1. はじめに                                        

<目次>
1-1. 私とシンガポールの出会い
1-2. シンガポールの概略〜統計データをもとに
   
この章の参考文献 
                                                     

1-1. 私とシンガポールの出会い

  なぜシンガポールなのか・・・というみなさんの疑問にお答えするため、最初に私とシンガポールの出会いについて述べていきたい。
 
 始めてシンガポールを訪れたのは98年9月のことである。私は当時、大学院に在籍し専攻が英語教育であるにも関わらず、海外旅行の経験が一度もないという状態であった。そこで夏休みを利用し、偶然親戚が企業の駐在員として働いていたシンガポールに行く事にした。そう、最初はとても気楽な気持ちでシンガポールに向かったのだ。 
  つまり”はじめからシンガポール”というのではなく、”偶然にシンガポールになった”というほうが適切である。もちろん、専門分野との兼ね合いで事前に出来る限りの情報収集をして行った。当時、文法指導のあり方に興味があり「名詞の複数形や、動詞の過去形、完了形をほとんど用いない」というシンガポール英語(4.シンガポール英語の特色)が話される中で、学校の英語の教科書や授業ではどのような配慮がなされているのだろうか、という視点でシンガポールでの時間を過ごすつもりであった。
 だが、いざシンガポールチャンギ国際空港に到着してからは”驚きの連続”であった。この驚きが後にシンガポールを修士論文のテーマに据え、本格的に研究していこうと思うきっかけとなった。
 
 シンガポールに到着し、実際に言葉ーもちろん英語ーを発したのは税関である。年配のマレー系男性が独特の訛りのある英語で私に質問してきた。聞き取り易いとはお世辞にも言えないような英語だったが、その職員の方がとても自信をもって当たり前の様に英語を話しているのに驚いた。文というよりも「単語の羅列」というのが相応しい彼の英語であったが、限られた語彙を非常にうまく活用していたのだ。
 空港から乗ったタクシーの運転手もマレー系男性であった。やはり彼も同じような英語を話していたのだが、私との意志疎通に何一つ不自由していないのである。それどころか私の話すいかにも”教科書的な英語”の方が会話を途切れさす原因になったくらいだ。
 
 このような例をあげると枚挙に暇が無い。だが、これらの体験を通しシンガポールの言語環境や言語教育を考察することによって、日本の英語教育の参考となる事柄が見つかるのではないか、そう思うようになった。 また、「英語を話す事が出来る」というのは何も欧米のネイティヴスピーカーのように流暢に話すことばかりではなく、自分の語彙力、文法力に応じていかにそれをうまく活用できることが重要ではいか、そう考える様になった。その人の年齢、職業に応じ必要となる英語力も異なってくる。例えばタクシードライバーなら、乗客の希望の行き先を理解し、そして料金の精算を不自由なく行う事が出来れば自信を持って"I can speak English"と言ってもいいのではないか、そう考えるのである。
 
 以上のようなスタンスで私はシンガポールを自分のメインテーマに据えている。もちろんまだまだ分からない事ばかりであるが、フィールドワーク等を通じて少しずつ全体像が見えてくるようになった。しかしその像もまだまだピンぼけであり、詳細について調べることが沢山残っているのも事実だ。
 シンガポールというとグルメ、ショッピングが真っ先に思いつく方が多いだろうが、そのような情報はあえて他のページや本に譲る事にして、ここでは言語環境や教育制度に重きをおいてシンガポールという国について紹介していこうと思う。

                                                     

1-2. シンガポールの概略〜統計データをもとに

 前節でも述べたように、ここでは他とは違う視点で、シンガポールのアウトラインを考察していきたい。ある国民や民族を語る
基本的視点の一つ、「衣・食・住」のうち「衣」(ファッション)、「食」(グルメ)は他に譲り、生活環境を含めた広い意味での「住」について考察していくことにする。しばしば「日本の淡路島ほどの国土」と例えられるシンガポールだが、ここで少し具体的に数字を挙げてみよう。
 今、私の手元に一冊の本がある。"Singapore Facts and Pictures 2000"というタイトルだがシンガポールに関する最新の数字があらゆる分野にわたり網羅されており、在星の方には是非購入をお勧めしたい本である。ちなみに私は「大衆」でわずかS$6で購入した(以下、この節において特に注がないものに関してはこの本から引用した数字である)。
 
総面積659.9ku。そのうち591.4kuがメインアイランドである・・・と言われてもピンと来ない方が多いと思う。では、東西に42キロ、南北には僅か23キロと言うとその小ささがはっきりするのではなかろうか。またよく前回のセンサス(国勢調査)の結果を元に300万人と言われる人口も1999年6月の時点で389万人にまで増加している。1998年と比較しても0.7%もの増加だ。
 この面積と人口を元にするとシンガポールの
現在の人口密度は5,900人/kuとなる計算だ。では、この数字を現在の日本と比べてみよう。OECDのデータによれと、日本の人口密度は他のG7諸国平均の13倍、他のOECD諸国平均の11倍にもなると言われている。その人口過密の日本でさえ、約340人/kuでしかない。参考までにシンガポールと同じく高層ビルが立ち並ぶ東京23区に限った人口密度はというと、約13,000人/kuとなる計算だ。これでシンガポールの状況がはっきりしてきたのではなかろうか。実際にシンガポールの街を歩けば一目瞭然だが非常に緑の多い国である。まさにクリーン&グリーンの街並みだが、これにシンガポール政府の綿密な住宅建設企画の成果である。田村(2000)の記述によれば、シンガポールの第1党PAPが政権を獲得した59年現在のシンガポールの人口密度はなんと52,000人/kuにものぼったそうだ。これは都市部への一極集中によるものだが、その後の計画的な住宅建築により現在では上述の数値になっている。HDBと呼ばれるこれら政府が開発した住宅や住宅建設製作に関しては田村(1993、2000)を参照していただきたい。また、シンガポーリアンの憧れ、民間のコンドミニアムなどの住宅事情は小竹(1999)に詳しく述べられている。

 次に「
赤道直下で非常に暑い」、「常夏である」などと形容される気候に関して少々述べていきたい。結論から言うと「確かに暑いがそれほどでもない」というのが私の率直な感想である。意外と思う方も多いだろうが次の数字を見れば一目瞭然であろう。
            

平均気温   26.8℃
平均最低気温 23.9℃
歴代最高気温 36.0℃
歴代最低気温 19.4℃
平均最高気温 30.9℃

いかがだろうか。こと最高気温に関しては真夏の北海道と同じくらいと言ってもよさそうだ。勿論19.4℃という史上最低気温の高さは南国らしい値である。この意外なまでのシンガポールの最高気温は四方を海に囲まれた地理上の特徴に起因するようだ。
 では次に湿度に関しても同じように数値を見ていくことにしよう。

平均湿度   84.3%
平均最高湿度 96.1%
平均最低湿度 64.1%

これに関してはやはり日本との違いを意識せざるを得ないだろう。平均最高湿度が 96.1%にも達するのだ。「じっとしているだけでも汗ばんでくる」、「少し動いただけで滝のような汗が流れ出る」というもこの値を見れば納得してもらえると思う。  このような高温多湿の気候により、国中のあちらこちらにヤシの木が生え、湿地にはマングローブが生い茂っている。綿密に計画された都市開発とこのような自然環境。これらのバランスを高度に保ったまま都市整備が進められ、クリーン&グリーンを目指す政府の思惑通り、というのがシンガポールの都市整備に関する私の率直な感想である。  
                                          


この章の参考文献

本を読みしだいどんどん追加して行きます!

太田勇 『国語を使わない国 シンガポールの言語環境』 古今書院、1994

 1996年に急逝したこの本の著者は執筆当時東洋大学教授で、文化地理学が専門であった。一見難しいそうなタイトルであるが、内容的にはエッセーであり非常に読みやすい本である。78年から79年にかけ南洋大学の客員教員も勤めた筆者は、1967年以降毎年の様に実際にシンガポールに出かけ、その変化の速さを誰よりも的確に捉えている。内容的には言語環境はもちろん、豊富なコラムもありシンガポールに興味のある方には是非一読を勧めたい本である。
 また、この本は華僑という言葉で一言でまとめあげれることが多い中国系住民に対し、筆者ならではの鋭い論調で論を進めているのが特徴である。さらに、国家形成の特徴とも言える”華”の排除を南洋大学の設立から興亡までの歴史を例にわかりやすく解説している。
 筆者も認めている通り移り変わりが非常に激しいシンガポールのため、統計的な数字のみならず内容的にも現在の状況との違いが見られる。一つの例をあげると、「民間不動産業社の分譲・賃貸住宅になると、所在地に関係なく英語が圧倒的だ。総計660施設の全てに形容詞を含め必ず英語名がつけれている。高級住宅になれば完全に英語名のみで・・・」(p.102)の記述が現在では、「全ての」ではなく「ほとんどの」に変わってしまっている。
 とはいえ、シンガポール最大の墓地、チャチューカン墓地にある華人の墓石に表示された文字を全て調査したり(p.167)、バスの車体広告の言語・文字を調査したり(p.79)と普通ではなかなか出来ない実地調査の結果を踏まえた非常に説得力のある内容である。


小竹裕一 『ぱらだいす?シンガポール 日本人がアジアで一番好きな国』 勁草(けいそう)書房、1999

 
シンガポール在住20年の筆者は、「生日報」の編集長も勤めた人物である。この本はそんな著者のエッセー集だが、初出の多くが日本シンガポール協会発行の『月刊シンガポール』という事からも分かるとおり、シンガポールで生活していく上で非常に関わりの深い、「マイカー」、「日系デパート」、「歌手ディック・リー」などの話題が並んでいる。学問というより興味として読むならば面白い本である。ただ、ハードカバー版のため価格が税別で2400円。
 私が関心を持ったのが、「17歳の男子の平均身長をみると、83年からわずか7年の間に5.4センチも伸びている」(p. 180)という数字である。それだけ急速に国民が豊かになっているいるということの現れだが、改めて「軌跡の国シンガポール」を思い知った。
  また、後半に十代少女の小遣い稼ぎの売春の噂が載っていたが、「日本と同じ社会問題を抱えているな」と思わずにいられなかった。貧乏を知らずに親の過保護のもとに育った子供たちが刹那的になっているのは日本と同じなのかもしれない。以前、繁華街オーチャードを歩くマレー系の少女があの湿度にもかかわらずルーズソックスをはいているのを見たのには「なにもここまで日本の物を取り入れなくても・・・」と正直驚いたが、援助交際までとなると悲しみさえ覚えてしまう。


田中恭子 『シンガポールの奇跡 お雇い教師の見た国づくり』 中央公論社、1984

  筆者は1973年から9年間、シンガポール大学文学部助教授をつとめた。1965年に突如マレーシア連邦から分離独立してからの奇跡とも言われる発展を綴った一冊である。新書と言うこともあり読み易い本であるが、やはり所々に掲載される写真や表の数時などに時代を感じさせられてしまう。もっとも、これを逆手に取り、現在のシンガポールとの比較、対比をすると非常に面白い一冊だといえよう。言いかえると、この本をシンガポールの入門書とすると大きな誤解が生じかねないということになる。
 では、この本の記述の中から私にとって印象的だった二つほど紹介したい。
 
  「あんた、日本人にしちゃ英語がうまいね」とおほめをあずかった。もちろん、言外に「しかし、われわれシンガポール人には遠く及ばない」といっているのだ(p. 92)    

これと同じことを私も何度か言われた経験がある。このHPをご覧の方にもこのような経験を持つ方も多いのではないだろうか。日本人とあまり交流の無い一般的なシンガポールアンの「日本人像」はどのようなものなのだろうか・・・そう考えるととても興味深い問題と言えそうだ。実際、

    日本人は華語を話すという神話は、シンガポールだけではなく、香港でも華語で教育を受けた人の間に広く流布されていることを後で知った(p. 89)

    詳細については本書を読んでいただく事にする。また、日本の話題になると必ず登場するスーパーヤオハンだが、ヤオハンがシンガポールに持ち込んだ食べ物として「絹ごし豆腐」と「あんぱん」が紹介されていた。このように本書は在星の方や、シンガポールを何度か訪れたことのある方にとっては、「へえ、そうだったのか」となる本であると思う。


田村慶子 『「頭脳国家」シンガポール 超管理の彼方に』 講談社、1993
 
 
 著者は北九州大学法学部教授。専攻は国際関係論(東南アジア)。この本をシンガポールの入門書としてみなさんに勧めたい。まず、新書のため(講談社現代新書)扱っている書店が非常に多い。加えて本体価格がわずか650円である。私は皮肉にもシンガポールの紀伊国屋でこの本を知り、帰国後にすぐ購入した。 この本を読んだ頃、言語環境や教育制度について多少の知識はあったがプロローグのページを開いた瞬間から驚きの連続であった。この本の始まりが、「高学歴者は多産を、低学歴者は避妊を」という見出しで、
   
(リー・クアンユー)首相は、小学校卒業以下の低い学齢の女性が平均三人の子供を産むのに対して、高等教育を受けた女性は平均1.65人しか生まない事を指摘してこう述べた。 教育を受けた女性がもっと子供を生み、次の世代でその比率が下がらない様に、人口構成を変えなければならない。・・・なんとかして次の世代が才能のない者ばかりにならないよう対策を講じなければならない」(p. 8)

  このような内容で本が始まっている。天然資源に乏しいシンガポールが人的資源に頼らざるを得ないのは想像に難くない。また私は後から知ったのだが、リー元首相が人の能力は遺伝によるところが大きく、優秀な子供は優秀な親から生まれるという考えを持っているのは有名な話しのようだ。  この他にも「国家主催のお見合いツアー」、「大器晩成の人間はいらない」、「メイドには妊娠チェック」などのショッキングな見出しが並ぶが、そのどれもがシンガポールを語る上では外す事の出来ないキーワードになっている。
 10年一昔ではなく、10年大昔のシンガポールなので、統計数字などが多少古くなっているのが残念だがそれを差し引いても入門書として最適な本と言えよう。
 

田村慶子 『シンガポールの国家建設 ナショナリズム、エスニシティ、ジェンダー』 明石書店、2000

 前述の本と同じ筆者によるシンガポールの国家形成の全体像に迫る専門書である。筆者自身の博士論文をもとに書かれた本であるだけに非常に密度の濃い内容である。また、2000年に発行ということもあり私が常に意識する数字の正確さ、新しさについても問題がない。 300ページ以上にも及ぶ本書だが細かな記述や随所に付せられた注などにより非常に分かりやすい展開である。
 筆者も言っているように『「頭脳国家」シンガポール 超管理の彼方に』を発展させた形で、分量的にも、内容的にも一気に飛躍する形だが、シンガポール関係の専門書として欠かせない一冊だと言えよう。  『「頭脳国家」シンガポール 超管理の彼方に』にも言える事であるが、巻末の参考文献一覧が非常に充実しており、さらに発展させてシンガポールについて学びたい人にとっても非常に利用価値の高い本だといえる。
 内容に関しての感想は、「ただただ凄い」の一言。無論、細部にわたって一般向けに手が加えられていると思われるが、博士論文として書かれただけあり、その充実した内容を考えると3400円という価格もとても安いと思えてくる。


Ministry of Information and the Arts, Singapore Facts and Pictures 2000, Ministry of Information and the Arts, 2000

 オーチャードの大衆(Popular)書店で偶然に見つけた、いわゆる”白書”のような本書であるが、全ページカラー印刷で写真も豊富であり、しかも扱っている内容が最新の物である事を考えるとS$6、日本円にすると約500円というのは破格の値段と言える。
 全ページを始めから読むと言うよりも、必要な情報を調べる辞書代わりとして活用しているが、意外に知られていないことが多く書かれており「シンガポールの今」を知るのに便利な本である。例えば「救急、消防の出動回数」(p. 47)、「国内にある自動車の総数やその分類」(p. 168)、「インターネットの使用目的ランキング」(p. 209)、「タクシー会社別の料金体系の一覧」(p.227)などである。それ以外にも、「国歌の歌詞と楽譜」(p. 12)、「MRTの最高速度」など面白い物が沢山掲載されている。
 ちなみに,のんびり走っているとの印象を持っていたあのMRTの最高速度は時速80キロ(!)にも達するらしい。もちろん、平均速度は45キロなので、まさに「狭いシンガポールそんなに急いでどこに行く」である。また高圧電流が流れているのは承知の通りだがDC750ボルトにも達するとのことなので間違ってもホームからは降りないように!