにしたい。
 
 ではこれらの背景にある要因について考えていくことにするが、私自身中国語に関する知識をほとんど有していないため、他の文献から学んだ知識を紹介するのにとどめたいと思う。
 まず、前者の
語尾子音群(final consonant cluster) が省略される事例。実はマレ−語や福建語、広東語等の中国語南部方言にみられる現象と同じである。つまりシンガポ−リアンの大部分がこれらを母語とするため母語の干渉が起こっていると考えることができよう。具体的には /p/, /t/, /k/, /b/, /d/, /g/ などの子音が単語末に来ると、これらは発音されずに飲み込まれ咽頭閉鎖音(glottal stop)になっていると説明できる。有名なcar parkが「カッパ−」, Boat Quay が「ボッキ−」と発音される事例もこれで説明ができる。
 
 次に後者の例を見てみよう。これも
子音同士の代用というシンガポ−ル英語の大きな特徴の一つである。/th/の音を無声の時は/t/ 、有声の時は/d/ で代用するため、three とtreeが同じ発音になるなどの現象が生じる。thing が/ting/、think が/tink/と発音されるのもシンガポ−ルアンと会話すると頻繁に耳にする例である。
 
 ここまで読んで、「やはり
Singlishは変な英語」という風に考える方もいるかもしれない。が、日本人英語やオ−ストラリア英語の有名な例を紹介し、「そう結論づけてもいいのだろうか?」と疑問を投げかけてみたい。
 我々日本人は中学入学以来
/th/の発音で苦労することが多い。「舌を軽く噛むように」などと習いはするものの実際にそれを実行することは容易ではない。そのため、/th/を/s/ の音で無意識に代用しているのだが、I think(私は考える) と言ったつもりがI sink( 私は潜る) という珍妙な発話になってしまう。
 また独特な発音で知られる
オ−ストラリア英語としてしかりである。二重母音の/ei/が/ai/と発音されるため、today が「トゥダイ」という風に発音される。このため、I will go there today(私は今日そこに行くつもりです) がI will go there to die( 私は死ぬためにそこに行くんだ) と言ったかのように誤解される恐れがある。
 
 このような例を挙げると枚挙に暇がない。だが根底にある特徴を
互いに理解しておくと意思疎通に影響を及ぼすことは意外と少ないのではないだろうか。これがこの節で強調したいポイントである。
 通訳の方は、これから通訳する相手が用いることが予測される専門分野の語彙を事前に調べるらしい。これと同様に、我々もこれから接する
相手が話す英語の特徴を事前に把握しておくことにより、より円滑に対話を進めることができるのではなかろうか。
                  


3-3.統語上(文法)の特徴

 ここでは統語( 文法) 上の特徴を見ていくのだが、内容から考え大きく二つに分類することができよう。一つが主に
シンガポ−ル英語にのみ現れる特徴である。これらは発音と同様、多くは母語の干渉に起因する。もう一つがシングリッシュ、 マレ−シア英語などのいわゆる「新英語」(New Englishes) のみならず、外国語として英語を学ぶ学習者ー例えば日本人ーにも普遍的に現れる特徴でもある。
 まず先に、後者について考察していくのだが、順序としては私が実際にシンガポ−ルで耳にすることが多い例から取り上げようと思う。

1. 名詞の複数形を作らない。

  解説
実際、コミュニケ−ションには何等支障がない。もちろんこちら側が複数形を用いる場合には相手も理解してくれる。

2. 動詞の語尾変化が少ない。
  
  解説
3人称単数の-sが現れない、規則変化動詞の過去形も-ed とならず原形のままになることが多い、等。不規則変化動詞も同様である。では、どの様にして過去であることを表すのかというと、

(例) I go there yesterday.

のように
副詞でマ−クされる。これの背景には、中国語に過去形がないことがよく指摘されるが、前節であげた音韻の特徴を思い出してほしい。語末の/t/, /d/が発音されず咽頭閉鎖音になるという特徴があった。実はこれらは丁度、規則変化動詞の過去形checked, played の語末の音に相当する。つまり、中国語の影響を受けているとしても、実際に動詞が変化していないのか、それとも発音されていないだけなのか、その二つの可能性があるのだ。これは非常に興味深い問題であるといってもよかろう。

3. can/cannotを独立して用いる。

  解説
これはシングリッシュにおける文法上のもっとも特徴的な特色ではないかと考えている。

(例) Can you...? の答えとして、肯定の場合はCan., Can-lah., Can-can.となり、否定のときはCannot., No can.などとする。始めてシンガポ−ルに言ったとき道行く人達が、「キャンキャン」と口にするのを耳にし「これは
一体何語なのであろうか?」と疑問を持ったのだが、今では逆に、Can-can.や後述のOk-lah. を耳にすると、「ああ、自分はまたシンガポ−ルに来ているんだ」と思うようにさえなった。
 なお、Can-can.に関しては
7.反復現象の項でも考察することにする。
     
4. be動詞を省略する。

  解説
(例) You seeing Singapore? 「シンガポ−ルを見て回っているの? 」

これは実際、お土産屋の店員に言われた文である。
文末を揚げ調子にして軽い疑問調にするというのもシンガポ−ル英語で頻繁に耳にする例であるが、英米においても口語で多用されてことを留意する必要があろう。

5. 不定冠詞を省略する
  
  解説
加算名詞の単数形にも不定冠詞a, an がつかない。ちなみにわれわれ日本人は定冠詞のtheを多用しすぎる傾向がある。


 正直言うと、以上見てきた項目は私自身、教師という立場もあり、生徒の
答案では誤りとせざるを得ないものが殆どだ。「誤り」とは、もちろん英単語error の訳であるが、応用言語学や英語教育学でこの語を用いるときはさらにglobal errorとlocal error の二つに分けて考えるのが普通である。この二つの違いは前者が意思疎通に影響を及ぼすほどの間違いであるのに対し、後者はほとんど問題のない些細な誤りを指す。
 上述のシングリッシュの特徴をこの誤りの定義にそって考えていくと1 、2 、4 、5 は完全にlocal error と言うことができよう。3 に関してはどうであろうか。このcan の用法については、
シンガポ−ル英語に顕著に現れる以下の特徴にも関係がある。

6. 反復現象

  解説
名詞、形容詞、動詞などを反復して用いる。動詞の反復は、中国語で軽い命令形を作る際に動詞を繰り返すという構文に由来するようだ。同様に、強調の意味で用いる形容詞の反復も、中国語の影響と言えるようだ。また、マレ−語にも形容詞の重複で強調を表す構文があるようだ。  

( 例)
Wait-wait! 「ちょっと待って! 」
   
Can-can! 「出来るよ! 」

この二つは
非常によく耳にする。土産屋で何も買わずに立ち去ろうとすると、Wait-wait-wait! と三回も繰り返されることがよくある。しかも/t/ が咽頭閉鎖音になるため「ウェウェウェッ!」と聞こえる。
 
 ここでまたerror の話に戻るが、今見てきた6 や、これから見る例はglobal errorとなるのかもしれない。ただ、あくまでも
英米英語との差異のみ考慮に入れた場合はそうなる、ということだ。もちろんシンガポ−ル英語を擁護しているわけではない。4-5.Diglossiaの節に大いに関係あるのだが、若者を中心に多くのシンガポ−リアンたちは、英語そのものを使い分けていると言われている。話す場面や相手などに応じて英語を使い分ける、というわけだ。仲間うちではここで取り上げるような英語を用い、それにより自分たちがシンガポ−リアンであるいう意識( アイデンティティ) を高める働きをするというわけだ。そう考えると、以下の7 のような例が頻出なのもうなずける。

7. 語尾に付せられる-la(h)

  解説
この-la(h)には、福建語起源説、マレ−語起源説があるが、どちらにしろ強調、確認などの意味を持っているには変わらない。

(例) Ok-lah! 「いいですよ」

様々な語に付加される-lahであるが、私はこのOk-lah! という表現がとても好きだ。またこの-lahは文末に置くことにより
付加疑問の働きをすることもある。
   
(例) He is big-sized, lah?

8. 文末に付せられる-ah 、-ha
 
  解説 (例) What is it you want ha?
       You sat in halls ah?

日本語の終助詞に相当する語で、「
ね」、「よ」、「さ」などの軽い意味合いで用いられるようであるが、どちらも疑問調に語尾を揚げ気味で用いられるため、始めのうちは非常に乱暴な口調に聞こえてしまった。理由は、日本語の「はあ?」、「ああ?」と音が似ているためである。日本語ではどちらも相手を馬鹿にしたり、あるいは乱暴な口調で話すときに用いられる。もちろんこれは私だけの印象であるかもしれないが、だいぶ慣れたとはいえ、文末の-ah には今でも多少抵抗感がある。  

 これから見ていく付加疑問に関しては、シンガポ−ル英語の特色としてしばしば取り上げられるのだが、毎回数日しかシンガポ−ルに滞在しない私は実際に彼らの口から発せられるのを聞いたことがない。

9. 付加疑問でもちいられるis it?、 isn't it?

  (例) She was quite young, isn't it?
 
  解説 標準英語では wasn't it? となるところだが人称や時制にかかわらずisn't it? is it?をつける。is it?は中国系が多用するようだ。

 以上、足早にシンガポ−ル英語の特色を概観してきた。中国語やマレ−語等の
母語の影響もその背景にあるのは間違いない。また、動詞の語尾変化や付加疑問の例は、英語を単純化していると考えることもできよう。

 私がシンガポール、特に
言語環境に感心があるのは、日本における英語教育を中心とした言語教育の大きな参考になるのではないか、そう考えるからである。インド-ヨーロッパ語族ではない言語を母語とする共通性もある。だがそれ以上に、日本人よりも確実に英語を使いこなしているシンガポーリアン達。その彼らがどのような言語環境で、どのような教育制度の中、どんな教材を用いて、どのように英語を学んでいるのか、そしてその結果、どうような特徴を持つ英語を用いているのか・・・これらに着目することにより、日本の英語教育に何かしらのヒントを与えてくれるのではないだろうか。
 最後に引用するのは、筆者自身「極論」と断って論じているものだが、上でも取り上げた付加疑問に着目するだけでもシンガポールの事例から
学ぶことが多いように思う。
 

英語の
無駄を省く、さらに言えば、英語をより精工にしている面がある。たとえば、付加疑問文を一元化してlah?としているところである。付加疑問の形式は細かくは教えない。極論すれば、日本語と同じne? でもよかろう。事実、日本からの移住者が多かったハワイでのくだけた形式の英語では、広島方言のno? が用いられているのだ。形式に寛容さをもてるこうした部分を、文法面や音声面において知っておくことは、これからの英語教育にとって必要となろう( 小林, 1996)  


3-4.語彙の特徴

 
語彙に関しても、これまで考察してきた発音、統語上の特色についてと同じことが言える。つまり母語から何かしらの影響を受けたというものと、シンガポールという環境で独自に発達(変化)していったというものである。
 ただ、語彙に関して解説していくと、それこそ辞書が一冊出来あがってしまう。そのため語彙に関する詳細は次の2冊を参考にしていただきたい。一冊が、
The Times-Chambers Essntial English Dictionary(2nd Edition) である。これは1997年の発行され話題になったものだが、およそ1000語のシンガポ−ルやマレ−シアで特徴的に用いられている語も含めて掲載した辞書である。もう一冊が、Singapore English in a Nutshellという本で、1999年に発行された。文法的、意味論的な解説をアルファベット順に配列し、辞書的な使用を意図して編集されたようである。このどちらもが、ほぼ同時期に、シンガポ−ル国内でシンガポ−ル人が使用することを想定して編集されたということは特筆に値する。

 ではここで、語彙に関する
私の体験を一つ紹介したい。ある出版社での出来事。ビルの3階に通され、担当者に話を聞いた後、在庫してある本を購入することになった。彼女に、「the first floor に先に行って待っているように」と英語で言われ、階段を下りながら、シンガポ−ルは英国英語を用いるのだから一階はground floorで二階がfirst floor だな・・・と考え2 階まで降りてみた。しかし、いくら待っても誰も来ない。まさかと思い米国英語のthe first floor である一階に降りてみると、そこには待ちくたびれた表情の年配の男性が私を待っていた。「この日本人は簡単な数字も分からないのか・・・」と言いたげであった。なお、この「階」の数え方もどうも中国語の影響を受けているらしい。

 以上が語彙に関する雑記ではあるが、上述の出版社で、事前に私が英語学を専攻し、英語の教員免許も持っていることを伝えているにも係わらず、担当の女性に「
日本人なのに英語がうまいんですね」と言われたことを付け加えておく。もちろん、嫌味や不満としてではなく、この発言の背後に、彼らシンガポ−リアンはそれだけ自分の英語に自信を持っていることの現れだと私は考える。

3-5.Diglossia(ダイグロシア)とは何か

 「二つの言葉を話せる」というと、多くの人がバイリンガル(Bilingual)という語を頭に思い浮かべることだろう。英語と日本語、フランス語と英語。色々な組み合わせがある。両親の母語が異なっていたり、子供時代に海外で生活したことなどがバイリンガルになるきっかけとなることが多い。つまり、二つの言語に触れる時間が多かったことがその背景にある。

 この節で扱う
ダイグロシアという考え方も、二つの言葉を話すというところではバイリンガルと共通である。ではその差はというと、ダイグロシアは「同一言語において高変種と低変種がある」状態をさす。同じ英語という言語であっても時や場所によって異なる変種が話されるということだ。
 バイリンガルとの違いを整理すると、バイリンガルは話者の
個人的二言語併用状態をさすのに対し、ダイグロシアでは、ある特定の社会に着目し、二言語変種併用社会をさしている。
  

 このダイグロシアという語をさらに発展させたのが、
社会言語学者のJohn Plattで、ポリグロシアという概念を提唱した。これはダイグロシアという考えを発展させて、同一言語を高変種、中変種、低変種の三つに分類するというものである。

 では、シンガポールを例にしてこれら「変種」という概念について考えて行きたい。


高変種
(高層方言、上位語ともいう。acrolectの日本語訳。以下同)

 
いわゆる標準英語との差異がほとんどない英語である。空港や、ホテルのフロントなどの職員が話す英語はとても流暢でかつ文法的にも正しいものであることが多い。だが、これが高学歴の人は正しい英語を話す、という短絡的な考えにつながっているように思える。  

中変種
(中層方言、中位語。mesolect)

 これは、上の
4-3.統語上(文法)の特徴で取り上げたうちの、ローカルエラーに分類される特徴を有する英語である。この変種は日常的によく使われるものである。また、些細な“間違い”であるため、なんらコミュニケーションには支障がないことが多い。これをシングリッシュらしさ、シンガポール人らしさの象徴とする者も多いが、これは後述することにしたい

低変種(基層方言、下位語。basilect)
 
 
上の中変種と同様、4-3.統語上(文法)の特徴で取り上げた中でも、グローバルエラーになりかねないものが多いのがこの変種の特徴である。つまりシンガポール以外では理解されにくい変種、そういうことになる。これがシングリッシュは駄目な英語というレッテルを貼られる大きな理由ではあるが、彼らにとってはこれが便利であり、便利だからこそ広く使われている、その事実を忘れてはいけない。

 
 では、これらの変種は
話者の語学力、極論すると学歴によって差が現れるのであろうか。もちろんこれ“も”大いに関係があろう、そう私は思っている。だがこれだけが全てではない。もし仮に、学歴だけが原因であるならば、高学歴化が進むにつれシングリッシュと標準英語の差異が少なくなり、ついにはシングリッシュそのものが消滅してしまう、そんなことにならないとも限らない。
 次の文を読んでもらいたい。 

 
I use Singlish primary because it's funny and lends a certain local flavour to the language in that it makes it more interesting to hear. Also, I use it abound[with] others to break through some social barriers sometimes. It tends to make others feel more comfortable as compared to when I speak “proper” English. Also for emphasis on certain points I wish to make but only in social circumstances[i.e., in informal social interactions], not for serious meetings. I find that a lah here and there always helps things along.
(Ho, 1999, p.15. Bracketed by Ho)

 大意:シングリッシュを使うのも聞くのも面白い。さらにそれによって他人との“
壁”を取り払うことも出来る。そのほうが“適切な英語”で話しかけるより、相手も心地よく思う。だから堅苦しい場面以外ではシングリッシュを使っている。


 これはあるシンガポール人の素直な“
シングリッシュ観”である。このシンガポーリアンは英語を意識的に使い分けている。また、シングリッシュに対し、“適切な英語”という表現を用いていることからもシングリッシュの特異性を十分意識していることも読み取れる。だが、これがシンガポーリアン同士の会話においてはよりinteresting(面白く)でcomfortable(心地よい)な表現であるとも言っている。このことより、シングリッシュを用いるのは、彼らがシンガポール人であるアイデンティティの表れだ、そう考えることも出来るのではないだろうか。

 天然資源も歴史も乏しい国シンガポール。その世界国土に多くの民族がひしめき合っている。そのような特殊な環境において、
民族を超えた共通の誇りとして機能しているのがSiglishである、私はそう考えている。もちろんそれが他国民との意思疎通の妨げになっているというのなら話しは別だが、最後に取り上げた文章からも読み取れるように、場面や相手によって英語を使い分けることが出来る者も実際少なくはないように思える。
 
 この章のまとめとして、シンガポーリアンから見たシングリッシュ像を取り上げた。
シングリッシュ=駄目な英語、という短絡的な考えはステレオタイプでしかない、私にはそう思える。言葉の持つ第一の機能ーそれは意思疎通である。シンガポール人同士はもちろん、我々日本人のような非英語母語話者との意思疎通のためにも彼らはシングリッシュをうまく使いこなしている。それに加え、国内においても互いに用いることにより、自らがシンガポール人であるという帰属意識を高めている、そう考えることも出来うる。
 この章を通して考察したように、シングリッシュの表面的な特徴について知ることは、結果的にはシングリッシュのもつ
本質的な働きをも明らかにしてくれるだろう。

この章の参考文献

本を読みしだいどんどん追加して行きます!


小林素文 「アジア諸国の外国語教育の現状から学ぶこと」、『英語教育』vol.45 No.3、大修館、1996

Brown,  Adam, Singapore English in a Nutshell - An alphabetical description of its features, Federal Publications, 1999

Ho, Main Lian,“Forms and Functions of Republication in Colloquial Singaporean English,” Asian Englishes vol1 No.2, 1998

本名信行 「アジアの英語」、 本名信行編 『アジアの英語』 くろしお出版、1990

本名信行 『アジアをつなぐ英語ー英語の新しい国際役割』 アルク、1999