中国北京旅行記 2004年
2004.1.52004.1.8


はじめに   1日目   2日目   3日目   4日目


3日目盧溝橋・周口店半日観光・・・ちょっとマイナーな観光スポット満載!(笑)
 
 前日、歩き疲れたためか、不眠症気味の私でもぐっすり眠れました(笑)。ただ、腰をはじめあちこちが筋肉痛(汗)。昨日と同様に1Fのレストランでバイキングの食事を食べました。その後着替えをして今日の観光に出発となるのですが、本日の観光は我々3人とガイドさんだけです。なんだか追加料金を払って専用車を用意したようです(^_^;)。と、気分を良くしていると、昨日と同じガイドさんが「
なぜこのオプショナルツアーを選んだのですか?」と聞いてきます。多くの人は、明の十三陵と動物園に行くオプションを追加するとのこと。後から聞くに、このガイドさんは1年に1回くらいしか案内しないコースなんですって(笑)

 昨日と同様朝の北京市内を走り、まず向かったのは北京西南15kmの永定河にかかる盧溝橋という橋です。あのマルコ・ポーロが「世界中これほど美しい橋は見たことがない」と
「東方見聞緑」で絶賛している橋で、北京八景の一つで「月見の名所」としても知られています。ちなみに橋が作られたのは1192年。なんと鎌倉幕府と同じです!橋の全長は260.5m、幅7.5m、橋桁は11のアーチからなり、欄干の柱の上には容姿の異なる獅子が485匹いる・・・以上ガイドブックからの丸写しA^_^;)アセアセ・・・。

 程なく橋に着いたのですが、車を降りると寒いのなんのって。昨日の万里の長城よりも寒いです!と、寒さにも驚いたけど、偶然通りがかったトラックが
3輪車だったんですよ!!2トン程の積載量のトラックですが、前輪が1輪で、バラバラバラ・・・となんとも懐かしいエンジン音を轟かせて走り去りました。実を言うと、この日一日は郊外にいた時間が長いため、オート3輪や3輪トラックなど、日本では到底見ることの出来ない車を何度も目撃しました。

 で、橋なんですが・・・。下の写真の通りです。

  部分的には800年前の状態です

それなりに情緒のある橋なのですが、なんと・・・

     水が無いんです!!!

ガイドさんがなぜこのコースを選んだのか不思議に思ったのも納得です。夏には水が流れているらしく、下の写真のようにスワンボートが放置されていました(笑)

   諸行無常の響きあり・・・(笑)

 一応橋の端まで?歩いてみたのですが、橋を渡るとそこは北京市内ではないとのこと。橋の向こうには多数の民家があったのですが、このあたりに住む人は北京語とは違う言葉を話している、そうガイドさんが教えてくれました。あ、そうそう。この橋は実は徒歩で通るにしても有料なんです。今では橋の保存のため車での通行が禁止されていますが、地元住民たちは日常的にこの橋を渡っています。往来の度に通行料を払うのかな?と思ってガイドさんに確認すると、「毎日通るので顔パスで無料です!」とのことでした。まあ、確かにそうですよね(笑)

※盧溝橋事件
 美しい姿の盧溝橋ですが(←私達は綺麗な姿を見ていないけど)、この橋は193777日に日本軍が進攻し、一発の銃声とともに日中戦争を起こした忌まわしい場所でもあります。橋の近くには中国人民抗日戦争記念館があり、北京の学童児達が勉強のために訪れる場所となっているとのことです。

 橋の横には簡単な資料館がありますが、戦禍の悲劇をあらためて知った思いでした。歴史に「もし」は禁句ですが、「もし、この場所で発砲事件がおきなければ、その後どうなっていたのだろう」そう考えてしまいました。

 さて、暖かい車内に戻り、今度はさらに郊外にある周口店に向かいます。周口店は、北京の50キロメートル南西の周口店駅の近くにあり、北京の市街地からはだいぶ離れており、房山県に属しています。??なんでこんなところに向かったのかって??それは・・・米ロックフェラー財団の援助のもと、北京大卒の考古学者、斐文中の手により、1929年12月2日、50万年前の北京原人(ホモ=エレクトゥス=ペキネンシス)の頭蓋骨が初めて出土し、87年12月11日にはユネスコから世界文化遺産に指定された場所なんです。

 歴史の教科書に必ず登場する北京原人。さぞや多くの観光客が訪れているでしょう・・・と思いながら車に乗っていると、どんどん、どんどん辺鄙な(←失礼!<m(__)m>)なところに進んでいきます。舗装されているとはいえ道路はがたがたです。また、道路沿いにあるお店のたたずまいも北京市内とは全然違っています。とはいえ、ところどころで華やかな市場が開かれていたのですが、ガイドさんによると、旧正月前なので、正月の買出しのために開かれている市だとのことでした。なるほど。

 1時間ほどのドライブの末、周口店に到着!いや・・・寂しい場所です。我々のほかに観光客がいません(笑)。開店休業とはまさにこのことです。駐車場で車を降り、ちょっぴり長い坂を上ると北京猿人展覧館があります。中国では原人とは言わず、猿人というようです。

入り口前の巨大な猿人の像

 資料館に入ると、親子連れらしい客が1組おりましたが、それでも寂しい限りです。展示物の説明文は英語でも書かれているのでなんとか理解できたのですが、一つだけ疑問が残ったんです。それはPeking Manという表記です。和訳すると北京原人(猿人)だけど、英語で北京はPekinではなくBeijingです。はて!?!?と思いガイドさんに質問するも、やはりわからないとのことでした。

※Peking Manの謎を解く!
 帰国後にネットで調べた情報を総合すると、次のようになります。 「北京」は、現代中国語(北京語)の発音を英字で表記すると、"Beijing"となるのですが、「ペキン」という日本人の発音は、17世紀(明末〜清初)頃の音であるとのこと。ご存知のように中国では、日本の方言とは比べものにならないくらい地域ごとに発音に差異があり、Peking Manの事例は、17世紀の音が北京郊外にありちょっぴり田舎の周口店ではまだ残っていることに起因する・・・なるほど!!

   原人が住んでいた洞窟です。

 資料館をあとにした我々は原人が住んでいた洞窟を見て回りました。実際に自分の目で洞窟を見て思ったことは、火を使用していたとされる北京原人ですが、この寒い中国での生きていくのはやはり、相当厳しかったのでは・・・ということです。

   周口店の町を見下ろして。

 資料館、そして洞窟を見学し、見晴らしの良い場所から周口店の町を見渡したの時、思わず、「数十万年前に北京原人たちも同じ風景を見ていたのだろうか」と思ってしまいました。

 
この後市内に戻り昼食です。家庭料理を再現した料理だとのことですが、我々3人がどんなに頑張っても食べられないほどの量でした。味?やはり
日本の中華のほうが私の口にはあっています・・・(謎&笑)
 
 その後、ものすごくマイナーな観光スポット、「
古観象台」に向かいます。元代に(西暦では1279年)に建てられた、現存する世界最古の天文台ですレンガ造りの天文台の上にはたくさんの青銅製の観測機器が展示されていました。どのように使用したのかはわからないけど(笑)

        北京の街中にあるんです。右側は日時計ですね。

 屋内にも写真や絵とともに様々な資料が展示されていました・・・が、中国語なのでほとんど理解できませんでした(ーー;)。とても天気にいい日だったのですが、子供の頃から宇宙に憧れ、かつては天体写真も撮っていた私です。せっかくこのような歴史的な天文台に来ているのだから・・・ということで撮影したのが下の写真。逆光をうまく活用して撮れたと思います。

 いい感じでしょ!?(笑)

 天台台を後にした我々は、最後の観光地である大柵欄に向かいます。ここは、かつての北京城の城下町で、庶民の買い物の場所です。天文台からはそんなに遠くないのですが、向かう途中、北京駅の前を通りました。ちょうど旧正月直前で、人の移動が多い時期のようでした。

車内からの撮影で構図が・・・A^_^;)

 いざ、大柵欄につくと、大きな荷物を背負った人が多いのに気付きました。やはり正月直前のため、地方から買出しに来る人が多いとのことです。逆の言い方をすると、北京の人はあまり買い物には来ない場所らしいです。東京のアメ横や、ソウルの南大門市場を思い起こさせる風情なのですが、売っているのは驚くほど安価の製品ばかり。でも、ガイドさんが、セーターは一度洗ったら伸びて着れないような品物が売っている場所です、そう話していた通りの品質のようです。また、まがい物が多いのもアジアらしいと思いました。私も、アディダスの偽物のアダディスのカバンを思わず買ってしまおうかと思いました。ウケ狙いで買っても、成田税関で没収されそうなので結局は買いませんでしたが(笑)

 我々3人とも
大柵欄では結局何も買いませんでした。これでホテルに戻ることになります。2日間案内してくださったガイドさんや運転手さんと記念写真し、2日間の観光の全てが終了しました。その後、近くにある国営デパートでお土産品などを購入し、その後、ホテルから近い夜市で夕食をとることにしました。夜市で言えば台湾が有名ですが、日本の縁日を思わせる台湾とは違い、食べ物屋だけが整然と一列に並んでいる北京の夜市。

  何でも食べられます・・・(謎)

色々なものを食べることが出来るのですが、とにかく値段が安いのに驚きです。ほとんどのものが5元なのですが、日本円にして僅か70円ほどです。我々は、ヤキソバ、餃子、タンタン麺などを少しずつ食べたのですが、ヒトデの串焼きなども売っているので、興味のある方は是非どうぞ!一番驚いたのが、真っ黒い物がいくつも串刺しになっているもの。あちこちのお店にあるのですが何だかわかりません。で、一軒だけ英語でもメニューを表記しているお店があったのですが、なんと、“Fried Silk Warm”と書かれていました・・・はい、カイコ蛾の幼虫ですね(;一_一)

 
ゲテモノ系はさすがに食べれなかったけど、面白いものを一つ食べました。それは、食パンの上にアイスクリームを乗せて、さらにメレンゲで表面を覆ったものを油で揚げて、最後に粉砂糖をたっぷりとかけて食べるデザート?です。食べた印象はと言うと・・・・アイスクリーム、食パン、玉子焼き、全部別々に食べたほうが美味しいと思いま〜す!というものでした(笑)

 夜市には30分くらいいたのですが、その間何度も
物売りのおばさん、物乞いのおばさんに声をかけられました。ポケットティッシュを売りに来るおばさんは、我々日本人だけではなく道行く多くの人に声をかけているようですが、帰りがけに声をかけてきた中年のおばさんは、お腹が空いているのでお金を欲しいようなことを一生懸命に私にアピールしています。でも、必死なはずなのに、私にしか声をかけてきません。私が断ったその後は、元気に歩いて去ってきました。やはり日本人だから声をかけられたのだと思います。

 その後、寒さをしのぐために
スターバックスに入ったのですが、システムも味もやはり万国共通でした。当たり前ですがね(笑)                                                


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