沖縄旅行記 那覇・首里城・ひめゆりの塔 
2007.11.162007.11.18



はじめに
これまで海外中心に旅行してきたため、国内の人気スポットは、あの東京ディズニーランドすら行った事のない私(^_^;)。この数年、海外へ行くときに国内経由地を工夫することにより、福岡や横浜中華街などを訪れることができました。が、今回の沖縄は乗り換えの経由地にすることが難しい場所です←出来ないことはありません。千歳-羽田-那覇-関空-ソウル-関空-千歳なんてこともマイル特典では可能です。何度か空席待ちしたけど全てを押さえることは不可能でした・・・笑

そんなこともあり、今回の旅は沖縄そのものを目的地にしました。11月はオフシーズンでツアーが安い季節ですし、偶然、一人参加でも追加料金の要らない格安ツアーを発見できたことも、旅に出る後押しとなりました。

旅のプランニング
航空券とホテルだけがセットになったいわゆるフリープランを利用しました。何気に、フリープランは今回が初めての利用となります。大手から小さな会社まで、多数の旅行会社が企画している沖縄フリープランですが、安いプランはほとんどが2名以上で1室利用となっています。1人部屋利用の追加料金はどこの会社も1〜2万円。4万円だったものが一気に6万円になってしまいます。また、沖縄行きはなぜかほとんどのツアーがJAL便の利用となっています(←旅行会社に卸す価格がANAよりも安いからでしょうか?)。そんな時に偶然に見つけたのが、北海道では有名なあの時計台前にあるニューホリデーのツアーです。会社名の普門エンタープライズよりブランド名のほうが有名なこの会社ですが、頻繁に掲載される新聞広告でもほとんどがANA便の利用です。もちろん今回のツアーも。それに加え、利用するホテルも価格に応じて3つの中から選べ、その中には国際通り徒歩圏内&10月にオープンしたばかりの真新しいホテルも含まれています・・・はい、これが今回私が宿泊したホテル、オランジュール沖縄。シングルの部屋はなく、一人利用でもダブルの部屋でゆったり出来、その追加代金も必要のないプランでした。

ただ、オフシーズンで価格が安いためか、飛行機の席をなかなか確保できませんでした。正規運賃でも混み合っていたのですから、フリープランが利用するのは個人包括旅行運賃のため、しばらくキャンセル待ちが続きました。もっとも、最終的には時刻表にはない臨時便の席を抑えることが出来ました♪

結果的に、ホテルのランクを1つ上げたため、羽田経由で合計4回の搭乗と、ホテル2泊がついてしめて4万とび800円となりました。後は数あるレンタカー会社の中から、一番価格と補償制度のバランスが取れているところを選び、現地での「足」を確保し事前準備は全て完了です。

1日目
すっかり冬景色の北海道。当然着る服も真冬仕様。“衣替え”用の着替えを持つため予定以上に荷物が増えてしまいました(^_^;)。午前中は通常通り勤務し、午後から休暇をいただいて新千歳空港に移動。荷物になるだろう冬仕様のコートを車に置き、秋仕様の軽装でターミナルまで移動したのですが、やはり寒いのなんのって!(笑)

引換証と搭乗券。空港によって色も大きさも違います。
大きい方が千歳、小さいのが羽田。

今回は初めてとなるSKIPサービスと新搭乗スタイルを利用したのですが、搭乗手続きもいらず、荷物を預けるときも、航空券引換え証のバーコードを読み取るだけ。そしてそのまま保安ゲートに進み、そこでもバーコードをかざして搭乗口案内が書かれたレシートをもらうだけなんです。しかも、乗り継ぎ地、羽田空港での搭乗口まで同時に印字されているんです。楽チン楽チン。ただ、慣れない人は混乱するだろうし、本当にこれだけでいいの?と不安になる人もいるかもしれません。

搭乗口でも、これまでのように搭乗券を機械に通す必要がなく、引換証のバーコードを機械にかざすだけで座席番号が書かれたレシートのようなものをもらいます←聞くところによると、航空会社にとっては、航空券、搭乗券の管理や印刷コストの軽減だけではなく、頻繁に搭乗券が詰まってしまうなどの不具合がおきたこれまでのシステムとおさらばできるメリットもあるようです。

羽田空港での乗り継ぎ時間は45分間の予定でしたが、到着がわずかながら遅れたため、羽田の搭乗口に着いたときには既に搭乗が始まっていました。国内線の中では飛行時間の長い沖縄線。有料ではありますが、アイスクリームやカップラーメンなども用意されています←高いけど(笑)

ゆいレールの駅から空港を振り返っての一枚。

沖縄に降り立ったのはほぼ定刻の18:30頃。荷物を受け取った後、19:15発のゆいレールに乗り込みました。日本最西端、日本最南端の駅を経由し、ホテル至近の見栄橋駅にて下車。国道沿いを歩いてホテルに到着したときには、長袖のシャツを一枚しか着ていないにも関わらずちょっと汗ばんでいました。それくらいの暖かさです。チェックイン後にすぐに半袖Tシャツに着替え街にでたのですが、周りを見ると、半袖なのは私一人(笑)。地元の人はボア付のフードのジャンパーを着ている人さえ結構いました・・・カルチャーショック(笑)

これで550円(だったはず)。安いですよね。

とりあえず国際通りや付近の居酒屋街などを見て回り、偶然通りかかった、おばあちゃんが2人で切り盛りしている定食屋で夕食をとることにしました。食べたのは「ちゃんぽん(沖縄風)」と書かれた料理。

長崎ちゃんぽんをイメージしていたため、てっきり麺料理だと思っていたのですが、出てきたのはご飯の上に炒め物がのっている↑の料理。またしてもカルチャーショック(笑)。もちろん、それはそれでおいしくいただいたけどね。

これまで多数旅行に出ているけど、
旅先でお酒を飲んだの、これが初めてです。

せっかく沖縄に来たのだからオリオンビールを飲みたかったけど、お酒に弱い私が外で飲むと危険。なので、帰り道のコンビニで一番南国らしい名前の商品を購入し、ホテルで飲むことにしました←味の違いなどはさっぱりわかりませんでした(^_^;)

オープンから1ヶ月。全てが真新しいホテルでした。

2日目
7:30にセットしたアラームがなりました。ホテルの場所が国道58号線沿いのため、結構暴走族がうるさく何度も目を覚ましたため、眠たいのなんのって。とはいえ、8:30にレンタカー会社が迎えにくるためゆっくりはしていられません。着替えと食事を済ませピックアップ場所に移動しました←おかゆとパンしかない質素な食事でしたが、食事がセットになっていると思うのではなく、おかゆがサービスでついていると考えると納得できるかもです。

レンタカーの料金2日分に、免責補償代金、事故時のノンオペレーションチャージ免除代金の合計からゴールド免許割引をしてもらい、結果的に払った額は6930円。大手の会社なら1日分の料金です。軽自動車とはいえ、ナビ付の新車ですから非常に格安。まあ、交通の便が悪い沖縄ではそれだけ観光客による需要があるということなのでしょうね。

ワゴンRでははなくマツダのAZワゴンです。
沖縄ではマツダ車のレンタカーが非常に多いようです。

ETCがついていないのが残念!

ナビのセットもせずに道路に飛び出し、まず向かったのが南部にある「ひめゆりの塔」。この旅の一番の目的ですからね。信号で停車するたびにナビの目的地等を設定し、30分もしないうちに到着しました←ナビの設定が常に北が上のノースアップ&音声案内オフになっているため、走りづらかった〜(笑)。自分の車のナビと違うから、簡単に設定変更できず結局ひめゆりの塔到着後までそのままでした(^_^;)。

小さな塔だけど、私たちに多くのことを
伝えてくれています。

これが沖縄陸軍病院第三外科壕の跡。
病院・・・。

ひめゆりの塔付近には多数の土産物屋があり、そのお店の駐車場が「ひめゆりの塔 無料駐車場」になっている様子。レンタカーは無料、なんて但し書きがかいてあるお店もありました。もちろん、まずはひめゆりの塔に直行します。入り口前で売っていた顕花用の花束を買い、数十メートル歩くとすぐにひめゆりの塔と、戦時中には病院として機能していた沖縄陸軍病院第三外科壕の跡」が目に飛び込んできました。塔という名前ですが、実際には高さ数十センチの小さな石碑。これは、終戦直後の物資の乏しい時代に建てられたことや、当時アメリカ軍の統治下にあったことに起因するようです。

ひめゆりの塔の歴史〜Wikipediaからの引用です
1945年3月24日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名・生徒222名)は、南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍した。しかしその後激しい戦闘が続き、日本軍の防衛戦が前田高地附近に撤退した4月24日頃には山容が変わるほどの激しい砲撃にさらされるようになったため、5月25日には陸軍病院そのものが回復の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りにして南部の伊原・山城周辺に撤退し、分散して地下壕に潜んだ。この際患者を収容する壕が確保できなかったために負傷兵は原隊への復帰が命じられ、病院としての機能は失われていたという。

戦局が絶望的になると、6月18日、学徒隊は解散を命じられる(看護婦採用試験合格者を除く)。しかし、既に沖縄のほぼ全域をアメリカ軍が支配しており、また周辺も既に激しい砲撃にさらされていたため、地下壕から出ることはほとんど死を意味した。

最も被害を受けたのは第三外科壕の学徒隊である。第三外科壕は19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡した。さらに壕の生存者9名のうち教師1名と生徒3名は壕脱出後に死亡した。従い、第三外科壕にいたひめゆり学徒隊のうち沖縄戦終結まで生き残ったのはわずかに生徒5名のみである。

第一外科壕、第二外科壕は、アメリカ軍の攻撃を事前に察知し、19日未明までに地下壕から脱出した(そのうちの一部は第三へ避難)。しかしこれらの学徒隊もその後の激しい戦闘で多くが死亡した。職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、職員13名であるが、このうち解散命令以後に死亡したのは117名で全体の86%にものぼり、さらにわかっているだけでも全体の35%にあたる47名が第三外科壕に攻撃があった6月19日に亡くなっている。

戦後、戦死した生徒の親である金城和信らによって壕が発見される。その後、アメリカ軍によってこの地に住むことを命じられて住んでいた真和志村の人らによって遺骨が集められ、4月に慰霊碑が建てられた。

ひめゆり学徒隊という名称は動員当時から存在したが(ただしひらがな書きが用いられるようになったのは上述の通り戦後になってから)、兵士らにとっては所属校がどこであるかはほとんど問題にならなかったので、実際にはこの呼称はほとんど用いられず、学生さん、学徒、などと呼ばれていたという。なお、ひめゆり学徒隊以外にも他の学校の生徒を集めて作られた学徒隊は別にあり、それぞれ所属校にちなんだ名称がついていた(県立首里高等女学校のずゐせん学徒隊などが有名)。これらの学徒隊もほぼ同様の運命をたどり、それぞれの名にちなんだ慰霊碑が建てられている。

顕花の後すぐ横にあるひめゆり平和祈念資料館に入館しました。けして広くはない資料館ですが、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師、生徒の多数の顔写真に圧倒されてしまいました。まだ幼い表情の女子学生。その大部分が戦禍を被ったことを改めて思い知らせれました。しかも、実際に学徒隊に所属していた女性2人の貴重なお話も聞くことが出来ました。もちろんお二人とも高齢です。ですが、その生き証人が語る真実。そして平和への願い。多くの人が涙しながら聞き入っていました。話の一言一言が貴重なものでしたが、中でも、修学旅行の女子生徒へ語っていた「生きることが出来る喜びを感じて欲しい」という言葉がとっても印象に残りました。その話を聞いたのが原寸大に復元された第三外科壕の前。この壕の中で、彼女たちは生きたくてもいきられなかったのです・・・。今、語り部の女性の話を思い出しただけでも涙が止まりません。みなさんも沖縄へ行く機会があれば、是非ひめゆりの塔にも足を伸ばして欲しいと思います。

けして大きくはない資料館ですが、
大きな役割を担っています。

この貴重な経験の後、どこかに観光に行きたい、そんな気持ちはさっぱり失せてしまっていました。駐車場にとめたお礼にと、その売店でお土産を購入した後、平和について考えながら車を走らせていると、ほどなく平和祈念公園にたどり着きました。ここは沖縄戦最後の激戦地であった摩文仁につくられた国定公園で、1995年に建てられた平和の礎(いしじ)には、沖縄戦で亡くなった23万人の名前が刻まれています。綺麗に整備された公園がわずか60年前には激戦地だったなんて信じられません。

だけど、信じられなくてもそれが現実なのです。

公園をゆっくりと歩き、車に戻ってきたときにはもう脱力感で動くことが出来ませんでした。

しばしの休憩の後、ホテルへ戻る道すがら、やはり沖縄に来たのだから・・・と思い直し、首里城に寄ることにしました。ナビに誘導されるまま、ありえないほどの狭い道や畑の中の農道のような道を道を通り抜け、ちょうど12時に首里城に到着。

左。二千円札が(あれば)見てください。中央。通路が真正面を向いていません。なぜ?右。新しいだけあってとっても綺麗な内部。

雲行きが怪しいから多少早歩きをしたこともあるけど、駐車場に車を止めてから出すまで、わずか30分ほどの滞在時間でした。それくらいあっけなく見終わった首里城。まあ、現在のお城は最近復元されたもので、世界遺産に登録されているのはかろうじて残っている「跡」ですからね。そんなこともあり、建物事態には興味がほとんどなく、あっさり観光終了。正殿への入場料が800円ですが、とっても高く感じるのは私だけではないでしょう。

世界遺産なのは床の下「跡」です。右は3階へ通じる階段。どうやって登るの!?

小雨が降る中ホテルへと戻ります。本当は綺麗な海が見たかったのですが、こんな天気ですし、写真にとっても「日本海の荒波?」といわれそうですしね。もっとも、ただ戻るのでは面白みにかけるから、とりあえず国際通りを端から端まで通り抜けることにしてみました。地元の人よりも、お土産を購入している修学旅行の高校生の方が多い印象をもったのですが、ちょうどそのときにFMラジオからこんな曲が流れてきました。

一人の小さな手 何も出来ないけど
それでもみんなの手と手をあわせれば
何か出来る何か出来る

一人の小さな目 何も見えないけど
それでもみんなの瞳でみつめれば
何か見える何か見える

一人の歩く道 遠くてつらいけど
それでもみんなの足踏みひびかせば
楽しくなる長い道も

一人の人間は とても弱いけれど
それでもみんなが集まれば
強くなれる強くなれる


※ここで試聴できます
http://www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=MHCL-37

小学校で習った曲です。思わず口ずさんでしまいました。首里城は少々がっかりだったけど、この日は朝から平和について多くのことを学び、沢山のことを考えさせられました。だけど、私一人の力ではどうにもなりません・・・この歌のように、みんなが協力して初めて世界平和実現へ近づいていくのだ・・・そう思ったのでした。

そんなことを考えながら運転していると、上空を米軍機と思われる軍用機が飛んでいきました。この旅のもう一つの目的が「嘉手納基地を見に行く」というものでした。まだ時間にして13時。そのまままっすぐ北上して嘉手納に向かったのですが、土曜日の日中です。まあ、道路の流れが悪く思うようには走れません。一般道を走っていたこともあるけど、レンタカーだし、軽自動車だし、とにかく無理やり割り込まれたり、嫌がらせされたり、危険このうえありません。

そんなこともあり、結局、嘉手納方向に8キロほど進んだところで断念してUターンして戻ることにしました。帰りも運転中に腹が立つことが多かったけどね(ーー;)

これだけのボリュームで700円でおつりがきます。デザートも沖縄風です♪

遅い昼食はホテル近くの定食屋で(←前夜とは違うお店です)、これまた沖縄っぽい料理を食べました。これだけの量で680円。安いですよね。しかもライスはお替り無料ですし。

おいしかった沖縄料理の数々。

その後、ホテルでうとうとしていると、沖縄在住のKさんとAさんから連絡が来ました。晩御飯は2人に誘われ、近くの居酒屋で沖縄料理を沢山いただくことが出来ました。上の写真がその料理の数々です。一番の発見が、「沖縄で食べるゴーヤが苦くない」ということ。もちろん幾分の渋みはあるけど、北海道で食べるゴーヤとは違い、私でもおいしくいただける渋さでした。

残念ながら閉まっていたバーガーショップ、ジェフ。
メニューをよく見て〜!

おいしい料理を沢山ご馳走してくださったKさん。ご馳走様でした〜☆

3日目
前夜ホテルに戻ったの時間は遅かったけど、6時起床で7時にはホテルをチェックアウトしました。さすが西に位置する沖縄。7時でもまだまだ暗いんです。南北に長いといわれる日本ですが、それと同時に東西にも幅広いということを改めて思い知りました。

こんな朝早くにチェックアウトした理由。沖縄一の観光名所といっても過言ではない、沖縄美ら海水族館まで一気に北上するため。名護での待ち合わせ時間が8時だったんです。朝早いためか、高速道を走る車も少なく、ほぼ予定通りに名護に到着。そこから更にAさんの案内で海洋博記念公園までドライブ。既に、ホテルを出て90キロほどの道のりを運転しています。

ギネスにも載っている世界一の水槽。大きい〜!真下から眺めるサメも巨大!!

世界一と世界初がここにある!がうたい文句の美ら海水族館。何気に水族館や動物園が大好きな私ですが、大阪の海遊館もすごいけど、それ以上の感激でした。もう年甲斐もなくはしゃぎまくり(^_^;)。館内にあるリーフレットもすべてもらい、気がつけば売店で公式グッズを買いまくっていました(笑)

ちょっぴり寒かったイルカのショー。だけど沢山咲いていたハイビスカスは南国!って感じ。

その後、屋外にあるオキちゃん劇場やマナティー館も見学。なんとこれらの施設だけなら無料なんです!次にくるときはもっとのんびりと海洋博記念公園内の施設を見て回りたい、そう思ったHIROでした。それくらいの満足感です☆

沖縄といえば「沖縄そば」。
メニューにスパゲティ(トースト)とあるのが気になります。
だって満員の店内なのに誰も食べていなかったんですもの(^_^;)

気がつくと時計の針は12時を指しています。15時30にレンタカーを返却する約束なので、そろそろ昼食を食べ、那覇に帰らねばなりません(T_T)。沖縄最後の食事はやはり「沖縄そば」。それもAさんお勧めのお店に☆

写真のようにプレハブの建物ということもあり、何も知らない観光客は入らない店かもしれません。ですが、数十人は入る広いお店は地元客で満員でテーブルが空くのを待つ人がたくさん。券売機にも列ができていました。

かんじんの味は・・・「最高♪」(#^.^#)

帰宅後にネットで調べてみると多くのHPで紹介されているお店でした。水族館まで足を伸ばしたのなら、ぜひ立ち寄ってもらいたいお店です。

そばの味で感激したのもつかの間、この日案内してくれたAさんとのお別れの時間になってしまいました。感謝の気持ちを伝えた後、素敵なプレゼントまでいただき、もう感激でいっぱい・・・ウルウル寸前でした(^_^;)

とうとう雨が本降りに。

那覇空港待合室にて。
最後まで沖縄にこだわってみました。

帰り道はすっかり雨模様。来た道を南下してレンタカー会社付近で給油。レギュラーが129円。優遇税制がとられた沖縄。北海道より15円も安いです。

空港に送ってもらったのが定刻の2時間前。ちょっと早すぎたかな?とも思いましたが、慣れない土地だし、水族館からは長距離の運転となるので、まあこれくらいの余裕は仕方ありません。

お土産物屋さんを見て回ったり、中華航空機が炎上した場所を見たりしていると一気に疲れが出てきました。まあ、朝っぱらから知らない道をパワーのない軽自動車で200キロも運転したし、水族館では結構歩いたしね。

羽田までの臨時便はほぼ満席。まあ、臨時便が出るくらいだから当然かも。座席前ポケットが上部に移動した新型シートは初めての経験だったのですが、確かに足元は広いけど、目の前にポケットがあるため、心理的な圧迫感はこれまで以上に思えました。まあ、慣れでしょうけどね。

羽田での乗り換え時間は45分。もちろん制限エリアから出るほどの時間はありません。売店で買ったサンドウィッチを購入し食べようとした瞬間、搭乗口まで来るようにコールされました。別にスーパーシートにアップグレードされたわけではなく、那覇空港でもらったのが従来の搭乗券だったため、2次元バーコードがついた新しいものと交換しただけでした。

搭乗時間も遅れ、滑走路も混雑していたため30分ほどの遅れでの離陸となりましたが、満席の777機はとっても速かった〜!機長の話によるとタイヤに不具合が出たため交換していた様子。その分の遅れを取り戻す分、現在必死にパワー全開で飛んでいます!とのことでしたが、それが言葉のあやではなかったんです。高度も通常より高く、速度も偏西風で後押しされた東向きの国際線用のようなスピードが出ています。結局、千歳には定刻よりやや早い時間に到着。いつもこのスピードで飛んでくれるとありがたいけど、燃費は相当悪いんでしょうね(^_^;)。

こうして初の沖縄旅行は終了。すっかり冬景色の北海道なのに、薄手の上着一枚の私(^_^;)。駐車場までの距離が実際以上に長く感じました。まあ、平和についてや、楽しかった水族館での出来事を思い出しながら歩いていたこともあるのだけどね(*^_^*)


おしまい♪



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