国産唯一の旅客機 YS−11搭乗記 2002.08.31搭乗
            

きっかけ

 航空機ファンではなくとも「YS-11」の名前を聞くと、なんとなく懐かしい思いになるのではないでしょうか。現在までに日本が作った唯一の旅客機です。類まれな丈夫さにより、1962年の初飛行から40年が経過した2002夏の現在でも、全生産台数182機のうち約80機が世界中の空を飛んできます。しかし、老朽化に加え、航空機衝突防止装置(TCASを装備していないため、旅客機としての使命を2006年までに終えることになりました。詳しくは以下の新聞記事をご覧ください。
  

 戦後初の国産旅客機で、1970年代に航空機時代の幕開けを狙ったYS−11型機が日本の空から姿を消すことが決まった。同機は現在、日本エアコミューター(JAC)やエアーニッポン(ANK)の定期便としてローカル線を飛んでいるが、老朽化に加え、2006年から衝突防止警報装置(TCAS)の装備が義務化されることが引退を早めることになった。関係者らからはひと時代を担った「名機」を惜しむ声が上がっている。
 国土交通省は座席数が30席を超える旅客機などについて、今年1月からTCASの装備を義務づけている。YS−11については2006年いっぱいまでの猶予措置が設けられた。
 これを受けて、旅客機として同機を運航するANKは2003年中、JACは2006年までの同機の退役を決定。デジタル装置のTCASをアナログ計器の同機に取り付けるには1機あたり1億円程度の経費がかかるほか、「快適性やスピードの面からすでに時代遅れで、競争力がない」のも大きな要因としている。
 同機の設計には「零戦」など戦前の軍用機の設計に携わった技術者が参加。通産省主導で重工メーカーなどが出資した特殊法人が設計、製造を担当した。
 海外を含め現在も79機が現役。国内では鹿児島以西や東京都などの離島路線、北海道内などで使用されている。
 設計や販売、整備にかかわった関係者らは引退が決まったことに「寂しい。丈夫でいい飛行機だったのに」と口を揃える。「名機」といわれたが、航空会社に納入された当初は、「雨漏りに電気系統のトラブル、足がでないから胴体着陸するなど次から次ぎへと不具合が出た」。1つ1つ設計元に改修要求を出し、3年ぐらいかかって、やっとまともな旅客機になった」という。
 全盛期は70年代半ばから80年代にかけて。信頼性は徐々に高まり、国内の航空会社に重宝されるようになった。老朽化やジェット時代にそぐわなくなったことからYS−11は大手航空会社の路線から姿を消した
(H14.1.9 日本経済新聞夕刊)
          
                                    


 院生時代、1日中YS-11が離発着する丘珠空港にほど近い場所に住み、2年間当たり前のように聞いたあのロールスロイス製ダートエンジンの音。ジェット機主流の現在においては、時代遅れと思われがちがターボプロップエンジンのYSですが、空港から離れたところに引っ越した現在では、あの音が懐かしくすら思えてきます。
 
 また、2002年の7月より丘珠便は順次DHC-8という最新の機材に移管され始めました。そんな郷愁の念と、もう後が無い!という現実から今回のYS搭乗になりました。


※YS-11の名前の由来
  面白いことに諸説があるのがこの飛行機の名前。数あるHPでも様々な解説がなされています。まず、YSとは。これは当初設計にあたった輸送機設計研究協会の「輸送機」「設計」をローマ字読みにした時の頭文字。これは全会一致(笑)。11についての諸説は、


1.輸送機設計研究協会の仕様検討時の案の中から、機体1番で、発動機1番、という説。

2.最初の「1」は搭載エンジンの資料ナンバー、次の「1」は機体案の番号を表している、という説(つまり1の説と“11”の順序が逆)

3.(1の説の)機体の番号1ではなく、1.低翼式  2.中翼式  3.高翼式の1、という説。

4.
最初の1はダート系エンジンの意味で、次の1は主翼面積95u級の意味、という説。


私自身は、以前から4の説だと覚えていましたが結局いまだに真相は不明。第一、YS-11を「YSイチイチ」と読むのが正しいとされていますが、ニュースなどの報道でも「ジュウイチ」ですし、下記のNHK番組で開発メンバーの人達も「ジュウイチ」と発音しておりました。これに関しては初期の設計メンバーだった
東大教授の木村先生が「イチイチ」と読んだためそれに敬意をこめ「イチイチ」と読むのが“通”だとされているようです。なお、YS−11が「横浜杉田で11日に会いましょう」の略だと思っている方。実はそれも大嘘というわけではなく、これは丁度YSのお披露目が行われた場所、日にちで、実際にメンバーがこの「掛詞」をキャッチコピーにしていたらしいです。

 このように、他の多くのHPと同様に実際の搭乗記までたどり着くのに時間がかかってしまいます(笑)。そこで、最後にNHKの
プロジェクトXという番組で放送されたということを紹介してこのセクションは終わりにします。ビデオ化されているようなので、興味ある方は一度ビデオ店に足を運んでみては如何でしょうか?
    

第16回 2000年7月11日放送「翼はよみがえった」(前編)YS-11・日本初の国産旅客機
第17回 2000年7月18日放送「翼はよみがえった」(後編)YS-11・運命の初飛行


プランニング

 8月30日。この日はYSとは非常に関係の深い日でもあります。1962年8月30日、“戦後初の国産機、日本航空機製造のYS−11が名古屋空港を離陸、初飛行に成功”という特別な日なのです。本当のことを言うと予約してから偶然知ったのですが(笑)。だから搭乗は1日ずれた31日なんです(苦笑)

 全日空の超割を利用。次週に疲れを残さないためにあっさりと土曜日に決定。

 次、行き先(笑)。YSに乗れるのならどこでもよかったんです(^_^;)。超割なんで金額はどこに行っても一緒。これが真冬ならオホーツク海に接岸した流氷を見るという別の目的も考えられるますが、8月ということもありそれは却下。結局、帰りの交通手段が確保しやすい函館にしました。バス、JR、もちろん飛行機と、どれでも可能ですからね。

 まあ、実際のところここまでは極短時間で決定しました。一番悩んだのが事前指定できる座席です。YSらしさを味わうのはどこがいいのだろうか?ということになり、あちこちのHPで情報を入手。で、やはり、良くも悪くも振動と騒音が一番酷いと思われるプロペラの真横をゲット!と、いうよりそこしか空いていなかった(笑)。まあ、64人乗りだしね!これまで乗った飛行機でもっとも小型だったのがB767−300だったので、一気に記録を更新(^_-)
 今回は、航空券だけの手配ということもありANAのウェブサイトですべての手続きを完了させました。支払いもカード決済です。マイル特典だった昨年の韓国行きのときよりも手順が多く、慣れない私は時間がかかってしまいました。でも、座席まで事前に決めることが出来、慣れると非常に便利だと思います←慣れるくらい沢山旅行したいものです(^_^;)
 
 帰りの交通手段は1番安価な都市間高速バスをチョイス。これもネットで事前予約を済ませました。


 さあ、これで準備完了!後は、実際に搭乗するのみ!! 今回はどんなトラブルが待っているのでしょうか!?


空港まで

 地下鉄東西線、東豊線を乗り継ぎ栄町駅まで。スムーズに乗換えができ、家を出てからここまでわずか45分でした。ここで空港行きのバスに乗りかえるのですが、待っていた北都交通の空港連絡バスが遅れていたので、違う会社の路線バスに乗り込みました。ここで本日1回目のトラブルが発生(笑) 

 
路線バスのため頻繁に止まるのですが、空港行きというわけではないし、次にどこで止まるのかさっぱり分からないため念の為に早めのバス停でおりました。で、とことこ歩いて行くと空港の真ん前にさっき私が降りたバスが止まってる(-_-;)。。。他の乗客に失敗がばれるのが恥ずかしくて、わざとゆっくり歩いたりなんかりして(笑)


いざ、搭乗

 空港カウンター。う〜ん。。。基本的に1社しか乗り入れていないので何も迷うことなし(^_-)。クレジットカードとマイレージクラブのカードをカウンターに提示し搭乗券をもらいました。インターネットを利用しチケットレスで申し込んだため、やはり実際に搭乗券をもらうまでは本当に大丈夫??と、少々不安でした。

搭乗券

 2階の搭乗待合室で荷物のチェックをして間もなく“機内へのご案内”が始まりました。でも、他の空港と違い本当にご案内なんです。と、いうのは一般的なボーディングブリッジやバス移動による搭乗ではなく、地上係員の方に先導され飛行機まで徒歩で移動なんです(^_^;)

搭乗機JA8735と機体に向かうパイロット

 JA8735という機体レジ番号を確認し、いざYSに!!

 いや〜
タラップを登っての搭乗は今回が始めてです(^_^;)。しかもこのタラップは内蔵式なんです。そう、機内へ折りたたまれて収納されるという便利な代物です。で、実際に乗りこんでみると、飛行機というより観光バスの車内という感じですね。プロペラ真横の3Dという席に座り、あとは離陸を待つだけ・・・なのですが、とにかく蒸して蒸してアツ〜イ。。。A^_^;)。それもそのはず。エンジンが切れているので空調が入っていないのです(笑)。これはYSに乗ったことのある人の間では有名な話です。冬にCAさんがコートを着ていた、なんて話しも聞いたことがありますし。

 ふと、座席前のポケットに目をやると、今まで搭乗したどの機種にも入っていなかった
ウチワ!!!が入っています。そう、それだけ暑いってことです。もちろん活用させていただきました(^_-)←もちろん!?、搭乗の記念にお持ちかえりしてしまいました(^^ゞ

 乗客の搭乗もすぐに終わり、前述の内蔵式タラップが閉まりました。その後
CAさんの実演による救命胴衣の使用法の説明があり、もちろんロールスロイス製のダートエンジンも動き出しました。そうです、あの独特な金属質の音が私の真横で唸り始めました←ただね、やはりCAさんの実演中、席が近いため何度も目が合いなんとなく気恥ずかったです。それに、その若いCAさんがしていた腕時計がナント私のモノと同一だったんです(^_^;)。そんなことに気がつくくらいの至近距離ってことですね♪
 

本当にプロペラ真横でしょ?

※JA8735の履歴
 日頃は全く気にしない機体のレジ番号を調べたのは機齢?を調べようと思ったからです。ネットで調べた情報によると、1969年429が初飛行で、同年5月30日に全日空の手に渡り、1988年4月13日からは現在のエアーニッポンが運行している機材のようです。つまりずっとANAグループで運行されている機体ということですね。
 ネットでは“JA8735”をキーワードにして検索したのですが、やはりYSだけあって多くのページにたどり着きます。その中に気になったページがあるのですが、そこの情報によると、昭和55年12月24日に木更津沖で落雷を受け、機体が中破(゚o゚)・・・右機首部と垂直尾翼に損傷をうけたとのこと。まあ怪我人はなし。それともう一件。平成10年9月.22日、三宅島空港進入中に前脚が固定されず、羽田空港に戻る(^_^;)・・・まあ、33年間も飛んでいるのにこの二件だけのようです。丈夫なことが取り柄のYSらしい履歴ですが、やはり、こういう情報は搭乗前には見ないほうが精神衛生上良いかもしいれません(^_-)


飛行中搭乗記と銘打っておきながらここからがやっと動き出してからの出来事です(^_^;)

 
次第にエンジンの回転数が上がり金属質の高音に混ざり、かなりな低音がしてきました。と、同時にジェット機では考えられない振動も(笑)。ああ、これがYSなんだな〜と思う私(^_^)
 滑走路に向かうのも全て自走です。機体が小さいため非常に小回りが利きます。また、B747などよりもずっと低い位置に座っているため
滑走路の路面状況まで窓から良く見えるんですよ。
 そんなことに感心していると、滑走路端に一瞬停止。 

さあ、準備完了。いよいよ離陸です(^O^)

 エンジン音が更に大きくなり滑走が始まりました。もちろん、ジェット機のような暴力的な加速ではありません。しかし、STOL性能(Short Take Off & Landing、短距離離着陸機)に長けたYS11です。僅か15秒ほどの滑走で離陸。ちなみに一般的なジェット旅客機なら30〜35秒ほどの滑走です。

 南向きに離陸したため右手に札幌の街並みが見えてきた・・・と思いきやすぐに
大きく左旋回。そして石狩湾の方に向かいます。するとどうでしょう。ちょうど真下に、大学院時代に住んでいたアパートが見えてきました。これだから1日中YSのエンジン音が聞こえていたのですね(笑)。もちろんここでパチリと1枚(^_^;)。。。だって、2年ぶりにかつての住みかをみたものですからA^_^;)アセアセ・・・(笑)。

あいの里上空。奥に見えるのは石狩川です


 そしてすぐにまた大きく左旋回。
石狩湾を一望でき、とても眺めが良かったですよ♪・・・というのもそれまで。南下を始めた時にはもう下には雲しか見えません(-_-;)・・・途中、雲の上に頭を出している山が二つあったのですが、標高から考え恵庭岳と駒ヶ岳かなと(^_^;)←山のことはさっぱり分かりません。

 窓の外は雲ばかりなので、機内の印象を報告します。飛行中の騒音。
確かにうるさいです。音の質や音量を例えるなら、おじさん達が愛用する十字の取ってがついたあんま機が耳元!で動いている感じです。オーディオサービスはないので飛行中存分にその音を堪能できます(^_^;)。もっとも、私が座ったのがエンジン至近の席と言うこともあると思います。振動に関してもマッサージ器のあのバイブレーションの連続って感じですね。特に足元の振動が大きいです。まあ、何度も言う通り、好き好んでプロペラの真横に座ったのですから当然です。実際、うるさかったと言っても、隣の席のビジネスマンの方は熟睡しておられましたし、前の席の赤ちゃんもすやすや眠っておりました。もしかすると、あの振動が心地よいのかも
 このように微振動や騒音はかなりのものでしたが、揺れ自体はごく一般的なものです。まあ、これは天候に左右される部分ですし、ジェット機よりも低空を飛行するYSなので、揺れるときはそうとう揺れるのかもしれません。

 機内サービスは雑誌、新聞を持ったCAさんが2回通っただけ。超近距離なのですから不都合も無いですしこのほうが良いと思います。また、国内線ではないことも多い「
ええ〜こちらは機長の○○です」の放送がありました。なにぶん騒音のため良く聞こえなかった(笑)のですが、YSが初飛行から40年。ANKでも来年の3月で引退・・・そのような内容だと思います。

 機内装備など。シートの大きさ、間隔なども
観光バスと同じ感じです。空調に関しても観光バスそのもので、頭上にある丸い吹き出し口を好きな方向に向けることが出来ます。ただ、風量は弱かったです(笑)。その吹き出し口の横には読書灯と、「スチュワーデスを呼ぶ」と書かれたボタンがありました。そのスチュワーデスという言葉に年代を感じてしまいます←実際古いんだけど(笑)

 かなり使いこまれた安全のしおりや初めて目にするANKの機内誌『私の青空』に目を通していると、エンジン音が一気に静かになりました。聞こえて来るのはYS独特のあの金属質な音だけです。と、同時に「
着陸体制にはいりました」という放送が流れました。

 厚い雲の影響で私の大嫌いな、ふわぁ〜ん。。。ふわぁ〜ん。。。という感覚で下がって行きます。だんだんと雲が薄くなったと思ったら、窓の外に函館の街並みがみえました。ちょうど
“くびれ”の部分です←函館に行った人ならわかる表現だと思います。残念ながら雲のため函館山はよく見えませんでした。

 そのままどんどんと高度を下げ、湯の川温泉を過ぎたと同時に無事着陸です。もちろんジェット機が行う逆噴射のようプロペラの逆回転!?なんかありません(笑)。なのでひじょうにやさしい減速感です。

 エアー北海道のDHC6ツインオッターや、NALのフォッカー50など初めて見るプロペラ機を窓の外に見ながら誘導路を進み、そして本日のフライトがまもなく終了です。プロペラの回転も次第にゆっくりになり、4枚の羽がはっきり見える頃にはなぜだか悲しい気持ちにさえなってしまいました。飛行機にもっと乗っていたいとかそう言う気持ちではなく、国産唯一の旅客機として多くのエンジニア達が英知をしぼって作ったこと。また40年近い間に多くの人の夢と期待を乗せて飛びつづけたこと。ボロとはいえまだまだ元気に飛べるにもかかわらずもうすぐその任務を解かれること・・・そんな思いと、今にも止まりそうなプロペラの動きが重なり、なんとも表現しがたい複雑な気持ちになってしまいました。

 でも、すぐに我に返りました(笑)。ボ〜ッとプロペラを眺めていたため、完全に止まったプロペラの向きを調整しに来た整備士の方と目が合ってしまったんです(爆)

 ボーディングブリッジを取りつける必要がないので、内蔵式のタラップが出たと思ったらすぐに「本日もエアーニッポンを御利用頂きまことにありがとうございました」の放送が流れ、名残惜しいYSから降りることになりました。


 以上がYS-11初体験の私の素朴な感想です。我ながらつまらない「感想文」と思いますが、わずか45分、距離にして90マイルです。ほんと、あっという間という感じです。ジェット機よりもかなりの低空を飛行することもあり遊覧飛行という感じでもあります。


 まだ一度もYSに乗ったことのない方で、少しでもYSに興味を持たれた方へ。もし、お時間とわずかなお小遣い(笑)があるのなら、後世に語り継ぐべく、実際に搭乗されることをお勧めします。もちろん、私はANKやJACの回し者ではありません(^_^;) 
 30年前の家電製品を考えてください。30年前の車を思い出してください。YSはそんな時代からずっと飛びつづけてきたのです(^_^)


帰路のできごと
 
 そのままバスで帰りました、とはならないんですよ(^_^;)。今乗ってきたYSは30分後に再び丘珠に向けて飛び立ちます。そんな予定ではなかったのだけど、自然と3階の展望デッキに足が向いてしまいました。するとどうでしょう。カメラを携えた数人がYSの写真を撮っていました。その後、前述のツインオッター、フォッカー50に続き、YSが飛び立ち、雲の中に消えるのを見届け、展望デッキを後にしました。

ランウェイをバックに


 空港での滞在時間は2時間ほど。食事とお土産の購入を済ませ徒歩5分ほどの帰りのバス乗り場まで移動です。わざわざ函館まで行って街並みを歩いたのはこの移動の5分間だけA^_^;)アセアセ・・・。

 バスには6時間近く乗ることになるのですが、途中一度高速道路のSAでトイレ休憩もあり、また、バスそのものにもトイレがついております。時間は特急の倍近いけど価格的にはだいたい半額です。
 土曜日ということもあるのか10人ほどの乗客でした。ちなみに座席は指定です。席も広々と使え、またとても静かで快適でした・・・と言いたいところだけど、通路を挟んだ席の30才代の男性客がまるでバス遠足のような感じでたくさんのお菓子をもっているんです(@_@)。そしてその食べるペースが速いこと、速いこと(゚o゚)。甘党の私はお茶以外なにも持っておりません(-_-;)。いや〜羨ましいというか、なんというかまるで拷問のように思えました(T_T)。本当のことをいうと、お土産の包みを何度も開けてしまいそうになりました(苦笑)

 車内放送の「ハリーポッター賢者の石」のビデオが終わる頃にはSAに到着。もちろんお菓子を購入!!すべく真っ先に降りました(笑)。すると、例の彼も降りてさらなるお菓子を物色中(-_-;)・・・まずい、まずい。。。今度は負けないぞ!と訳のわからない敵意を感じたものの、お菓子を買うくらいなら夕食を食べようという、なんとも貧乏性丸だしの結論に達しビーフカレーなんかを頼んでしまいましたv^_^;)

 再び車内に戻り、「新・逃亡者」のビデオを見終わる頃には札幌市内に到着です。ここでまたしてもトラブル発生。国内線の飛行機のような聴診器型のヘッドフォンを外してしばらくしてから、耳に違和感が・・・???と思い触って見るとなんとヘッドフォンの部品が外れて耳に残っていたんです(苦笑)。このまま降りたのなら通行人に笑われるとこでした。まあ、そんなことにも気がつかないほど疲れていたってことなのですが、地下鉄バスセンター駅のところで降り、とことこと改札口に向かうも一向に改札口にたどり着きません(^_^;)。はじめての駅なのでよく分からなかったということもあるのですが、気がつけば一区間先の大通り駅まで歩いてしまいました。疲れているにも関わらず数百メートルも地下道を歩いた私でした(^_^;)

 家に着いた時間はちょうど21:00。朝家を出たのは10:30です。その間ただひたすら交通機関に乗っていただけですが、非常に充実した1日だったと思います(^O^)

     

これが後継機、デハビランドDHC−8


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