広島旅行記 2003 晩秋
2003.11.212003.11.23

広島到着まで  平和記念公園  宮島  二日目の夜から帰宅まで


 2日目の朝。10時にそごうで待ち合わせでしたが、9時過ぎにはホテルを出発しぶらぶらと歩いて向かいました。札幌とは確実に違う街並みです。一つの発見が、赤信号の横断歩道を渡ってしまう人が少ないことです。札幌が多いのかもしれませんが、広島のほうが少ないのが印象的でした。当然のことなんだけどね。

  開店前でも多くの人が待ってました。

 Aさんと合流後、まずはこの旅一番の目的である平和記念公園に向かいました。そごうから歩いてすぐ、広島市民球場が右手に見えてきました。こんな町中にあるんだ〜と思った次の瞬間に、あの原爆ドームが視界に飛び込んできました。思っていたよりも近くで見ることができ、また広大な平和記念公園の中にポツンと立っていると(勝手に)考えていたのですが、実際には市民球場のすぐ近く。いや、繁華街のすぐ近くにあるのに驚いてしまいました。逆の見方をすると、人々で賑わう市街地が爆心地であったことを物語っているのです。 

   市民球場。コメントは特になし(笑)

 感想はと言われると・・・。言葉では言い表すことができません。写真も数枚とりましたが、それ以上に自分の目でじっくりとその痛ましい姿を見て、脳裏にしっかりと焼き付けたのでした。

           右は世界遺産に選ばれたことを記している石碑です。

 原爆ドームの周りはもちろん平和記念公園です。まずはレストハウスに向かい生花を購入しました。このレストハウスはかつては「燃料会館」という名前で、被爆当日、この建物には37人が勤務しており、そのうち8人は傷つきながらも建物を脱出しましたが、たまたま地下に書類を取りに下りていた1人を除きその後全員死亡したのであった・・・と事前に調べて知っていたため、その中に自分で入ることができることもあり、外観を見るだけの原爆ドーム以上に重たい気分になってしまいました。レストハウスのすぐ前を流れるのは元安川。被爆後に水を求める被災者が多数飛び込み、また無数の死体が流されてきた川でもあります。もう言葉を失いかけていました。いや、この旅行記を書いている1週間後であってもため息が止まりません。涙が流れ落ちそうになってしまいます・・・。
 その次に向かったのは爆死没者慰霊碑。先ほど購入したお花をあげ、精一杯の気持ちでお祈りしてきました。

     正面に原爆ドームが見えます。

 その後は峠三吉の石碑に立ち寄り、最後に向かったのは原爆資料館です。涙もろく、そして怖いものが苦手の私は1人ではけして入ることのできない場所ですが、Aさんが一緒に入ってくれるということもあり、自分自身の勉強のために入館しました。

 ちちをかえせ ははをかえせ
 としよりをかえせ
 こどもをかえせ
 わたしをかえせ わたしにつながる
 にんげんをかえせ
 にんげんの にんげんのよのあるかぎり
 くずれぬへいわを
 へいわをかえせ
                   峠三吉
                            峠三吉の石碑。裏面は英語訳がありました。

 数々の写真、ジオラマ。そして現物展示・・・。私だけではなく、世界各国から訪れている方々が無言でそのすさまじい光景に胸を打たれていました。「恒久の平和を念願する」・・・日本国憲法の前文に書かれた文言ですが、まさにその通りだと思いました。

                左から、被爆した三輪車。熱で溶けたガラス瓶。そして「黒い雨」が降った白壁。


 資料館を後にした我々は、最後に「原爆の子の像」に立ち寄りました。全国の方々が平和を祈願して折った無数の千羽鶴が吊るされています。先日、ある大学生がこの鶴に火をつけるという信じられない事件が起こったのですが、そのためか監視カメラが付けられていました。平和を祈願するこの場所に放火をするなんて信じられません。怒りを通り越して悲しみの気持ちでいっぱいになってしまいました。

2歳の時被爆し10年後に白血病を発病して亡くなった佐々木禎子さんの
死に衝撃を受けた同級生達が全世界に呼びかけて作ったものなのです


 決して楽しい場所ではないこの平和記念公園。しかし、数年後、いや数十年先になるかもしれませんが、もう一度訪れ、再び平和について考えたい、そう誓ったのでした。
 みなさんにも広島を訪れることがあったらぜひ訪問して欲しいですし、本心をいうと、平和記念公園を訪問するために一人でも多くの方に広島に行ってもらえたらな、そう思うHIROなのでした。特に中学、高校の見学旅行、修学旅行で訪問してもらいたいと思います。


広島到着まで  平和記念公園  宮島  二日目の夜から帰宅まで


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