韓国ソウル・板門店旅行記 2005年
2005.8.112005.8.13

はじめに   1日目   2日目   3日目 


板門店ツアー
 
朝目が覚め時計を見ると、まだ5:00。まあ、日ごろから5:00に一度目がさめるのですがね。2度寝しようかと思ったけど、7:30には出発をしないと旅行会社があるロッテホテルに8:20までにつけません。とはいえ、することもなく、6:30にセットした目覚まし時計が鳴るのを待っていたのですが・・・時間になっても鳴りません。あれ?と、思い軽くたたいたら鳴りました(^_^;)。まったく役に立たない目覚まし時計です←旅行用に使っている小型の目覚ましなのだけど、某有名国内メーカー製なんですがね〜(^_^;)
 朝食なんて出るはずもないところに泊まっているので、朝食は某、固形タイプのバランス栄養食(^_^;)。海外に行くときにはいつも持参する必需品です。宿泊先が地下鉄の鐘路3街駅に近いところだったので、7:30に出ると8:00にロッテホテルに到着する予定でした。いや、勝手な見積もりでした。あまり深く考えずに、鐘路3街→市庁→(乗り換え)→乙支路入り口と乗り継いだのだけど、駅の広いこと、広いこと。いや、正確に言うと、多数の路線が入り組んでいるため、駅名は同じでも、違う路線のホームとはかなり離れているんです。実際、7:30に地下入り口にたどり着いたけど、1号線の鐘路3街ホームから乗車したのは7:50過ぎ!冷房の効いていない地下通路をずっと歩いたため、既に汗まみれ。市庁でも同様に通路を歩き、今度は4号線で乙支路入り口に向かいます。乙支路入り口で下車するとそこはもうロッテデパートの地下なのですが、隣にあるロッテホテルに着いたのは既に8:10でした。疲れた〜というより、暑かった〜!

ソウルの地下鉄について
 ソウル市内は地下鉄での移動に限ります!と、言うくらい、くまなく市内中心部に路線があります。また、路線と路線との乗り換えも多くの駅で出来るようになっています。まあ、上に書いたように違う路線のホームまでは結構歩くことも多いけど。これまで、日本や他のアジア諸国のいくつかの街で地下鉄に乗ったことがあるけど、ソウルが一番地下での歩く距離が長い気がします。以前調べた本によると、戦争が再び始まった場合に、万が一攻撃されても大丈夫なように地下の深い場所にホームや通路があるとか。ちなにみ、道路の幅が広いのも滑走路として使用することも考えてのことらしいです。
 そんなソウルの地下鉄ですが、券売機だけ少し注意すると後は無問題だと思います。具体的には、駅によって
2種類の方式の券売機があり、1種類は日本と同じで先にお金を入れて、次に希望の金額の切符のボタンを押す方式。もう一つが、先に希望の額の切符のボタンを押してからお金を入れる方式。確か、台湾もこの方式でした。まあ、この方が「あといくら必要か?」というのがカウントダウン式に表示されるので慣れると使いやすいかも。

なお、路線の乗り換えの案内や、出口の番号などは上の写真のように簡単な英語でも表記されています(各駅停車前の車内放送も韓国語と英語の両方で行われます)。また、改札口付近や地上への出口には必ず詳細な地図があるので、行きたい場所至近の出口番号が分かるはずです。
 以前行った時は、下の写真のような力ずくで回転させる方式の自動改札が多かった気がしたけど、今回気にしていろんな路線に乗ってみると、日本と同じような、エラーが出たらバタン〜!と来るタイプが多くなったような気がします。

自動改札口と、長〜い連絡通路。ちなみに、路線毎に異なったアートを取り入れています。

 2階にある板門店トラベルに着いたら、結構な人が列を成して待っていました。前日にリコンファームが必要とのことだったので、日本から事前に電話しておいたのですが、ちゃんと予約されているか少々不安。ネット通販の代理店を通して料金を振り込んでいたのだけど、もしこの場で再び請求されたらどうしよう?とも考えてしまいました。結果的には、何1つ問題がなかったのだけどね。

噂どおり意外と分かりづらい場所にありました

 夏休みのためか、今日のツアーは日本人のみでバス2台。事前情報では、人数が少ない場合他国の人と一緒になることもあるとか。時間に遅れた人がいたため、やや遅れての出発になりましたが、ガイドの李さんは、なんとも温厚な女性。日本語も堪能。板門店までは「南北統一」がなされた時、南北をつなぐ為に作られたという自由路という道を経由して距離にして60キロほど。途中高速のサービスエリアで1度のトイレ休憩がある以外はノンストップで板門店にむかいます。ツアーが始まる前には、「結構長距離だし、1人での参加だから退屈かな?」と心配したけど、実際には、ガイドさんがずっと朝鮮戦争や板門店について説明してくれます。また、道路沿いにある有刺鉄線や、国境近くの監視所などについても丁寧に説明してくれました。韓国を流れている“漢江(ハンガン)”と北朝鮮との境界線になっている“臨津江(イムジンガン)”の間が僅か200メートルという場所もあり、北朝鮮から泳いで侵入を図ったこともあるため、有刺鉄線が幾重にもなり、かつ多数の警備が配置されているとのことでした。

  サービスエリア停車中にパチリと一枚。

出発から1時間ほどの、統一大橋というところで一度バスから全員下車しないといけません。パスポートのチェックがあります。当然そこは既に民間人立ち入り禁止区域です。その先の道路にはスピードが出せないようにするための障害物が置かれていたり、戦車止めといって、北朝鮮の戦車が攻めてきた場合には破壊して障害物とするべく、陸橋のようなものが道路上に設置されています。程なく、国連管轄下の軍事キャンプであるキャンプ・ボニファス(Camp Bonifas)に到着します。ここで、国連軍のバスに乗り換え。もちろん、ただ乗り換えるだけではなく、国連軍のジープがバスを先導し、バス車内にもアメリカ軍兵一人が乗り込みます。 

 この国連軍のバスは、出発するとすぐに停車して全員が下車します。そこでJSA(Joint Security Area)についての注意事項と、ブリーフィングを受けることになります。本来は国連軍の人が説明するらしいのだけど、日本語が話せないということで、我々のガイドさんがそのまま説明をしてくれました。スライド付きで非常に分かりやすかったです。あ、そうそう。説明を受けたその場所で、宣言書も書かないといけません。A4版でびっちりとかかれているのですが、一番最初の項目が、「敵の行動によっては危害をうける、又は死亡する可能性がある」なんです。事前に調べて知ってはいたとは言え、「死亡する可能性がある」という宣言書に署名するのはやはり、ことの重大さを考えずにいられません。署名後には再びUN軍のバスに乗車です・・・が、動き出してすぐに再び停車し、同乗のアメリカ軍兵士が飛び出していきました。ガイドの説明を聞くまでもなく、ことの重大さに気づきました。有刺鉄線が張り巡らされた小さなグラウンドがあったのですが、そこで10人ほどの小さな子供たちがボール遊びをしているんです。有刺鉄線だけでも危険なのに、有刺鉄線の向こうには地雷が埋められているらしいんです。そんな危険な場所で遊んでいた子供たちを、兵隊さんが放っておくわけがありません。あ、そうそう。この子供たちは私たちとは別のツアーで来ている団体の子供たち。軍事境界線には10歳以下の子供たちは入れないため、キャンプ付近で子供だけ残されてしまったとのことでした。

 再び動き出して後もいろんな説明を聞きました。こんな緊張感の高い危険な場所でも農業を営んでいる韓国の人がいるらしんです。ただ、この付近は世界で最も多くの地雷が埋められている場所らしく、雨の後などには地雷が流されて怪我をしてしまったことも少なくは無いらしいんです。そんな畑の写真を撮りたいと思っても、勝手な行動が一切出来ません。JSAに入ってからは撮影禁止の場所が大部分だと思ったほうがいいです。バス車内で立って歩くこともできません。兵隊さんはずっと我々の動きをチェックしていますしね。では、JSAエリア内で撮影した写真をご覧ください。

自由の家」から北側を臨む。
ガイドブックでよく見る写真ですよね。
板門閣」。北朝鮮の建物です。中国人らしい団体客の姿がみえます。彼らがいたので私たちは本会議場に入れませんでした。
両国の中心に立つ「本会議場」。本来はここにも入ることが出来、建物内に限っては北朝鮮内にも立ち入ることが可能なんです。
同じ姿勢のまま警備をする国連軍兵士。
手前の国連軍(韓国軍)兵士は身体を半分だけ建物に隠しています。身の安全と警備の両立のためとのこと。写真中央に横向きに立っているのは北側の兵士。すごい緊張感です。
南側の兵士はこのように、みなサングラスを着用しています。
北朝鮮兵と目が合い、トラブルになるのを防ぐためとのこと。

 軍事境界線近辺の歴史的な詳細説明は他のホームページに譲ることにし、ここでは私個人の感想や印象を述べたいと思います。今回は残念ながら北側の観光客が来ていたため、本会議場には入ることが出来ませんでした。ガイドの李さんがアメリカ人兵士に「もう少し待っていたら入れるのでは?」と英語で懇願していましたが、「もうそんな時間はない!」と言われてしまっているのがわかりました。とはいえ、目の前に広がる光景。私にとってはそのどれもが、歴史の教科書の中の項目の1つでしかなったのですが、この国境があるがために、また、今なお休戦状態が続いているために、離散家族問題や、北朝鮮の厳しい生活などの問題が解決できないでいるんですよね。
 休戦状態とは言っても、JSAの中では北側にいる人に対して手を振ることも、指をさすことも禁じられています。それは「私を狙って打ってください!」の合図になるとのことです。広島の原爆ドームを行ったときに感じた平和の大切さとは違う、今なお続く戦争に対していろいろと考えさせられたHIROなのでした。この素直な感想を、平和な世の中で暮らす日本の若者に伝えていきたい、そう思います。

写真中央のコンクリートの線。これが南北の境界線です。
この国境がなくなる日が早く来るといいですね。

 再びバスに乗り移動します。天気があまりよくなく、はっきりとは見えませんでしたが、北朝鮮を眺めることが出来ました。暖房などに使ってしまうため、山々に木が少ないのも確認できました。

あいにくの曇り空ですが、北朝鮮の国旗掲揚塔です。高さ160mで世界一の高さです。
旗の周囲が「気静洞村」。誰も住んでいないのに、北朝鮮の生活の豊かさを見せつけるべく、夜になるとこうこういと明かりが灯るため「北朝鮮の宣伝村」といわれています。
ポプラの木の跡」(バスの車内より)。米軍の兵士二人が北朝鮮の兵士に斧で切り殺された「ポプラ事件」があった場所です。
帰らざる橋」(バスの車内より)。1953年の朝鮮戦争停戦時に、両軍の捕虜たちはこの橋をわたっていずれかの国に帰ったとのことです。
国境近くにたくさん生息していた白い鳥たち。人間も、鳥のように自由に南北を行き来できる日が早くきてほしいです。いや、南北という言葉自体、使わないですむ日が来てほしいですね!

キャンプ・ボニファスに戻ると、なんと、ブリーフィングルーム横のあるお土産屋さんに寄るんですよ。へぇ〜こんなところにお土産屋さんねぇ〜と、驚いてしまいました。誰を相手に商売しているのでしょうか!?とりあえず、店員さんたちは日本語が堪能でした(^_^;)。さて、お土産屋さんの後は国連軍のバスから元のバスに乗り換え、ソウル市内に戻る途中にある「自由の橋」に立ち寄ります。ここで10分間だけの自由時間

自由の橋」は臨津江(←川の名前です)を渡る唯一の橋なんですって。1953年に休戦協定が締結された後、戦争捕虜約1300人がこの橋を通って帰って来る際に「自由万歳」と叫んだことから、「自由の橋」と呼ばれているとのことです。
望拝壇」。ここから先は軍事管理区域になっているため、韓国人であっても自由に先に入ることはできません。

 バス乗車後はすぐ近くのレストランに立ち寄り、そこでプルコギの昼食。昼食時には既に13:00となっていました。実は、韓国は3回目ですが、肉料理があまり好きではないので、これがはじめての本場での焼肉体験だったんです(^_^;)。知らない方との同席だったこともあり、気まずい思いをしながらの食事でしたが、とてもおいしくいただくことが出来ました。
 非常に貴重な経験が出来た今回の日帰りツアー。現地で支払うとW70000です。私はネットでのみ運営している代理店経由だったので日本円で7500円でした。今のレートを考えるとほとんど同額です←帰国後に見てみると、最近値上がりしたようです。為替変動のためですね。最初から日本の大手代理店に頼むと9000円とか1万円とかかかるらしいですが(^_^;)。なお、ソウル市内に着いたのがちょうど15:00。予定通りの時間でした。他社でも同様のツアーを企画していますが、出発が遅いため、市内に戻ると17:00になってしまいます。私のように時間が限られている場合には、朝は少し早いけど、板門店トラベルのツアーに参加したほうがその後の時間を有効に使えると思います。

市庁、世界遺産の宗廟、トケビストームの公演

     韓国国旗で覆われた市庁舎。

 ロッテホテルでバスを降りて真っ先に向かったのが、と言っても目の前なんだけど(笑)、ソウルのシンボル的な建造物である、市庁舎。でも、いつもとは様子が違います。そうなんです、無数の国旗で覆われているのです。ただ、そのときは「何かのお祭りの準備かな?」くらいにしか思いませんでした。ステージのようなものも作っていたしね。ですが、帰国後に調べてみると・・・

ソウル市 韓国旗で庁舎覆う 植民地解放60年を記念
【ソウル支局】韓国・ソウル市は、日本の植民地支配からの解放60周年を記念し、韓国旗計3600枚で市庁舎全体をすっぽりと覆った。市庁舎は、日韓併合後の1926年に日本が建設した旧京城府庁舎で、市民に植民地時代の苦悩と解放の喜びを思い出してもらうのが狙いだという。解放記念日(光復節)翌日の16日まで続けられる。
 李明博・ソウル市長は「解放60年とこれからの60年の希望を表現するため」庁舎を覆ったことを明かし、さらに「日帝時代の市庁舍に太極旗を覆いかぶせている姿を、市民たちが見ることで多くのことを感じてほしい」と訴えた。正面玄関には大型旗1枚も掲げられ、訪れた市民らが記念撮影などをしていた。
 日本が植民地統治の拠点として景福宮の前に建設した旧朝鮮総督府庁舎は、「解放50年」の95年に撤去されている。警察当局は小泉純一郎首相が今後、靖国神社に参拝する可能性があることから、大規模デモへの警戒を続けている(毎日新聞の記事より)。

 地下鉄の市庁駅に向かう途中、地下街で多くの戦時中の写真が展示されていました。モノクロ写真で、かつ説明がすべてハングルで書かれていたために、第二次世界大戦の写真か、朝鮮戦争の写真かはわかりませんでしたが、戦争に巻き込まれたと思しき若い民間人女性の死体の写真など、惨いとしかいいようのない悲惨な写真が展示されていました。板門店帰りだったため、もう泣きたい気持ちでした。おそらく、上の新聞記事から考えると私が見たのは第二次世界大戦中の写真だったのでしょうね・・・戦争は悲しみと苦しみしか残さない、そう考え、世界平和を願うHIROなのでした。

 時間にしてまだ15:00過ぎ。そういえば、トケビの公演を電話で申し込むときに、「16:00の公演もありますよ」と言われていました。ホームページには記載されていないけど。日本を出る前から不安だったので、確認のため予約センターに電話してみると(日本語で大丈夫です)、やはり手違いでNANTAの公演が予約されてました(^_^;)。もちろん、トケビに予約しなおしました。これで安心して20:00まで自由に過ごせます。南大門市場に行ってお土産を購入しようかな?とも思ったけど、前回の訪問時に、現地人に着ていたダウンジャケットを獲られそうになったため、良い思い出がありません。そんなこともあり、のんびり故宮でも見て回ることにしました。
 地下鉄を乗り継ぎ、最初にむかったのが、1405年に正宮である景福宮の離宮として建造された宮殿で、世界文化遺産にもなっている昌徳宮。まずは敦化門でパチリと一枚。で、中に入ろうと思ったのだけど、その時間は韓国語の案内しかありませんでした。ここは他の故宮と違い、自然と建物保存のために決まった時間だけ観覧できるようになっているとんです。そのため、日本語、韓国語、英語・・・それぞれのガイドさんの案内に従って観光しないといけません。所要時間はなんと1時間半!!夜まで時間のある自分にはぴったりだと思って行ったのですが、韓国語で案内されても・・・ですよね(^_^;)。せめて英語でも、と、思ったけど、やはりその時間にはありませんでした。まあ、ここはいつかまたソウルに来たときに来ることにします。

※地下鉄の車内での出来事
 車内でちょっとしたトラブル!?がありました(^_^;)。地下鉄の路線図を片手に乗車していると、なんともナヨナヨした韓国人男性が近寄ってきます。それも妙に接近して・・・汗。来たかと思うと、なぜか英語で質問してきます。

:What is your occupation in Seoul?
仕事なんかしてないよ〜!!この格好だし、日本語のガイドブックを持ってるから日本人だってわかるでしょ!!!I am a tourist from Japan.
奴:?!?!?・・・Where do you live in Seoul?
私:だから、日本から来たんだって!!I am from Japan.
奴:!?!?!?!L・・・I・・・V・・・E、LIVE!!!
私:しつこい奴だな・・・無視(^_^;)
奴:Where do you go?
私:面倒くさいな・・・地図に指差して終わりにしよう・・・で、無言で昌徳宮を指差す私。
奴:・・・??Oh!! I live in it!!
私:はぁ?なんで、あんた世界遺産の中に住んでるの!?
 
うさんくさいし、超気持ち悪い奴から離れるべく、そのとき偶然止まった地下鉄の駅で、扉が閉まる瞬間に飛び降りた私(笑)。振り返ると、奴は車内で何か叫んでいます(^_^;)。ばいばい〜(^.^)/~~~。悪い人ではないのかもしれないけど、全く会話が成立しないし、なんたって、身体を密着されて気持ち悪いのなんのって。同姓でも手をつないで歩くことがある韓国とはいえ、以前トラブルに巻き込まれているため、怪しい人物には近づきたくないのでした。


               15:45に着いた私。あと15分早いと英語ツアーに間に合いました(^_^;)

 仕方ないので、そのまま徒歩で南下して同じく世界遺産の宗廟にむかいます。10分ほどだったでしょうか、下町の町並みを見ているとすぐ到着しました。この宗廟も世界文化遺産に指定されています。ここには李氏朝鮮時代の27代の歴代の王と王妃が葬られています。遺骨ではなく、神位(位牌)だけですが。

     宗廟。壮大な大きさで、全景を写すことは不可能でした(^_^;)。35mmカメラ相当で16mm位のレンズが必要と思われます。

チケット売り場でW1000を払い中に入ります。入ってすぐに、「何人(なにじん)?」と聞かれました。英語、日本語、中国語のパンフレットが用意されているんです。そのパンフレットを手にしつつ広い敷地を散策しました。板門店のところにも書いたのですが、高校時代に日本史も世界史も習っていない私は歴史的な背景などまったくわかりません。ただただ、雄大さ、壮大さを感じるだけでした。途中に、ベンチに座り、鳥のさえずりを聴きつつ、お茶を飲んだりして休憩。実は私、異国の地で、何も考えずにの〜んびりと休憩するこの瞬間が大好きなんです。まさに至福の瞬間です。
 休憩時間をあわせて約30分の所要時間の後、5時近くになったため、一度宿泊先に戻ることにします。そのときに下の写真のような「ほぉ〜(^^♪」と心和む光景に出くわしました。そういえば同じ光景に、昨年北京に行ったときや、3年前に台北に行ったときにも出くわしました。歴史的な建築物などが、今なお市民の、それもお年寄り達の憩いの場になっているのはとっても素敵なことだと思います。

 多数の年配の方々。みな囲碁に夢中です

 宗廟から宿泊先までは徒歩で10分ほど。ですが、まだ17:00時で時間がたっぷりあるので、あえてあちことに路地をぶらぶらして帰りました。ガイドブックにも書いているとおり、鐘路エリアは路地に入るとまさに「下町!」って感じで、ですが、メインストリートを歩くと「若者の街」という印象を受ける場所です。ただ、観光客よりも地元の人が楽しむエリアであり、ハングルも韓国語も苦手な私は、何を見てもチンプンカンプン。次来るときまでに、少しでも勉強しないとなぁ・・・(^_^;)

 宿泊先でシャワーを浴びて着替えをした後は、再び地下鉄に乗りトケビの公演を見に行きます。
以前のNANTA専用劇場がトケビの劇場になっているため、場所もすぐわかりました。チケットを購入した後、近くの食堂に入りビビンバの食事。ビビンバに、スープと、キムチ、玉子焼きのおかずがついて僅かW3500でした。味は今一だったけど(笑)。

 公演は全部指定席。偶然なのですが、1年半前にNANTAを見たときと
まったく同じ席でした。そう、今回もVIPシートなんですねぇ〜。前回はノーマルシートの料金でVIPがあたってラッキーだったけど、今回はノーマルシートを頼んだつもりが、いつの間にかVIPシートの予約になってしまってました←支払い時にちょっぴり焦りました(笑)。まあ、国際電話だったり、日本語での予約だったりしたので無理もないけどね。差額はW10000だから、良しとします。

 公演そのものは、NANTA以上に音楽性を重視しているように思います。
サムルノリの基本である、4人一組での演奏中心でしたし。でも、個人的な感想をいうと、ショーとしてみるとNANTAのほうが面白いです。キッチンという限られた場所で、限られた道具を使ってのNANTA(漢字で書くと乱打となります)ですからね。それに比べると、トケビは次から次にいろんな道具が出てきて、演奏自体はNANTA以上に楽しめます。なので、何を重視するかで観る公演を選ぶといいかな?というのが結論です。なお、どちらも観客参加型でステージとの物理的距離以上に、精神的距離が近く感じられる公演になってます。

楽器も展示されています。また、公演終了後にはサイン会も開かれてました。

 宿舎に戻ったのは23:00頃。平和について多くのことを考えさせれたり、素晴らしいものをたくさん見ることが出来た長い一日で、結構疲れていたため、シャワーを浴びてすぐにベッドに移動しました。

トケビ公演中にステージから降ってきたキャンディー
VIP席らしく6個も取ってしまいました(^_^;)
6個?はい、1つを食べながら撮影しています(笑)

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