1987年度以降全ての小学校を母語以外の全教科で原則的に英語を用いて授業をおこなう英語校にするなど、シンガポールは以前より英語教育推進国として知られてきた。実際に、TOEFLなどの英語の試験でも常にアジアの上位に位置している。英語を用いて他教科の勉強をしているにもかかわらず、例えば国際教育到達度評価学会が小・中学生を対象にして実施した調査では、理科や数学に関しても世界で高水準にあることが明らかになった。この背景には考え抜かれた教育制度のほかに、2002年現在で国家予算にしめる教育費を含む人材開発費の割合が23.98%にものぼることが関係があろう
(斉藤(編) 2002)。日本のそれが一般歳出の14.1%であったこと(同)と比較すると、それがより顕著になる
(もっとも、両国を単純に比較するのは好ましくない。物価や平均収入の違いがあるため、それらに占める人件費の割合を考える必要もあるからだ)。
このように英語のみならず他の理数系教科でもすばらしい結果を残しているシンガポールの教育制度や教育政策であるが、政府は2000年以降これまで以上に大きな教育改革を進めてきた。以下にそれらの概略を記していく:
・2003年から小学校の6年間に義務教育制度を導入
これについては次節 b.義務教育制度の導入で詳細にわたって考察する。
・民間の出版社による教科書の編修・出版が可能になった
2000年以降は教科書出版の自由化が進み、民間の出版社が教科書の編修に参加できるようになった。小学校用の英語の教科書を例に挙げると、以前は政府系企業によるPETSシリーズの教科書1種類のみだったが、2005年現在では3社の教科書が使用されている。この新しい英語教科書についても別の章で取り上げる予定である。
・小学校のおけるクラスサイズの少人数化
2005年からは小学校1年生で30人クラスが導入され、2006年からは小学校2年生にも拡大することになっている
(シンガポール教育省のHPより) 。ちなみに、これまでは40人クラスであった。日本でも少人数教育を望む声が以前より大きかったが、人件費という大きな障害があり、なかなか導入が進まないのが現実である。この30人クラスの導入の目的として教育省のHPには次のような記載がある:
・To cater to a wide range of student needs in
each class.
・To provide Primary 1 and 2 students with more
individualised attention to ground them strongly
in literacy and numeracy.
・To ease
the transition from pre-school where class size
is usually less than 30.
(http://www.moe.gov.sg/corporate/primary_02.htm)
3つに目に挙げられたpre-schoolとの移行を容易にすることを考えているのには、就学前教育に通う幼児の多さにも関係があろう。この背景にはシンガポールの高学歴社会や、能力別の複線型教育で少しでも上位に“いさせたい”という保護者の思いがあるのはいうまでもなかろう。
・Speak Good English運動の継続
これについては 5.Speak Good English
Movement
を参照されたい。
・複線型教育制度の部分的変更
基本的な教育制度は変わっていないが
(4.教育制度 参照)、
小学校4年終了時に行われる最初のコース分けで、以前は下記のように成績が高い順に3つのコースに分けられたが、2004年3月以降はEM1とEM2が統合された。
EM1: English at 1st language
level, Mother tongue at 1st language
level. (約10%)
EM2: English at 1st language
level, Mother tongue as 2nd language
level. (約70〜75%)
EM3: English at 1st language
level, Mother tongue at Oral level. (約15〜20%)
(括弧内はそのコースの進学者の割合)。
EM1とEM2統合の詳しい事情はまだ知りえていないが、おそらく以下のような理由によるのではないだろうか。まず、以前よりEM1を設置していない学校があったことがあげられる。また大部分の児童が進むEM2が標準という扱いであったが、幼児教育の普及などによりEM2のレベルが上がり、EM1と大差がなくなったのが大きな要因ではないだろうか。また、上述のクラスサイズの少人数化に伴い、限られた教員を効果的に配置する必要が生じたことも影響しているのかもしれない。
・3つ目の国立大学であるシンガポール経営大学が2000年に創立された
3つの大学の名称と概略は以下の通りとなる:
シンガポール国立大学: 1980年にシンガポール大学が華語系大学であった南洋大学を吸収合併した大学である。シンガポール国内ではNUSと表記されることが多い
(NUS = National University of Singapore)。
南洋工科大学: 1992年に創立。上記の旧南洋大学の敷地後に南洋工科学院が前進である。NTU
= Nanyang Technological University。
シンガポール経営大学: SMU
= Singapore Management University。政府が出資した私立大学である。アメリカのペンシルバニア大学のビジネスカリキュラムに準拠した教育課程がおかれている。
大学の新設の背景には現在全国民の2割弱が大学に進学しているという高い進学率がある
(河添 2005) 。また、経営や生命科学などの成長分野で、1998年から10年間で世界一級の大学を誘致する計画が続いており
(同)、ペンシルバニア大学のビジネスカリキュラムに準拠した教育課程がおかれているのもそれに関係があろう。 |
大きな項目だけでもこれほどにものぼる。90年代までは他国に追いつくためであった教育政策も、今や更なる国家の発展を目指し、これまで以上に人材育成に力を入れようとしているのが明らかである。また、クラスサイズの少人数化やビジネススクールの導入など、日本の実情とも重なる点が多いのも興味深い。この他にも積極的なIT環境の導入などもシンガポールが取り組んでいる事例である。
変化が速いシンガポールの場合は10年一昔ではなく、10年大昔であるという人が多い。だが、日本国内で出版されている数少ないシンガポールの教育に関する文献でも、まだこれらについてはほとんど触れられていないのが現状である。これからも積極的に情報収集に努め、このHPでそれらについて扱っていきたいと考えている。
この節の参考文献
河添恵子. (2005). 『アジア英語教育最前線 遅れる日本?進むアジア!』,
東京: 三修社.
斉藤里美・上條忠夫(編). (2002). 『シンガポールの教育と教科書』,
東京: 明石書店.
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