韓国ソウル・横浜中華街旅行記 2007
2007.3.92007.3.11

はじめに   1日目   2日目   3日目 


世界遺産、刑務所、ミュージカル、教科書・・・大忙しだ〜(~o~)
前夜、疲れていたとはいえいつもより早く寝たせいか、目が覚めたのは5時。迷わず二度寝(笑)。だけど次に目が覚めたのが6時。平日に起きる時間です。せっかくの休みだし、それに海外なのだし、三度寝に突入。だけど7時過ぎにはに目が覚めてしまいました。いつも出勤する時間です。今日は9:30までに宿から徒歩3分ほどの昌徳宮まで行くのが最初の予定なのでまだまだ時間があります。そこで四度寝することにしたけど、起床時間に合わせたのか、オンドルの暖房が一気に暖かくなり、寝付けませんでした。

その後、ダラダラと用意して世界遺産である昌徳宮に向かったのが9:25。前回来たときは入場時間に間に合わず入り口前で退散した場所です。今回はまず最初の予定として組み込んだけど、ネットでの情報通り大勢の人で溢れ返っています。総勢200人ほどでしょうか。ここは木曜日以外はガイドとともに行動しないとならないのですが、日本語ツアーは日に5回だけ(冬季は4回)。私としては英語ツアーでも良かったのだけど、一番時間が早いのが9:30の日本語ツアーなのでこれに参加。この時間帯が混んでいる理由は、種々の旅行社のツアーのコースに入っている場合、一番最初に時間がかかるこの場所を観光コースに設定するかららしいのです。事実、日本語ガイドに連れられてきている人がほとんどでした。

昌徳宮は第3代宗王が1405年に李朝の離宮として建てた宮殿で、
文禄の役で焼失したのち、1610年に第15代国王光海君が再建されました。
その後、300年にもわたり正宮として用いられたとのこと。
正門である敦化門は、文禄の役で唯一焼失を免れた建造物で、
門をくぐると右にまず韓国最古の石橋である錦川橋があります。

なお、ここの日本語ツアーと言っても3000ウォンの入場料とセットになっているので、無料ツアーのようなもの。広大な世界遺産の敷地内を迷わず、壊さず、荒らさずに観光してもらうための案内係と考えればいいのではないでしょうか?←木曜日の自由入場は料金が5倍もします。普通は逆ですよね。

人数が多かったため2つのグループでの行動となりましたが、ガイドの張さんという30代?の女性がとっても流暢で丁寧な日本語でわかりやすく案内してくれました。毎日3回ずつ同じコースを回っているとのことでしたが、説明がうまいだけではなく、日本で最近流放映された韓国ドラマとの関連で話したり、まさにプロ!という感じでした。ツアーが終わったのは予定通り1時間20分後。いつもいつも個人手配の気ままな一人旅の私ですが、こんなに上手なガイドが付くのなら団体ツアーもいいなぁ〜と思ってしまったほどです←実際には参加しないけど(笑)

池の形に注目。当時の朝鮮では、四角は大地(地球)の象徴だったとのこと。
また、この池は「チャングム」の撮影にも利用した場所なんですって。

池の周囲を走っている間に、チャングムが子供から一気に大人になったとか(^_^;)

至近の安国駅から地下鉄に乗り、次に向かったのは、独立門駅。駅を降りるとそこは3.1独立運動で有名な西大門独立公園です。ここの敷地内には西大門刑務所記念館があるんです。ここはかつての日本軍が韓国人を収監した実際の刑務所を利用した場所。多くの写真や蝋人形を使い、日本軍による拷問の様子を伝えている場所です。まあ、内容が内容だけに仕方ないかもしれませんが、ガイドブックでも場所や入場料以外は詳しくは紹介されていないです場所ですし、ネットで見てもここを訪れる日本人はほとんどいないようです。以前より、次に韓国に行くときには必ず訪問しようと思っていた場所ですが、わずか30分ほどの滞在時間で改め平和について考えさせられました。

西大門独立公園全景

刑務所記念館の入口は、当時の刑務所の門を
そのまま利用しています。

拷問の道具。狭いこの場所に閉じ込め、下半身が
浮腫み、破裂する苦痛をあじあわせた道具とのこと。
全く身動きでないほどの狭さでした。

ちょうど小学校の団体が見学に来ていたのですが、先生が一生懸命に説明しています。勿論、私には何を言っているのか理解できないですし、展示された写真等にはごく一部を除いて日本語の説明がありません。日本人観光客が多くを占める韓国では、大部分の観光地で日本語での説明がなされているのですが、ここに関してはハングルのみが大部分で、英語すらほとんどなく、タイトルのみにかろうじて英語が併記されていました。

この部屋に捕らえられ、苦しみ、命を落とした
方々のご冥福をお祈りいたします。

まるで本物のように血を流し苦しむ蝋人形の表情、酷いとしかいいようのない写真。言葉がでません。日中戦争が始まるきっかけとなった盧溝橋事件で有名な中国の盧溝橋そばにある資料館に行ったときにも同じ気持ちになりましたし、シンガポールのImages of Singaporeでも日本植民地時代の展示物を見て言葉に詰まってしまいました。

平和ぼけしていると言われる日本人ですが、機会があれば是非このような場所に足を運んでもらいたいと思わずにいられません。

資料館を出たときには雨も本降りになり、朝からの寒さがより身にしみたのですが、これは展示物を見て気持ちが相当トーンダウンしてしまったのも関係があるのかもしれません。

この場所で相当考えさせられ呆然としていたせいか、移動のために乗った地下鉄がなんと逆方面行き。2つも先の駅まで行ってしまい、慌てて本来の方向に乗り換えました。

地下鉄を降りて地上に出たときには雨だけではなく風も強くなり、折り畳み傘が壊れてしまいそうなほど。とはいえ宿に戻るわけにも行かずに向かった先は、韓国最大の本屋さん←日本最大の本屋さんより広いことで有名な教保文庫です。この旅の一番の目的である韓国の学校で使われている英語の教科書を購入するため。前回、前々回も同じ目的で来た韓国だったのですが、タイミングが悪く、販売期間ではなく購入することができずに涙をのんだ場所です←大げさではありません。これだけの目的のために4回目の韓国ですからね。もっと確認してから行きなさい、そういう突っ込みは無しで(^_^;)

広い店内でとりあえず最初に向かったのは学習書コーナー。英語学習書も多数あり、3月からの新学期が始まったばかりのためか親子連れがたくさん居ましたか。が、ロングマンやオックスフォードの手による汎用品の教科書はたくさんありましたが、肝心の韓国政府の手による教科書が見つかりません。かなり探したあげく、売り場責任者らしい女性店員に英語で尋ねると、違う売り場にあるから移動してちょうだい!とのこと。前回は「ちょうど在庫が切れました」、前々回は「今は販売期間ではありません」と言われた落胆したのと大違い。新学期にあわせて韓国にやってきてよかった!

だけど、移動するように言われた売り場には英語学の専門書などが並び、教科書らしいものが見つかりません。で、またしても近くにいた若い女性店員に「英語話せる?」と聞いてみました。若い人なら話せるだろう、そう思って。だけど一瞬にして硬直してしまった彼女(^_^;)。「日本語は話せますか?」とあわてて聞くと、「日本語なら大丈夫ですよ〜」と流暢に答えてくれて、お互いに安堵の笑顔が(笑)。事情を話したら少し離れた場所に山積みになっていた教科書売り場に連れて行ってくれました。後は各学年の英語教科書を探すのみ!

これが数年がかり&4度目の韓国訪問で
ようやく購入した英語教科書。

小3〜小6の全ての教科書を発見し、ぺらぺらめくっていると、近くでずっと私の方を見ていた70代と思われる男性が英語で話しかけてきました。「英語の教科書に興味があるようだけど、あんたの国籍は?」と。もちろん英語で答えた私。すると、さらに突っ込んだ質問を英語でしてきます。「なぜ日本人が韓国の教科書が必要なんだ?」と。これまでアジア諸国で話しかけてきた人といえば、ニセモノ時計の売人、売春を斡旋している親父、私が着ていたダウンジャケットを盗み取ろうとした韓国人・・・など、まあろくな奴がいません。だけど、今回は違います。とにかく英語が流暢だし、英語教育の専門用語もバンバン飛び出します。なので、私も大学院の修士論文はアジアの英語教育制度についてまとめたので、今でもこの領域に興味があるんだ・・・と英語と答えました。

するとどうでしょう。なんとそのおじいさん、韓国の大学教授とのこと。専門は英語で、退職した今は非常勤で音声学を教えているんですって。しかもしかも、生まれは日本。お父さんは日本人とのこと。途中からおじいさんの話す言葉が日本語に変わったけど、誰が聞いても日本人そのものです。ただ、難解な専門用語は日本語が出てこないようで、英語まじりの日本語でしたが、私のために韓国の英語教育制度、私が手にしていた教科書についてなど詳しく解説してくれました。また、おじいさん自身、日本と韓国との間で苦労したのか、「私は日本人でも韓国人でもなく、アジア人なのです」と強い口調で私に語ってくれました。この場所に来る前に、刑務所記念館で非常に多くのことを考え、憂鬱な思いになっていたのですが、おじいさんの「アジア人」という言葉で癒された思いでした。別れ際、「あんたは若いのだから、英語だけではなくもっと多くの外国語を学びなさい」と叱咤激励してくれました。

ここのキムチは私でも食べられる辛さでした。

その後地下鉄に乗り宿に戻ることにしたのですが、地上に出てみると空も大分明るくなり、冷たい雨から綺麗な粉雪に変わっていました。私の心の中と一緒です(#^.^#)。時計を見るとまだ14時。ソウルでの最後の予定であるミュージカル鑑賞は16:00から。のんびりと近くのお店でプルコギ定食を食べてから宿に戻りました。

4つでW1000だった格安の鯛焼き。中は餡というより豆といった感じかな?

1時間ほどの休憩の後(←海外旅行中はとかく無理しがちな日本人だけど、私はこれまでの経験と反省から、可能な限り休息をとるようにしています)、韓国旅行では毎回行くことにしているミュージカルにむかうことにします。劇場までは徒歩で30分ほどの距離ですが、外も寒く、それに朝から歩きっぱなしのためさすがにしんどいだろうとタクシーを利用しました。地下鉄なら宿から駅まで結構歩き、かつ乗り換えも必要で100円ほど。タクシーなら乗車約5分で料金も250円ほど。貧乏人の私でも迷わずにタクシーを選択(笑)

タクシーは宿近くですぐに止まってくれたけど、韓国語の地図を見せながら運転手さんに説明しても全然理解してくれません。ミュージカルのチケット手配会社が用意してくれたハングル併記の行き先案内図でもダメ。カタコトの韓国語で私が説明してもかえって逆効果(^_^;)。数分間頑張ったあげくやっと運転手さんが進み出してくれました。行き先を理解してくれているかとっても不安だったけど、なんとか近くまで到着。だけど、案内図に載っていた場所とは微妙に違う場所で降ろされたようで、完全に迷子の私。仕方なく、
道行く若いカップルに英語で声をかけました。これまでの経験則で、若い人ならそれなりに英語を理解してくれる。これがカップルなら彼女に良いところを見せようとするためか必死に頑張ってくれる・・・と考えたためです。結果。多少時間がかかりましたかが、無事に到着できました!。苦労かけた運転手さん、そして道案内をしてくれたお二人。あらためて「カムサハムニダ!」(ありがとう)

劇場は左の写真中央(緑の看板の真下)から地下に降りた場所です。

こんなわけで、ハッチョングリーン劇場には予定より遅く着いたけど、それでも公演開始の10分前。狭い劇場でしたが、若い韓国人でほぼ満席です。音楽中心で台詞がほとんど無いナンタやトケビの時は外国人観光客が多いのが印象的でしたが、やはり韓国の民族問題などをテーマにした、この「地下鉄一号線」は地元民のためのミュージカルなのかもしれません。当然台詞は全て韓国語ですが、土曜日の公演には日本語の字幕も付せられています。また、途中一回だけですが、日本人のためと思われる日本語の台詞がありました←だけど、日本人は私だけのように思えました。

ミュージカルそのものについては、ドイツ原作のものをうまく韓国流にアレンジしていると思えましたし、韓国ではありますが
サムルノリではなく、バンドの生演奏によるロックのリズムにのった心地よい展開でした。内容も「売春」、「低所得階級」、「混血児」、「麻薬」、「浮浪者」、「戦争未亡人」など、韓国の底辺を支えている人たちにスポットを当てた重たいテーマではありますが、笑いを取り入れうまくまとめ上げていると思いました。ただ、途中10分間の休憩があるとはいえ2時間40分は長かったです。まるで4ナンバーの軽自動車のリアシートのような足下も狭く、かつ背もたれの角度もきついシートだったので、腰も足も痛く、ふくらはぎもパンパンに。エコノミークラス症候群状態です。せっかく良いミュージカルなのだから、もっとゆったりと観たかったな、というのが本音です。

ミュージカルの帰り道は、当然
地下鉄一号線に乗って帰ることにしました。一号線は日本の技術の援助で導入されたソウル最初の路線ですが、列車の進行方向がこの路線だけ左側通行。日本と同じ。2号線からはソウルの車の流れ同様に右側通行に替わっているんです。今回このミュージカルを観るまでは知らなかった知識です。

宿至近の
鍾路3路駅で降りた後、土曜の夜ということもあり、多くの若者で賑わう街を散策しつつ、屋台で食事をとりました。ミュージカルでも、屋台を営む女性が大切な役となっていましたしね←感化されやすい私です(^_^;)

屋台ではいつも「キンパブ」、「トッポッギ」しか食べないのですが(
←これは必ずどこのお店にもあるし、私でも食べられるものだからです)、地元の人たちがふらりと立ち寄ってはいろんな物を注文しているのを見て、もう少し韓国語がわかればもっともっと色んな味に挑戦できるのだろうな、そんな思いになってしまいました。

夜になると所狭しと並ぶ屋台。右は屋台の雰囲気をうまく捉えたお気に入りの写真♪

こうしてソウルでの予定が全て終了。教科書やお菓子など、かさばる重たいものを買ったため、来たときには機内持ち込みサイズのキャリーケースだったカバンが、帰りには念のためにたたんで持って行った1週間超の旅行にも使用しているボストンバッグびっしりになってしまいました。今回は最初から地下鉄での移動を考えていたため、大きなスーツケースは諦めていたけど、やはり20キロ近くになってしまったボストンバッグは重たかったです←帰りの便のチェックイン時に重さを見てびっくりでした(笑)

大きさはそうでもないけど、とにかく重たい!


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