2.言語環境

<目次>

2-1.国語、公用語、標準語
2-2.シンガポールの歴史
2-3.言語政策
2-4.言語環境

この章の参考文献


2-1.国語、公用語、標準語

 
我々日本人にとって非常に難しいのがこれらの語の定義ではないだろうか。たいていの者は生まれた直後から両親が話す日本語を耳にする。そして日本語を母語として育ち、友人との会話も日本語、学校教育でも日本語を媒介にして行われる。初めて外国語に接するのは中学入学後。だが、多くの場合、日本語を媒介にして習うことになる。
 そんな我々日本人は、国語、公用語などというのは多くの場合
イコールで結ばれた等価なものとして考えがちではないだろうか。ここではシンガポールの言語環境を考察する前段階として、これらの語に着目していきたい。

国語

 
国語という言葉を聞くと、多くの人が国語の授業を想像するのではないだろうか。我々の大部分は国語=日本語という関係を思う浮かべるともう。あるいは、当たり前過ぎてそう言われて始めて気がつく人も居るのではないだろうか。しかし、これは日本という環境でのことであり、アジアの現状を考えると日本の方が特異であるといえるのではないだろうか。
 シンガポールの憲法ではでマレー語が国語とされている。国家もマレー語で歌われている。だがこれはマレー語を母語とする人も割合が多いという理由ではなく、かつて共にマラヤ連合を築き、そこから分離独立したという歴史的背景によっている。
 そのためシンガポールの学校では
国語の授業はない。もちろんマレー系住民の母語の授業はマレー語ではあるがそれは趣旨は違う。
 つまり、シンガポールでは
儀礼的にマレー語が国語とされているのだ。

公用語

 
我々日本人にはなじみの薄い言葉であるが、国家権力によって公的に認めれた言語のことである。シンガポールを例にすると、英語、マレー語、タミール語、そして中国語(マンダリン)の四つである。公用語の大きな特色は、「公的機間では原則的にすべての公用語での意思疎通が可能である」ということだ。シンガポールの街を歩くと、4つの言語で書かれた標識や案内を目にすることが多いのはそのためだ。

標準語

 
我々が日ごろ標準語というと、その対極に方言というものが存在している。つまり我々は標準語を規範的な言語として捉えている。例をあげるならば放送メディアで用いられている言葉となろう。だが、シンガポールなど多言語国家ではその捉え方が異なってくる。公用語とは違い公的に認められた訳ではないが、社会から受け入れられた言語として捉える必要がある。

 東京方言を標準語として、それが国語であり、公用語でもあるこの日本という環境。そこにいる我々
日本人にとっては理解しづらい東南アジアの言語環境や言語政策。

次の節では、シンガポールの言語使用状況の現状をセンサスの統計から分析し、そこから
英語の地位や役割について考察して行きたい。


2-2.シンガポールの歴史
 
 
1819年に英国東インド会社のスタンフォード・ラッフルズがシンガポールに上陸した時、シンガポールの人口は僅か150人だったとされる (大原、1997) 。しかし、その後地理的な優位性を最大限に活かし、急速に自由貿易港として発達していくことになる。それに伴い多くの移民がシンガポールにやって来た。1950年代に移民が制限されるまでは人口増加の主たる要因はこれらの移民であった。

 移民の大半を占めたのが中国人、マレー人、インド人であった。しかし、中国語の発音は方言によって互いに意思疎通が不可能なほど異なっている。インドはシンガポール以上に多種多様な言葉が話されている。これらの移民が文化や宗教、母語を母国から持ちこみ、結果として現在のような複雑な多言語・多民族の複雑な環境をシンガポールにもたらした。まさに
文化の坩堝である。

 英国統治時代、英政府はシンガポールの住民達に英語を押し付けるという言語政策はとらなかった。そのため英語教育はごく一部の特権階級に属す者のみが享受できるものであった。

 この当時、中国系の大多数を占める福建省出身者の母語である
福建語が共通語的な役割を担っていた。マレー系住民の中にも商取引の必要性から福建語を用いることができる者が多かったとされる。また、日常会話においては中国系、マレー系ともにピジン化されたマレー語であるバザール・マレーを用いていた。政府による具体的な政策がとられなくとも、日々の生活の上での必要性から、これらの言語がリンガフランカしての役割を担っていたのである。では以下で、このような状況を鑑みて、シンガポール政府がどうようにして国家を統合し、さらなる発展を遂げっていったのかを言語政策、言語教育を中心に考察していく

シンガポールの歴史(言語政策に関わるもの)

1819  スタンフォード・ラッフルズ上陸(当時の人口は約150)。以後、自由貿易港として発展する。
1919  中国系移民の教育言語が華語(北京語)になる
1942   日本による統治が始まる(〜1945
1945   再びイギリスによる統治が始まる(独立ナショナリズムの萌芽
1959   英連邦内の自治州として独立(国語はマレー語。言語政策
1963  マレーシア連邦成立
1965   連邦からの分離独立(英語、華語、マレー語、タミル語が公用語。言語政策が始まる)
1979   Speak Mandarin Campaignが始まる
1980  能力別言語教育の開始(日本、台湾、フランス、イギリスを参考にする)
1991  教育制度改革(ドイツ、日本、台湾を参考にする)
2000  Speak Good English Movement開始


2-3.言語政策

 前述のように、英国統治時代、英語教育は特権階級に属す者のみが受けることができるものであった。もちろん英語は「
イギリス統治時代の贈り物(Gift)」としばしば称されることからもわかるように、現在の英語重視の言語政策や言語環境の大きなきっかけになったのは言うまでもなかろう。英語以外の言語に関してこの時代で注意しなければならないのが1919年に中国系移民の教育言語が華語になったことである。これは、出身地方毎にまとまる傾向が強く、他集団との結びつきが弱いとされる中国系住民の相互交流を促すためといわれている。

 英国統治時代とは打って変わって、日本統治時代、シンガポールは「
昭南島」と呼ばれ徹底した日本同化政策をとった。高齢者を中心に今なお日本語を理解出来る者が少なくはないのはこの政策の爪痕である。

 余談になるが、この博物館にこんな文字が書かれたプレートがあった。
"Many Singaporeans still have a vivid memory of Japanese Occupation."これが日本、そして我々日本人に対する素直な気持ちなのである。

 日本の敗戦とともに再びイギリス統治に戻ることになる。しかし、他のアジア諸国と同様に国民に
独立ナショナリズムが芽生え出した。しかし天然資源の乏しい小国シンガポールは1人立ちをあきらめ、隣国マレーシアとともにマレーシア連邦を形成する形で独立を果たすことになる。これに先立ちシンガポール内では「マレー化政策」が行われるようになった。母語話者の少ないマレー語を国語にしたのもその一環である。その他にも自治領シンガポールの初代元首にマレー人のYusof bin Ishakを任命したことや、公務員や教員を対象にしたマレー語の試験を行ない非マレー人のマレー語習得を目指したことなどもこの政策の一環である。この時代の言語政策はまず共に連邦を形成するマレーシアに歩調を合わせる必要があったのだ。ここに小国シンガポールの苦労を読み取ることが出来る。

 政府はまた、マレー語に加え旧宗主国の言語である英語を重視した政策を取った。これは国際語としての英語の役割を考えてのことであるが、
旧宗主国の言語に頼らざるをえないのは他のアジア諸国、アフリカ、南米等にも共通した実情だ。

三言語政策

 前述のように、英国からの独立後は国語である
マレー語と英語を重視した政策がとられていたのだが、この時代の言語政策は三言語政策として知られている。これは国際言語である英語を第1言語とし、国語であるマレー語を第2言語とした。さらに、華語やタミル語に関しても第3言語として習得されるべきだとされ、学校においてはその全てが必修化とされた。なお、第1、第2言語は小学校から、第3言語は中学校から扱われたのだが、あまりにも負担が大きく失敗に終わることになる。

 多くの中国系住民は各中国語方言を母語として習得する。そして学校教育が始まってからそれまで縁のなかった英語、マレー語、華語を学ぶことになる。つまりその
全てが外国語であるのだ。タミール語以外にも様々な言語が母語として話されているインド系についても同様のことが言える。その結果、連邦からの独立を契機として、二言語政策と呼ばれる新しい政策に移行することになった。

二言語政策

 
三言語政策の失敗を基に、連邦からの分離独立後、
現在まで続く二言語政策がとられるようになる。この政策は、英語と母語(中国系は華語)を重視したものであるが、実際にはこれまで以上に英語重視になったといえる。これは、英語校への進学率の上昇や、識字率、2カ国語以上の言語運用能力の向上という結果からも明らかである(次節参照)。

 なお、二言語政策のもとでの教育制度については4. 教育制度〜英語教育を中心にを参照されたい。

Speak Mandarin Campaign

 これは中国語における標準語とも言うべき「
華語を話そう」という運動である。だが、「多講華語、少講方言」と中国語で表記するのではなく、一般的にもSpeak Mandarin Campaignと英語で表現するのがシンガポールらしいところである。ではなぜ、中国系においても華語を母語方言にする者の割合が0.1%ほど(大原、1997)という状況にも関わらず、政府は華語を話すことを推奨したのだろうか。

 その理由の一つが学校教育における問題である。上述の二言語政策の下では、中国系の子供達は華語で教育される。そのため、各中国語方言を母語として習得すると学校において新たに華語を学ぶ必要が生じ負担増が避けられないからだ。そこで家庭においても日頃から華語を用いるよう推奨したのだ。
 この運動のもう一つに目的は、中国系住民達に「同じ中国系の住民である」という帰属意識を高めさせることだ。母語方言しか話せない者は、同じ中国系住民ではあっても意思疎通がままならないこともありうる。また、もとより出身地別に分かれて行動する傾向の強い中国系住民には共通の華人意識が育ちにくかった。つまりこの運動は「
人種別共通語を統一する政策の一貫として展開された」(太田1994:177)のである。

 では、この運動の成果はどうであろうか。次節の
表3-2、3-3からよみ取れるように、中国系住民の家庭おける華語使用の割合はこの20年間で3倍にもなっている。他の言語を強制するのではなく、あくまでも同じ中国語である華語を推奨したことがこのような結果につながったのではないだろうか。
 


2-4.言語環境

 
ここに10才になる男の子がいる。この男の子は、家庭では両親・祖父母と自分の母語である広東語で話す。兄弟・姉妹とは英語でも話す。華語と英語を幼稚園で少し習ったが家で使うことはほとんどなかった。しかし、学校へ通うようになってから新しい友人もでき、そのうちの何人かは福建語を話す。マレー語、英語を話す友人もできた。仲の良い友人と遊んだりするときは、福建語を使う。家に帰ると広東語になる。学校は英語系の学校なので、英語が第1言語で華語が第2言語である。当然、学校では、英語と華語で授業を受け、教室内での先生や友人との会話は英語と華語でおこなう。学校の休み時間には、英語・華語・マレー語・福建語を使い分ける。つまり、複数の言葉を使ってコードの切り替えを行うのである。(中村 1990:106)

これはシンガポールで
ごく一般的にみられる事例である。つまり、国民の多くが多言語話者ということだ。ここでは、前節で概観した言語政策の結果、シンガポールの言語環境の現状はどのようになっているのかを最新のセンサスの結果をもとにして考察していく。

家庭における使用言語の割合

 まず、識字率に関しては全ての民族において確実に向上しているのが読み取れる(表2-1参照)。ここで興味深いのが中国系でも識字能力が英語のみと答えた者の割合である。これには二つの理由が考えられる。一つは中国系ではあっても英語を用いる家庭で生まれ育った、という理由だ。現在の中国系の多くが
シンガポールで生まれ育った二世、三世である。英語重視の言語政策の中で、家庭における英語使用が増した結果このようになったと考えられよう。前首相のリー・クワンユーは英語とマレー語を話す家庭で生まれ育ち、当初は中国語の方言も華語も話せなかったのだが、彼の場合は中国系ではあるが英語を用いる家庭の出だったことが背景にある。

表2-1 公用語における識字率(15歳以上)

    1990      2000   
Chinese    
 English Only 19.8 16.4
 Chinese Only 40.6 32.0
 English&Chinese Only   37.8 48.3
 Others 1.9 3.3
     
Malays    
 English Only 3.2 2.0
 Malay Only 27.3 19.8
 English&Malay Only 68.1 76.7
 Others 1.4 1.5
     
Indians    
 English Only 22.1 21.5
 Tamil Only 14.5 8.9
 English&Tamil Only 31.5 37.5
 English&Malay Only 19.1 17.4
 Others 12.8 14.6

出典:Census of Population 2000

 もう一つの理由として考えられるのが、中国語を母語とする家庭で育ったものの、文字を学ぶ年齢に達したときには英語の習得のほうに重点がおかれ、その結果中国語は音声でしか理解できない、というものである。これは実際にシンガポールに行くとよく目にする光景であるが、小さな子供を連れた親子が子供に対しては英語で話しかけ、夫婦間では中国語で話している場面である。これは子供に期待をかける親心の表れだと考えられる。このことは表2-2、2-3の数値からも明らかになる。過去20年間においてすべての民族グループで英語の使用割合が増加している。その中でもインド系がつねに一番高い割合を示しているのは、インド系住民の絶対数の少なさもさることながら、タミール語以外の様々な言語を母語とする者も多いため、互いの意思疎通のために英語は無くてはならない、という実情もあろう。なお、タミール語は南インドで話される言葉である。しかし、同じインドの公用語であるヒンズー語などとは違い印欧語族には属していない。したがってタミール語話者が特別英語学習に有利、ということはないようだ。

表2 家庭における言語使用状況の割合

2−2      ※家庭実数の割合

    1980      1990  
Chinese    
 English 10.2 21.4
 Mandarin 13.1 30.0
 Chinese Dailects 76.2 48.2
 Others 0.5 0.4
     
Malays    
 English 2.3 5.7
 Malay 96.7 94.1
 Others 1.0 0.2
     
Indians    
 English 24.3 34.3
 Malay 8.6 14.1
 Tamil 52.2 43.5
 Others 14.9 8.1

2−3     ※使用人数の割合

    1990      2000   
Chinese    
 English 19.3 23.9
 Mandarin 30.1 45.1
 Chinese Dialects 50.3 30.7
 Others 0.3 0.4
     
Malays    
 English 6.1 7.9
 Malay 93.7 91.6
 Others 0.1 0.5
     
Indians    
 English 32.3 35.6
 Malay 14.5 11.6
 Tamil 43.2 42.9
 Others 10.0 9.9


 また、この表において興味深い数値は、1980年から2000年にかけもっとも大きく増加している中国系家庭での
華語の使用割合だ。もちろん、それに反比例する形で中国語諸方言の使用割合は減少している。これは、前述のとおり1979年から始まったSpeak Mandarin Campaignの成果である。

 英語の使用割合は学歴に応じても顕著に異なっている。これは進学には高度な英語能力が必要とされる二言語政策下での教育制度では、英語が非常に重視された結果であると同時に、次節でも扱うようにシンガポールにおいては英語能力がステータスの表れでもあるからだ。もちろん「
高学歴者のほうが英語を話す割合が高い」のであり、これは同時に「高収入の者が英語を話す割合が高い」、ということと表裏一体をなしている。

 ちなみに、家庭における英語使用の割合は、中国系を例にすると無学歴の者で1.3%、小学校卒業で6.8%、中学(Secondary)卒業で27.3%、高等学校(Post-Secondar)卒で32.5%、そして大卒では47.1%まで一気に跳ね上がる(Census of Population 2000)。 これは他の民族集団でも同じ結果である

公共の場での使用言語・新聞の発行部数 
 
 
では、家庭以外での言語使用状況はどうであろうか。冒頭に紹介した例のように日常生活における使用言語はその状況に応じて様々である。MRTとばれる地下鉄車内において彼らが携帯電話で話している場面に頻繁に遭遇する。その電話での会話を聞いていると
英語の部分もあれば彼らの民族諸語の部分もあり、一対一の会話においても使用言語を使い分けているようだ。もちろん電話の場合には、相手が誰だかわからないためまず英語で話し始める、ということもあろう。しかし、私のインフォーマントによると母語である福建語で会話しているときでも、英語を部分的に用いることは―彼女は"flavor"という表現を用いていたのだが―若者達の間ではお洒落という認識もあるようだ。これは外来語やカタカナ英語を多用する我々日本人にもあい通じるところがある。

 次に、非常に興味深いデータが表れている新聞の発行部数を取り上げてみたい。2000年末時点でシンガポールでは日刊紙が11紙発行されている(Singapore Fact and Pictures 2001)。1998年末では8紙だったので(Singapore Fact and Pictures 2000)増加分の全てが英語紙ということになる。英語紙の発行種が倍増しているのだが、表2-4のように発行部数自体は大幅な変化はない。では、なぜほぼ同じ発行部数である中国紙の倍、
6紙もの英字新聞が発行されているのであろうか。これには、英語紙に対するシンガポーリアンの特殊な感情が関係している。

シンガポリアンが持つ新聞によって概ね、所属する社会階層を知ることができる。概ねと言ったのは読むことがなくとも英字新聞を買おうとする新中間層と呼ばれる人々がいるからである。これは、現在のシンガポール社会を如実に示している点で興味深い事象である。英語は、人々の上昇の象徴であり、識字率に関係なく英字新聞を購買することは、上昇志向の具現化であると見ることができるのである。(大原 1997:45)

前述のようにシンガポールでは英語力と学歴は非常に関係が深い。また、教育制度の項目でも述べたように進学のためには英語力が欠かせない。そんなシンガポールにおいては、英字新聞を読むと言うことは英語能力の高さの象徴であると同時に、高学歴の象徴でもあるのだ。英字新聞の発行種が倍増したのもこのことと多いに関係があろう。

表2-4 言語別新聞の発行数及び発行部数     (   )弧内占有率

 

1995年
発行種類   発行部数

 2000年
発行種類    発行部数

Total   8        1063305  11          1197301 
Chinese  3         488874     (46.0)   3           570775    (47.7)
English  3         508399     (47.8)   6           551463    (46.1)
Malay   1         60237       (5.7)  1           65103      (5.4)
Tamil   1          5795       (0.5)   1            9960      (0.8)

   Singapore Fact and Pictures 2001

 最新の言語政策であるSpeak Good English Movementについては、5.Speak Good English Movementを参照。現行の言語政策のもとでの教育制度に関しては4.教育制度〜英語教育を中心にを参照。


参項文献

池田充裕(1993)「シンガポールにおける1991年『初等教育改善案』の分析」『比較・国際教育』第一号:53-72, 筑波大学国際教育学研究室

太田勇(1994)『国語を使わない国』(古今書院)

大原始子(1997)『シンガポールの言葉と社会』(三元社)

田村慶子(1993)『頭脳国家シンガポール』(講談社)

田村慶子(2000)『シンガポールの国家建設』(明石書店)

中村良廣(1990)「シンガポールの英語」『アジアの英語』,95-118, 大修館書店

本名信行(2000)「アジアの英語事情6―シンガポールの場合」,『英語教育』, 9月号: 40-41, 大修館書店

Ho, Wah Kam(1998), “English Language Teaching in Southeast Asai: Continuity and Change” Asian Englishes vol.1 No.1, Tokyo: ALC Press, 5-30

Ministry of Education(1991), English Language Syllabus(Primary), Singapore: Ministry of Education

Mullis, Ina. V.S.(ed.), (1997), Mathematics Achievement in the Primary School Years: IEA’s Third International Mathematics and Science Study(TIMSS), TIMSS International Study Center, Boston

Murtin, Macheal.O (ed.), (1997), Science Achievement in the Primary School Years: IEA’s Third International Mathematics and Science Study(TIMSS), TIMSS International Study Center, Boston

Vj Times Editorial Team, (2000). Singlish to English: Basic grammar guide, Singapore: Vj Times International Pte Ltd.

Ward, Chiristopher S., ed, (2000). Grammar Matters : Talking about things, Singapore : SEAMEO Regional Language Centre

統計資料

Census of Population 1990― Literacy, Language Spoken and Education, Lau Kak En(ed.), Singapore Department of Statistics, 1993

Census of Population, Leow Bee Geok(ed.), Singapore Department of Statistics, 2001

Singapore Fact and Pictures 2000, Foo Sling Luen(ed.), Ministry of Information and The Arts, 2000

Singapore Fact and Pictures 2001, Foo Sling Luen(ed.), Ministry of Information and The Arts, 2001



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