3日目〜憧れのアンコール、そして夜は美女集団!?(謎)
朝目覚めると、まだ3:30ほど。日本では5:30なんで、ちょうどいつも目が覚める時間。なんて律儀な体質なんでしょうね(^_^;)。身体だけは、郷に入っても郷に従えません(笑)。で、二度寝もできそうにないので、しばらくしてから窓を開けてみると、なんとも綺麗な朝焼けが見えました。ああ〜失敗した!!雨季なのにこんなに綺麗な朝焼けが見られるならアンコール・ワットに行って見ればよかった〜と、思っても後の祭り。まあ、明日もきっと朝焼けがみれるだろう、そう諦めるしかありません。
食事の時に前夜のお2人と合流し、翌日はベンメリアに一緒に行くことになりました。いや、「天空の城ラピュタ」のお城のモデルになった遺跡だよ〜と、私が誘ったのがそもそもの始まりなんだけど(^_^;)。また、この日の晩御飯も一緒に外食ということに決定しました。しかも、そのお店というのは。。。後のお楽しみ(笑&謎)
のんびり食事をとった後、9:00からはこの旅のハイライト、アンコール・ワットへと向かいます。一応現地発着のツアーで。と、言っても参加者は私だけ(笑)。本来は一人で旅をするのが好きなんだけど、アンコール・ワットだけは詳細な説明があったほうがいいな、そう考えて現地発着のツアーを申し込んでいたのですが、当日になっても希望者が私だけだったらしく、ドライバー、ガイド、私の3人でメイン遺跡を見て回るというとっても贅沢な内容になりました。とはいえ、人数が少ないので専用車ではなく、バイクでリヤカーみたいなものを牽引するトゥクトゥクでの移動となったけどね←バンコクのトゥクトゥクとは全く別物です。
|
トゥクトゥク、国道を順調に逆走中!(笑)
はい、カンボジアは右側通行です(^_^;) |
ツアーに先立ち、まず$20札しか持っていなかったドル紙幣を両替してもらおうと、G.H.のオフィスで頼んだけど、そこでは出来ないとのこと。すると、ガイドのNさんが、「途中で私が両替できる場所でしてあげます」と言ってくれました。というわけで、いざアンコールへGO〜♪ということになりました。バイクに2人乗りでも加速が悪いけど、今日は3人乗りです。かつ、トゥクトゥクの車体自体結構重いと思います。なので全然スピードが出ないのだけど、それでも、小路から混みあっている大通りへ強引に合流していきます。しかも、対向車線を逆走して(~o~)。これもカンボジア流なのでしょうか??
ようやく本来の車線に戻ったかと思うと、すぐに近くの市場でいったん停止。ドライバーさんはクーラーボックスに入れる氷を買いに←食事、飲み物つきのツアーなんです、ガイドのNさんは、私の20ドル紙幣を持って両替に行ってくれました。先に戻ってきたのはNさんの方。手数料はかからないだろうけど、お礼としてチップくらいは渡してきたと思われるので、「これ、少ないけど御礼ね!」と1ドル札を渡すと、とっても喜んでくれました。また、最初は、ちゃんとしたイスになっている私の隣ではなく、鉄板がむき出しのままになっている部分に後ろ向きに座っていたNさんですが、「遠慮しないで隣に座ってくださいよ〜」というと、またしても喜んでくれました。ちなみに、Nさん、若干23歳の好青年。しかも、ガイドになってからの日がまだ浅く、これが9回目のガイドとのこと。だけど、日本語もとっても上手です。英語も堪能だし、フランス語もペラペラ。その語学力からもわかるとおり、とにかく努力家で頑張りやさんなんです。
再出発後、すぐに聞かれたのが、「ワットとバイヨン、どちらに先にいきます?」ということ。一般的なツアーは、バイヨンが先(午前中)で、ワットが後(午後)。なぜって!?それは、アンコールの遺跡群の中で、ワットだけが西向きに建てられているためなんです。それで、午前にワットに行くと逆光になってしまうんです。午後のバイヨンもそう。東向きなので逆光になってしまいます。それで、普通のツアーではバイヨン→ワットの順なのですが、これでは観光客が多く、ゆっくり、じっくり観光できません。逆光って言っても、写真に撮ったときの話であり、見て回るにはそんなに影響が無いはず。そう考え、通常とは逆周りで案内してもらうことにしました。結論から言うと、これは大正解でした。
アンコール遺跡群に入場するには、外国人の場合、各遺跡共通の入場券が必要です。1日券で$20。3日までで$40。1週間では$60也。後2日しかカンボジアにはいない私は当然3日券を購入。1日券以外は悪用防止のため写真が必要だけど、持参していない場合には、チケット売り場横の建物でデジカメで撮影してくれます。ガイドブックなどでは、「写真撮影所が混みあっているため、事前の準備をお勧めする」と書かれていることが多いけど、私が行った時には私しかいません。なので、すぐに写真つきのパスが完成しました。このパスは帰国した今でも、記念として大切に残しています☆
|
観光客がとっても少ない午前のアンコール・ワット |
ゲートで入場パスのチェックを受けたあとは憧れのワットへむかいます←結構念入りにチェックします。悪いことはできません。当然だけど。この道は日本の援助で舗装されたんです、というNさんの説明を聞いていると、程なく見えてきました。ワットが!!おお〜〜〜〜!!!!!!これがアンコール・ワットか〜〜〜!!!!と、もう言葉では表せない感動を覚えたHIROです。昨年万里の長城に行ったとき以上の感激です。それくらい、長い間恋焦がれていた憧れの地、アンコール。種々のホームページに掲載されている写真は観光客でごった返すものがほとんどだけど、やはり午前ということもあり、まだまだ人もまばらです。これは、じっくりゆっくり見て回れるかも☆
トゥクトゥクを降りた後は、Nさんに完全に任せ、彼のお勧めの順番、お勧めのコースで見て回ることにしました。西塔門まで続く石畳の道の左側の古い部分を修復工事をしていたのですが、Nさん曰く、「これは日本の上智大学のプロジェクトで修復しているんです」とのこと。確かに、重機等にSOPHIAという文字が記されていました。
|
看板にも上智大学を表すSophiaの文字が! |
帰国後に調べてみると、上智大学
アンコール遺跡国際調査団のみなさんは、1980年からずっとカンボジア文化遺産調査・保存修復に協力しているんですね。そういえば、9月下旬の「世界ふしぎ発見!」でアンコールの遺跡発掘に関わる、上智大学の石澤先生が取り上げられていました。
その後、てっきり西塔門から中に入るかと思いきや、右の方に案内してくれました
。そして壁についた傷を指差し、「これは内戦時代のものです」と説明してくれました。
しかも、その傷をよく見ると、今なお機関銃の玉が埋まったままだったんです
。この素晴らしい世界遺産、カンボジアが誇るワットさえも痛めつけた内戦。なんだか、最初から切なくなってしまいました。でも、一人でワットに行ったら絶対知ることのできなかった事実です。ありがとう、Nさん☆
|
|
争いで傷ついたワットの支柱。今なお残る機関銃の玉。 |
次に案内してくれたのはちょっぴり面白いデバター。デバターとは、ワットの壁面に彫られた女性のレリーフで、ワット全体では1,000体もあるとか。当時の女官をモデルにして彫られたと言われているのですが、すべて違うデザインなんです。で、Nさんが最初に連れて行ってくださったのが、唯一、一体だけ歯を見せて微笑んでいるデバター。遊び心で彫ったものなのでしょうか?それとも、モデルの女性の笑顔が印象的だったのでしょうか。なお、これは西塔門の近くにあり
ますので、時間がある方は是非探してみてください。
|
歯を見せて微笑む?デバター |
これから先は第一回廊から順に、第三回廊まで案内してもらいました。まあ、詳しい解説は、他のHPやガイドブックなどに任せることにし、ここではNさんに連れて行ってもらった面白い場所を中心に報告しようと思います。
次もデバターなんですが、今度はなんと下着姿!のデバター(^_^;)。これもワット全体で1つしかないらしいんです。彫刻した人の遊び心なのか、モデルの女性が下着姿だったのか・・・!?(笑
)
|
遊び心なのか、スケベなのか(^_^;) |
そんなこんなで多くのレリーフやワットの構造について解説をしてもらったのですが、第三回廊までたどり着いたときには既に1時間以上経過していたんです。ずっと石の上を歩いているので結構疲れてしまいました。ここでいったん休憩となったのですが、Nさんが第三回廊がお気に入りらしく、急な階段を登ったところで休憩することになりました。どれくらい急なのかは、下の写真を見てくださいね。急なだけではなく、長年の風雨と多くの観光客の訪問のせいか、足をかける場所が相当狭くなっています。場所によっては1つの段の奥行きが10センチほどでないでしょうか。上を向いて登っているうちは無問題だけど、ちらりと下を向いたら、思わず目が点(・・;)になるほどの急さです。恐る恐る登った後で、Nさんが「少し休憩しましょう」と言ってくださいました。観光客が多かった第一、第二回廊とは違い、この第三回廊はとっても静かな雰囲気です。しかも、Nさんが座りましょう、と言ってくださった場所は、“コース”から外れるためか、全く人のいない静かな場所でした。Nさんは高校生の時、頻繁にその場所を訪れては読書をしていたとか。そう。その場所は、Nさんのお気に入りの場所なんでしょうね。
|
|
来る人を拒むかのような第三回廊へ続く階段。上から覗き込むと、気を失いそうになります。 |
その場所で、Nさんと30分近く話をしたとおもう。最初は、カンボジアやシェムリアップの街、アンコール遺跡群にかかわる疑問だったのですが、いつの間にか、Nさんの生い立ちの話になっていきました。ここで簡単に書けるような内容でもなく、書くべきことでもないのですが、とにかく、頭が上がらない思いでした。いつの間にか、Nさんの話への感動と、自分自身が何も出来ない不甲斐無さのために、涙が流れてきました。それくらい、Nさんの話は私の心に響いたのでした。1つだけ紹介すると、彼は学校を卒業した後、地元に戻り近所の子供たちを集めて無料で勉強を教える学校を開いたのですが、黒板、机、教材などの学習環境が整っていなかったため、l購入資金を貯めるべく教師をいったんやめ、今はガイドとして働きお金をためているとのことだったんです。「いつか学校を再開したときには、是非私の学校に来てくださいね!」という、Nさんの希望に満ちた笑顔が今も忘れられません。 |
水分を補給したり、洗顔シートで汗を拭いた後、Nさんはまた面白い場所を案内してくれました。まあ、次もデバターなんだけど。↓の写真、よく見ると、胸が妙に光ってると思いません?そうなんです。実は、このデバターの胸を触ると幸せになれるとかで、現地の人はここを通るたびに胸に触るらしいのです。もちろん私も胸にタッチ☆(笑)。どういう根拠や言い伝があるかはわからないけど、幸せになれる!なんて言われると実行しないわけにはいきませんよね(^_^;)。また、個室のようになっている場所があったのですが、そこで自分の胸をトントンとたたくと、部屋中に反響するという場所にも案内してくれました。これはガイドブックにも書いている場所ではあるけれど、もう一度一人で行きなさい、といわれたらたぶん発見できないと思います←これ、もしかしたら第二回廊だったかも。あまりに多くのポイントがあるので記憶が怪しいです。まあ、それくらいワットは広いんです。
|
胸にタッチ!これで幸せになれるかな? |
今では多くの観光客が訪れるワンコール・ワット。聞いた話では、観光客で最も多いのは韓国人らしく、全体の51%にもなるとか。もちろん、日本人の割合も非常に多いのですが、実は、ワットには1632年に書かれたと言われる本右近太夫一房という日本人の落書きも残っています。それくらいワットと日本のつながりはとても長く、徳川3代将軍家光により「祇園精舎」視察を命じられた島野兼了が、ワットを見て祇園精舎だと思い込んだ、という話も非常に有名です。
|
何を書いてるかさっぱり!?!? |
時間は既に12:00。だいぶ日が高くなったので、午前のように逆光にはなりません。ワットからの帰り道は、定番の位置からの写真撮影をたっぷりと行いました。でも、やはり午後からの西日に照らされたワットのほうが写真におさめる場合には綺麗かもしれません。
|
今回の旅のベストショット! |
再びドライバーと合流し、今度はアンコール・トムに向かいます。トゥクトゥクに乗り込んで思ったのは、「風が気持ちいい〜♪」ということ。砂埃がけっこう凄いけど、カンボジアをコペンで走行してみたい、そう思ってしまいました。まあ、あの凸凹が多い道では、すぐにルーフの開閉機能が壊れてしまうと思うけど(^_^;)。さてさて、アンコール・トムといえば、中心部に位置するバイヨンが一番有名。トム=バイヨンと思っている人も多いと思いますが、アンコールとは、サンスクリット語のナガラ(都市)からに由来し、トムはクメール語で大きいという意味です。つまり、アンコール・トムは、「大きな街」の意味なんです。実際、かつては一辺が3キロの城壁に囲まれた街で、その中心に有名なバイヨンが位置してるんです。以上、ガイドブックからの要約(笑)
|
バイヨンには多くの「顔」が! |
まず、一番有名な入り口である、南大門でいったん停車。写真を撮ったり、説明を受けたり。フムフム。その時、韓国人の団体を乗せたバスが門をくぐったのですが、左右のミラーは門ギリギリ。下手な運転手は絶対擦ると思うのだけど、世界遺産にぶつけた場合って、誰に弁償るするのでしょうか!?なんてことを考えてしまったHIROでした。で、徒歩で門をくぐった後はトゥクトゥクに再び乗車したのだけど、バイヨンはそのまま通過し、像のテラス前にある食堂にて食事タイムとなりました。食堂到着後、すぐに物売りの子供たち、食事の注文をとる女性たちが来たけど、この日のツアーにはランチボックスもセットだったので、飲み物だけ購入しました。ちなみに、カンボジア製のコーラは$0.5也。この後、いくつかの食堂や売店に立ち寄るけど、$0.5だったのはここだけで、後はどこも$1でした。これって日本と同額だよね。完全に観光客価格だよな〜。あ、そうそう。ツアーにはコーラとビール、ミネラルウォーターが1本ずつサービスで付いていたのだけど、コーラとビールはNさんと、ドライバーさんにプレゼント☆とっても喜んでもらえましたよ〜(#^.^#)←自分はミネラルウォーターをもらったのだけど、数時間後に悲劇が待ちわびていました・・・。
|
|
ツアーのお弁当とカンボジア製のコーク。休憩した食堂の風景。ハンモックで寝ている人も。 |
30分ほどの休憩の後、いよいよバイヨンへ向かいます。ここも有名な場所なのに、ほとんど観光客が居らず(見かけた観光客は2人だけ)、午前のワットに続いて丁寧な説明を聞きながら、じっくりと見て回ることが出来ました。特にレリーフからは、当時の人々の生活が垣間見られて良かったです。もちろん、他の全てが興味深く、Nさんの解説をじっくりと聞いたのは言うまでもありません。実をいうと、私が訪れたこの日は、多くの女性たちがバイヨンの草刈をしていました。30人くらいはいたのではないでしょうか。日光対策に、みな笠をかぶっていたので表情はちらりとしか見えないのですが、みんなとっても笑顔が明るく素敵だし、そこからもれてくる話し声もとっても楽しそうだったんです。バイヨンの中心にある有名な観世音菩薩像の笑顔も素敵だけど、一生懸命作業をしていた女性たちの健康的な笑顔のほうが印象に残っています。
|
|
バイヨン。ほぼ貸しきり状態で観光が出来ました。 |
バイヨンを後にし、今度は徒歩でバプーオン、王宮、像のテラスを見て回ります。でも、ワットやバイヨンを見てしまった後では、感動はそんなに大きくありません。実は、バイヨンから歩いている時に、一人の少女に会ったのですが、その少女、ずっと追いかけてくるのです。いや、正確にいうと、何度も私を待ち構えて「ワンダラ〜!」と言うんです。もちろん、1ドル頂戴!ということなのだけど、ここでお金をあげてしまうとこの子のためにはならない、と自分に言い聞かせ、「ソ〜リ〜」と言ってその場を立ち去りました。まあ、何度も同じことを繰り返したのだけど。
(これでも一応教師の端くれの)HIRO、物売りの子供たちについて思う〜
いろいろな思いが錯綜して、なかなか自分の考えが纏まらないけど、結論から言うと、この旅では一切子供たちからものを買いませんでした。どうせ1ドルだし、何度も子供たちの無邪気な笑顔にもやられてしまいましたが、それでも心を鬼にして、今回は何も購入しませんでした。やはり、種々のガイドブックにも書かれているように、「子供たちから物を購入することによって、親達が子供を学校に行かせなくなる。子供の将来を考えると、物を買わないで学校に行く機会を与えてほしい・・・」ということが気になってしまいます。子供の数に比べ、絶対的にも相対的にも学校数が少ないカンボジアでは、子供たちは午前のみ、午後のみの2部構成で学校に通うことになります←実は、シンガポールもそうなんですよ。なので、物売りの子供たちが必ずしも学校に行っていないとは言い切れないのも事実です。
と、ここまで書いただけでも、街で見かけた多くの子供たちの姿を思い出してしまい、いたたまれない気持ちになってしまっています。びっくりするほどに日本語、英語を堪能にあやつる子供たち。本を買ってほしい!と寄って来た12、3歳の少年は、大部分のページをすべて完璧なまでの英語で説明してくれました。私の英語以上に英語らしい英語です。発音もばっちりでした。大学院まで出た私。しかも、専門は英語教育です。彼ら子供たちの英語を話す姿を見て、「アジアにおける英語の役割」について考えずにいられませんでした。よく、「日本では英語を勉強しても使うことがない」、「自分は一生海外に行くことがないから英語なんか勉強してもしょうがない」という言葉を耳にします。しかし、カンボジアでは英語力=生活力なんですよね。日本では、生きる力を育む教育という言葉を耳にして久しいですが、カンボジアでは、学校に行けない子供たちでも、生きるために必死になり語学力を身についているんですよね。実際、ガイドのNさんは、母国語のほかにフランス語、英語、日本語を流暢に話すことができます。日本語はまだ勉強し始めて2年も経っていないのに、「想定の範囲内です」(by ライブドアの方々)、「OK牧場」(by ガッツ石松)。「ジャンカ、ジャンカ、ジャンカ、ジャンカ、ジャ〜ン」(by アンガールズ)などの日本語も自然な場面で使っているんです。ただただ脱帽です。
カンボジアにいる間、私はずっとこんなことを考えてしまいました。夜も眠らずにね。。。HIROは「アジアにおける言語環境と政策」、「アジアにおける英語教育制度」が“専門”なのですが、まだまだ知らないことだらけだし、専門だなんて偉そうなことをいうのが恥ずかしくなってしまいしました。 |
再びトゥクトゥクに乗車し、今度は少し離れたタ・プロームに向かいます。途中、未完成の遺跡、タ・ケウの前を通りましたが、このとき初めて、有名なゲストハウス「タケオ」がこの遺跡にちなんでいることに気がつきました(^_^;)←シェムリには他にも遺跡に因んだ名前のホテルやG.H.がたくさんあります。タ・プロームはトゥクトゥクを降りてからちょっと歩いたところにあるのですが、次第に見えてくる樹木に覆われた遺跡に圧倒されてしまいました。大きさ的には東西1000メートル、南北700メートルほどなのですが、創建後に増築されたのか、まるで迷路のような作りですし、巨木が遺跡を侵しているし、また、あちこちで遺跡が崩れたままですし、気分は冒険家、いや、映画インディージョンズ♪な〜んてワクワクしながら先へ、先へと進みます。本音を言うと、ワットの次に見てみたかった遺跡なので、事前に多くの資料で写真を見ていたため、「あ、これだ、これだ!この巨木だよ!!」と嬉しくなっちゃいました(^_^;)。大きな樹木に囲まれているためか、他の遺跡と違ってあまり暑さを感じないですみます。と、同時に足元がぬかるんでいる場所もあり、気をつけないとズルっと滑ってしまいます・・・経験者談(笑)。
時間的なためか、またしても観光客はほとんどいなかったのだけど、偶然日本人男性の2人組がガイド無しで観光していたのですが、私が巨木に侵された遺跡の写真撮影に夢中になっている間、Nさんは親切に彼らにも解説してあげているんです。なんて良い人なんでしょう。ありきたりな「良い人」という言葉しか思いつかないけど、彼を見ているだけで心が洗われる思いでした。
|
|
|
左から、巨木に覆われた(侵された)遺跡。HIROと巨木の根の大きさを比較してください!の図。そしてアンパンマン・・・ん?! |
タ・プロームの観光が終わったとき、時間はまだ14:00ほど。てっきり、プノン・バケンからの夕陽観賞の前にG.H.に戻ると思ったんです。あるいは、「戻るなら差額を払ってください」と言われると思っていたんですが・・・実際には、「夕陽観賞まで時間があるので、ここの食堂で16:30まで休憩しましょう!」と言われました(^_^;)。2時間半ですよ!!Nさんに「ドライバーさんは?」と聞いたところ、トゥクトゥクはあるけど、彼の姿は見えない。どこかで休んでいるのでは?とのこと。こりゃ、“足”もないし、本当に休憩するしかないかも。食堂で休憩するには、「何も買わないと有料だけど、ジュースを買うと、ここのハンモックを借りて休むことができますよ」とのことだったので、昼食時から飲んでいる水をここで飲みきって、新しい水を補充することにしたのだけど・・・カバンを開いてびっくり!!!カバンの中、水浸し(涙)。ペットボトルのキャップをしっかり閉めていたのだけど、一度開けてしまうと、軽く振っただけで水が漏れるくらいのキャップだったんです。はい、これ、ツアーのサービスでカンボジア製(T_T)。パスポートや航空券はどこかの旅行会社からもらったビニール製のポーチ?に入れていたから助かったけど、ガイドブックやその他のもの、全部水浸し。うぅ・・・(T_T)。水難の相が出ているのかも・・・笑。
カバンの中の掃除でバタバタしていると、多くの子供たちが寄ってきます。「○×を買わないかい?」と。でも、こっちはそれどころでないんです(^_^;)。なんで、とっととハンモックに移動して寝たふり。でも、生まれて初めて寝てみるハンモックは意外と落ち着きません。落ち着かないばかりか、落ちそうになってしまいます。
結局、眠れるわけもなく、ガイドやドライバー、お店の店員たちが楽しそうに盛り上がっているのを見ながら、水没したガイドブックで、今日これまで見て回った場所をおさらいしたのでした←これ、私の拘りなのですが、どこへ行くときにも、ガイドブックなどで行き方や料金などはしっかり調べるけど、極力解説までは見ないようにしているんです。なるべく変な先入観を持たずに、実際にその場で見て、感じ取りたい、そう考えるからなんだけどね。
16:00くらいになると、店員たちが店じまいを始めます。また、帰っていく店員もチラホラ。なんだかとっても気まずいし、それに、カンボジアに来てまで眠ったふりをしているのはもったいないので、「そろそろ行きませんか?」と声をかけてみました。ほどなく、Nさんはドライバーさんを見つけてきてくれて、再出発!向かった先は、この日のツアー最後になっているプノン・バケン。ここから眺める夕焼けは最高らしく、夕暮れ時には多くの観光客で賑わう場所です。なので、混みあう前に行くことにしたのですが、いざついてみると、そこには数十メートルは続く急な坂があるんです。いや、坂ではなく崖です。大きな岩がむき出しの。そこを登ると、ようやくプノン・バケンが見えてくるのだけど、これがまた凄いんです。ピラミッド型の遺跡なのだけど、何層かの基壇が積み上げられ、中央に5棟の祠堂がある、階段構造になっているのですが、上にあがる階段がめちゃくちゃ急なんです。たぶん、ワットの第三回廊より急だし、それ以上に足をかける場所が狭いんです。かつ、階段を赤茶色のさらさらとした土が覆っており、とっても滑るんです。登るときも怖いけど、降りるときはとっても怖かったです。坂、階段ともにとっても急ですから、必ず運動靴を履いて訪れるようにしてくださいね。
|
|
|
笑っちゃうほど急な坂。プノン・バケン全景。夕陽を待つ多くの観光客。 |
あ、そうそう。一応、報告しますが、やはりまだ雨季のため、曇り空で夕暮れらしい夕暮れは見ることが出来ませんでした。なので、30分ほどぼけ〜っとした後、登ってくる人がまだまだ多かったけど、早々と坂を下りたのでした。私がぼけっとしている間、またしてもNさんは、一人旅の欧米人に英語で解説をしてあげていました。
|
あいにくの曇り空。 |
こうして、この日のアンコールツアーはおしまい。バイヨン、タ・プローム、ワット、プノン・バケンと回るのが一般的だけど、あえて順番を変えて大正解でした。また、ガイドのNさんの解説も詳しく、それ以上にNさんの人柄が素晴らしく、本当に満足のいく内容でした。ツアー終了後にドライバー、Nさんのそれぞれに数ドルのチップというかお礼を渡したのだけど、受け取るときの嬉しそうな顔、また、心からお礼を言ってくださっているのがとっても嬉しかったです。
で、ゲストハウスに着いたのは18:00ほど。速攻でシャワーを浴び、着替えをして再びロビーに向かいます。着替え終了後に、鼻をかんでびっくり。だって真っ黒なんです。まあ、確かに土ぼこりが凄かったしなぁと思って、綿棒で耳掃除をしてさらにびっくり。耳の中まで真っ黒だったんですもの。なるほど。どうりでドライヤーやシャンプーなどはおいてなかったけど、綿棒だけはしっかり何本も用意されてあったわけだ(笑)
ロビーで前夜一緒にレストランいったAさんと再会した後は、バイクに3人乗り!して、とあるレストランに向います。そこで、さらにAさんが日中知り合ったKさんと落ち合ってレストランの中に入ったのですが、こんなに緊張しながらレストランの扉を開けたのは生まれて初めてでした。
|
ここは何のお店でしょうね?(笑) |
上の写真でお分かりですよね?そうなんです。我々が入ったのはピョンヤンレストラン。そう、あのピョンヤン(平壌)。つまり、北朝鮮政府直営のお店なんです。それだけでもびっくりなんですが、働いているウェートレスさんはみな、あの喜び組に所属している女性達らしのです。もちろん、真偽のほどは定かではないけど、あちこちでそういわれていますし、女性の様子をみているとそう思えてきます。しかも、夕食時にある程度のお客さんが集まると、あの喜び組の歌と踊りを披露してくれるんです。なお、注文したのは当然冷麺中心です。冷麺は韓国ではなく平壌が発祥ですからね。
|
|
|
踊る美女集団。ムービーを見たい方はHIROに直接声をかけください。食べた冷麺。 |
で、レストランの、いや、喜び組に遭遇した感想。いや〜とにかく凄かったです(^_^;)。歌っている時、踊っているときはテレビでみるあの笑顔のまんまなのだけど、曲が終わったと同時に、笑顔1つ無い恐ろしいまでの冷静な表情になってしまうんです。もちろん、カメラでその現場を押さえましたよ(ろ笑)。最初はこっそり、ひっそり写真を撮っていたのだけど、最後には図々しく喜び組のお姉さんとのツーショットで写真を撮ってもらいました。もちろん喜び組も思い出だけど、それ以上に、食事の時に3人で話したそれぞれのカンボジア観、シェムリアップ観、また海外旅行への思いなども超しかったっす!!2日目にも書いたけど、本当に「初めて会った気がしない」んです。それくらい打ち解けてお話をすることができました。改めて、AさんとKさんにお礼を述べさせていただきます。とても楽しかったです。どうもありがとう☆一生の思い出です!
こうして3日目の行程もほぼ終了。Aさんと別れる際に、明日の朝の待ち合わせ時間、場所を確認したのですが、その場所は、なんと「アンコール・ワット」(笑)。シェムリの街にいるのだから、ワットの前で待ち合わせをしたっていいじゃないですか(笑)。でも、携帯電話はもちろん、公衆電話も無い場所ですから、ワットで待ち合わせること自体、かなりの冒険なんですがね。
お二人と別れた後、おとなしく部屋で休むようなHIROではありません。一人で夜の町を徘徊したのですが、いつもの旅のつもりで裏通りに入ると、街灯なんかあるはずも無いその通は、恐ろしい限り。意を決して歩いてみたけど、なんたって真っ暗で物騒な感じだし、すれ違う人がみな怖い人に思えてきてしまいました(^_^;)。
真っ暗な町に緊張していたのか、はたまたただのドジなのか、帰りは拾ったトゥクトゥクに乗ったのだけど、降りる際にコケてしまい、ヒザを強打(涙)。部屋に戻ってみると5センチくらい切れてしまっています(T_T)。血が出ています。。。幸い、縫うほどではないので、ただただ痛みを我慢して眠りました。いや、痛くて眠れませんでした(笑)
|