バンコク・アンコールワット旅行記 2005年
2005.10.82005.10.12

はじめに   1日目   2日目   3日目   4日目   5日目


4日目〜ベンメリア、そして地雷博物館
 「アンコールの朝焼けを見るために5:00出発!」がこの日の日程です。と、言うわけで、前夜、一応携帯とパソコンのアラームを4:00セットして寝ました。でも、3日目の最後にも書いたとおり、足を怪我して痛いし、右の足首から下だけでも7箇所も!虫に刺されて痒いし、全然眠れませんでした。虫刺されは、右足を中心に20箇所ほどにもなってました。虫除けスプレー、全く機能せずですぅ。。。(T_T)

 4:00近くになると他の部屋からもアラームが鳴っているのが聞こえてきます。シャワーを浴びる音も聞こえます。みんな、朝焼けを見るために早起きをしているんですね。じゃ〜そろそろ私も起きるかな〜と、自分も眠い目をこすり、シャワー、着替えと準備をし、4:30過ぎには準備も完了してしまいロビーに降りたのですが、なんと、ガイドのNさん、既に待機しているんです。しかも、手には日本語のガイドブックが!そうなんです、勉強熱心な彼は、今日のガイドのために、こんなに朝早くから下調べをしていたんです。

 出発までの時間は、ロビーにあったPCでメールをチェックしたり、ネットでニュースを見て世界の動きを確認したりしました。そうこうしているうちに、ロビーには私を含め日本人観光客が6人になりました。前日の朝、「映画ラピュタに出てくるお城のモデルになった遺跡に行きませんか?」な〜んてことを言い出したのは私だったんですが、G.H.の方も声をかけたらしく、気がつけばこんな大人数になってました。しかも、ワットで待ち合わせしているAさんがさらに加わるので、なんと総勢7人ですよ(^_^;)。日本を発つ前に、友人等に「ただでも舗装されていない道のに、雨季で荒れているところを、バイタクに乗って片道2時間かけて移動するんだ」なんて言ってあったのですが、現実的には快適なエアコン付きの車で移動できることになりました。

 ただ、ガイド無しで車だけを手配し、料金をみんなで割り勘にするつもりだったのだけど、人数が増えたためか、いつの間にか最初に言い出した私が知らない間に、食事やガイドなども全て含まれた一人当たりUS$35のツアーに変更になってました。他の参加者の方も私と同じ認識だったので、ツアー終了後に、社長さんにそのことを直談判しました。まあ、結果的には、社長さんなりに精一杯の誠意を見せてくれたので、お互いの主張のほぼ中間の額で交渉?成立しました。日本円にしたら1000円ほどの差でしかないのだけど、やはり、自分がみんなを誘ったという責任も感じたのでこんなことになってしまいました。

 事前にもっと社長さんと確認をしなかった私も悪いのかもしれませんが、後味の悪い思いをさせてしまったツアーに参加した方々、そして時間や手間をかけてしまったG.H.のスタッフのみなさんに心からお詫びいたします。

 みんながそろった段階で出発となりました。この日の移動手段は4列シートタイプのハイエース。当然エアコンも付いているし、前日のトゥクトゥクよりずっと快適だけど、カンボジアらしさはあまり感じられません。しいて言えば、エアコンの操作パネルの温度操作レバーが他の南国と同じで全部青いってことかな 。つまり、ヒーターは付いていないってことです。必要無いから当然といえば当然だけど(^_^;)

    シンプルなエアコン操作パネル(笑)

  昨日と同じ道を通ってワットに向かうのだけど、まあ、人の多いこと、多いこと。バス、車、トゥクトゥク、バイタク、自転車、徒歩、ありとあらゆる交通手段の人がワットを目指して進んでいます。これだけ混んでいても、チェックポイントでは懐中電灯を使用して一人ずつしっかりチェックしていました。 で、綺麗な夜明けが見えたのか?といういうと。。。下の写真の通り。やはり ガイドブックに載っているような綺麗な日の出は見ることができませんでした。残念!!ちなみに、私の印象では、朝日を見に来ていた観光客の半数以上は日本人ではないかな?と思われます。日中は、韓国人観光客の多さが目立ったけど、朝は日本人が多かったです。これは、国民性の表れなのでしょうかね!? それとも、異国に居れども“朝陽”は日本人の文化なのでしょうか!?興味深い発見だと思いません??

                残念ながら曇り空でした。

 だいぶ明るくなった6:00過ぎには多くの人が帰りだしました。さすがに、こんな時間からワットの見学をする人は居ないようです。そろそろAさんとの待ち合わせ時間だったので、みんなに一声かけ、一人で入り口である西参道まで迎えにいきました。すれ違うかな?なんて前夜はちょっぴり心配だったけど、すぐに会うことが出来ました。アンコール・ワットでの待ち合わせってもっと感動的なものかな?なんて思っていたけど、意外と普通でした(笑)

タイトル。『回廊の向こうのワット』。芸術的?

 これで参加者全員集合。日本人7人+ガイドのNさん。そしてドライバーさんの計9人。目指すベンペリア遺跡は郊外にあるため、そのまま出発となりました。 昨日に引き続きガイドをしてくださったNさんですが、やはり女性が5人も居るためか、前日よりテンションが高いというか、嬉しそうというか。。。笑。そういえば彼、前日、「日本人女性は綺麗な人が多いですよね」なんて言ってましたっけ。出発して程なく、「ベンメリアとバンテアイ・スレイのどちらに先に行きますか?」と聞かれましたが、通常のツアーではベンメリアに先に行くらしく、逆回りにしたほうがじっくり観光できるのでは?とのことでしたので、当然のようにベンメリアを後回しにしました。
 バンテアイ・スレイの方がシェムリに近いとはいえ、それでも40キロもありますし、なんたって、舗装されているわけもなく、砂利もひかれていない道です 。ワットを出発してから1時間が経過した7:30にようやく到着しました。その間ずっと窓の外の光景を見ていたのですが、朝の出勤や登校の時間と重なることもあり、カンボジアの人々の生活をほんの少しではあるけど垣間見た気がし ます。もし、次にカンボジアに来る機会があれば、今度は郊外をバイタクでのんびり見て回れたらいいな、そう思ったくらい、私を惹きつけた数々の光景でした。例を挙げると、舗装されていない道を、3頭の牛を木の棒を使って追いながら歩く6〜7歳くらいの少年。どうです?こんな光景、日本では絶対に見れないでしょ?そんな小さな子供も、
自分の役割をしっかりと認識して家族が生きていくために働いているんです。

          繊細なレリーフが多いバンテアイ・スレイ。真ん中の写真の左右に東洋のモナリザが。右がそのアップ。

 バンテアイ・スレイといえば、「東洋のモナリザ」と言われる、美しいデバタ ーのレリーフが有名ですよね。赤色砂岩で作られたこの寺院は、ワットよりもさらに前の957年創建。そんなに古いものなのにレリーフがとっても綺麗に残っているんです。石材の質が非常によかったのでしょうね。また、ワットのデバ ターと比べると一目瞭然ですが、東洋のモナリザと称されるデバターは、非常に柔らかく温かい表情をしています。保存状態の良さ、レリーフの繊細さなど、ワットやバイヨンとはたくさんの違いがあるバンテアイ・スレイ。正直、あまり期待はしていなかったけど、来てよかったと思える遺跡でした。
 トイレ休憩後に再出発となる予定だったけど、参加者の皆さん、異口同音に「お腹がすいた」とのこと。まあ確かに朝も早かったし、時間も8:30だしね。ちなみに、私は4:00の段階で、持病の薬を飲むためにカロリーメイトを食べてました(笑)。とはいえ、カンボジアに来てからまだローカルの食堂に入っていなかったので、当然のように私も朝食をとることに。食べたものは、カンボジアに限らず、東南アジアに来たら必ず食べる
フライドライス。チャーハンのことです。メニューの中に、カンボジアフライドライスってのがあったので、それを注文。それとサンドウィッチ。図々しくもAさんと半分ずつ食べ、2品を味わうことが出来ました。またしてもありがとう<m(__)m>>Aさん

食堂に止まっていた地雷除去活動のトラック。日本の援助での購入だったのですね。

 食事後は、一路ベンメリアへ!なのですが、やはり遠いです(笑)。朝も早かったし、それに食後のためってこともあるけど、みなさんお休みモードに突入。でも、私は取り付かれたかの様にずっと車窓を眺めてました。途中、何度か学校と思しき建物の前を通ったのだけど、高床式の建物の下のスペースを利用したものだったり、壁の無い天井だけの建物だったりと、日本とはぜんぜん違う外見です。でも、多くの子供たちが熱心に先生の説明に聞き入っているようにみえました。思わず、「この場所で止めてください。自分はここでボランティアとして子供たちと触れ合いたいです」と言いたい衝動に駆られました。

        左。道端にある売店とそこで遊ぶ子供たち。 右。牛を追う少年。

 途中、雨で流された道を、やっつけ仕事のように盛り土をしている場所がたくさんあったりで、本当に無事にたどり着けるのかな?着いたとしても帰りに道がなくなっているのでは?なんて不安になりながらも、10:30にはベンメリアに到着しました。ちなみに、ベンメリアはアンコール共通入場券では入れません。別にUS$5払う必要があります。

           道路補修中でしばし足止め(^_^;)。その近くにあった民家。

ラピュタのモデルになったといわれるベンメリア。しかし本当にそうなの?というのが私の率直な感想。中にはタ・プロームがラピュタのモデルという人もいるけど、はたして宮崎駿監督はカンボジアに来たことがあるのでしょうか?! (笑)。監督自身はもちろん、ジブリも正式な見解は出していないでしょうし、 これからも出すことは無いと思います。ただ、ベンメリアが一般に開放されたのは2000年ですし、道路が整備されたのはさらに後の2003年。物は試しといくつかのポータルサイトで「ベンメリア ラピュタ モデル」のキーワードで検索したところ、やはり、というか当然というか、ベンメリアツアーを企画している会社の宣伝文句に行き着いてしまいます。まあ、そんなわけで、ラピュタのモデルか否かはあまり詮索しないことにして、今なお修復されないまま、森の中にひっそりとたたずむ1つの遺跡としての感想をまとめてみようと思います。

  ベンメリアへ続く参道。この奥に!

 まず、規模は小さいものの、ワットとの類似点が多く、東のアンコールワットと呼ばれるのも納得です。また、創建年ははっきりとしていないものの、ベンメリアの方がワットよりも先に作られたらしく、ベンメリアがワットの試作品だとする説もあります。ワットをさらに深く知るためにベンメリアを訪れてみるのもいいかも。ただ、観光客が行く場所はさすがに地雷は除去されているものの、石材は崩れたままほとんど手付かずにされているので、まるで遺跡を発見した冒険家がそうであったように、足を踏み外さないよう一歩一歩着実に進まないといけませんし、やみくもに進むと、入り口がどっちだったのかさえわからなくなります。周囲を見渡しても、崩れた石、そしてその向こうには森。しかも、その森には今なお地雷が埋まったままだとか。いろんな意味で、他の遺跡との違いを感じるベンメリアでした。なお 、入り口近くに管理会社?の係員がけっこうたくさんいるのですが、観光客が来ると、無言のまま着いてきてくれます。そして、順路を示してくれたり、危険な場所では手を貸してくれたりします。今回はガイドのNさんが居たためか、係員の3人の方は終始無言。一番若い20歳くらいの女性が、私に、小声で「アプサラ ・・・」とたった一言、レリーフの説明をしてくれたのが彼らと交わした会話でした。もちろん、手を貸してくれたときには、サンキューとかカンボジア語でオークンとは言ったけど。また、ガイドブックにも書いてあるし、Nさんにも言われたことですが、当然、最後には彼らに小額のお礼を渡しました。ちなみに、私は3人の係員それぞれに$1ずつ渡しました。

          ジャングルにひっそりたたずむ遺跡、ベンメリア。くれぐれも足元にご注意くださいね!

 こんな風に、休み休み1時間ほど散策したベンメリア。散策の途中で、ラピュタなのか違うのかなんてもうどうでもよくなってました。とにかく、ほぼ発見されたままの姿の遺跡を自分の足で歩き、自分の目でじっくりと見ることができただけで大満足です。1860年に、フランス人学者のアンリ・ムーオがジャングルの中からアンコール・ワット発見した時も、きっとこんな感じで遺跡を見て回ったのだろうか・・・そんな気持ちにさせてくれる遺跡でした。

 このベンメリアで、遺跡観光以上に思い出深い出来事があったのですが、それは参道に落ちていた「牛のフン」を見たガイドのNさんの一言。「もったいない」と。参道にあってもただの障害物?だけど、これが畑だったら肥料になるんだ、とNさん。自然とともに自給自足で暮らす人が多いカンボジアです。そんな彼らにとってはフンというども、貴重な財産なんですよね。でも、なに不自由ない日本で暮らしている私は、彼の一言を聞いて、目からうろこが落ちる思いでした。

                ベンメリア近くで遊びまわる元気な子供たち。

 この日の昼食はツアーにセットになっていたランチボックス。前日と同じく、ローカルの食堂でドリンクだけを購入してそこで食べたり、ハンモックで休んだり。食堂の店員の子供たちが何人かいたのだけど、木や植物で手作りした玩具で遊んでいたり、大人用の大きな自転車を器用に乗りこなしたり、まるで父や母から聞いたことのある、戦後の日本の子供たちのようでした。街やワットで見かける物売りの子供たちと違い、とっても無垢で純粋な子供たち。自分も何枚か写真を撮ったのだけど、ちょうどその時、カンボジア在住の日本人カメラという人が来ており、私と同じく子供たちの写真を撮影していました。

 1時間ほどの休憩の後、シェムリの町へむけて再出発!帰りは往路とは違う道を走行していたのですが、途中いくつかの集落を通りました。学校があったり、雑貨屋があったりと、人々の生活の拠点となっている場所なのかもしれませんが、“町”というには程遠いもの。電気や水道のインフラなんかありません。基本的に自給自足の生活です。「今この場所で降りたとしたら、自分は生活していけるのだろうか?」と自問自答してしまいました。答えは。。。みなさんと同じです。

 途中から国道6号線に合流したのですが、その直後に結構な雨が降ってきました。それでもバイクに3人乗りしてる人や、トラックの荷台に乗っている人がいます。本当に彼らは「強い」!!!屋根にバイク!を積んでいる乗用車。バスの天井にまで鈴なりに乗っている人々。挙げればきりがありません。私にとってはその全てが驚きであり、彼らにとってはどれも「日常の出来事」。このギャップは一体何なのでしょう・・・。

 いろんな思いが交錯するなか、雨が止んだ頃にはG.H.に到着。時間にしてまだ15:00前。帰りの便、PG947は20:00発なので、まだまだ時間があります。と、言うわけで向ったのは、アキラの地雷博物館。アキ・ラーさんという人が運営する博物館なのですが、日本でのプランニングの段階から、遺跡の他に絶対行こうと決めていた場所だったのでした。最初は一人で向うつもりだったけど、初日のレストラン、そしてこの日のベンメリアでも一緒だったSさんも同行してくれました。
 地図上では近いと思った博物館ですが、実際には結構遠いし、とにかく道が悪い!トゥクトゥクで向ったのだけど、大きな石がごろごろしてるし、道も轍になってるしで、トゥクトゥクが壊れるのでは?と心配になったほどです。最初は、帰りは流しのトゥクトゥクを拾うつもりだったけど、本通からかなり奥まったところにあるその場所に、流しのトゥクトゥクやバイタクは来るような気配は全くありません。なので、乗ってきたトゥクトゥクのドライバーに待っていてもらいました←帰りの値段を交渉したら、いくらでもいい。Youが決めてくれ!なんて言われて面食らってしまいました(^_^;)。ちなみに、$2でOKしてもらいました

 トゥクトゥクを降りたその場所は結構広い空き地になっており、数人の子供たちがサッカーボールで遊んでいたのですが、みな、地雷の被害者なのか足がなかったり、手がなかったり。。。なのに、とっても元気に遊びまわっています。その時、一番大きい12〜3歳くらいの少年が私たちに気付き、なんと
日本語で「こんにちは〜!」と挨拶してくれました。と、同時にボールもパスしてくれました。事前に調べた情報では、この博物館には青空教室が併設されており、そこで多くの子供たちが日本語などを勉強しているとか。でも、帰国後に詳しく調べてみると、子供の人数に対してボランティアの数が追いつかないのか、今は教室はお休みのよう。最新の情報はわかりませんが、こんな自分でよければ何かしらの力になりたい、そう思いました。いや、今も強くそう希望しております!!

                   アキラさんの自宅に併設された博物館。一面、地雷、手榴弾の山。

 博物館自体は、大きなものでもなく、写真のように安全に処理された多くの地雷が並べられている倉庫のようなたたずまい。しかし、地雷のほかにも地雷や博物館に関する新聞の切り抜き、また、世界中の子供たちから届いた手紙なども展示されていました。日本の小学校から、総合学習の間で地雷のことを学んだというお礼の手紙も届いていましたよ。
 今なお、多くの地雷が残されているカンボジア。一刻も早い地雷除去を願うのはもちろん、今後世界中のいかなる場所でも、戦争や争いをして欲くない、そう思ったのでした。でも、私ができることは、僅かながらの募金を募金箱に入れることだけでした。。。
自分の無力さが腹立たしい!!

 15分ほどの滞在の後、この旅最後となる
オールドマーケットに向います。シェムリアップの台所とも言うべき、町の中心部にある市場なのですが、肉や野菜、雑貨、お土産などが所狭いしと並べられています。もちろん、日本のスーパーとは違い、捕れた(獲れた)ままの状態です。人々の熱気も凄いけど、臭いもすごい、すごい(^_^;)。その全てに圧倒されてしまいました。

   左から。マーケットの外。マーケットの中の様子。そして、近くにあった、セブン-イレブンの偽物?セブン-ブライト!?(^_^;)

 さすがに、夕食には早いので屋台でカットフルーツを食べたのだけど、どう考えてもニンジンとしか思えないものも入っています。まさか?と思って、屋台の冷蔵庫をみるとやはりニンジンが(^_^;)。なお、このニンジンがカンボジアで食べた最後のものとなりました(笑)

              屋台にて。ちなみに、これで$0.5でした。

 G.H.に戻った後はシャワーを浴びてチェックアウト。すっかり真っ暗になっていたのだけど、来たときと同じでバイタクで空港に向うことになりました。見送りに出てくれたSさんやG.H.の現地スタッフに丁重にお礼を述べたけど、I wii come back here in the near futureと言ったのは、お世辞でもなく、私の本心からでた言葉でした。

 そんな色々な思いを胸に空港に向ったのですが、悲しいことに雨が降っています。乗っているのはバイタクです(T_T)。空港に着いたときには服も顔も泥だらけ(涙)。まあ、これもカンボジアの思い出です。搭乗開始までまだ時間があったけど、地方の駅のような空港です。何もすることがありません。なのですぐにチェックイン、出国を済ませ、搭乗券に記載されていたゲートの前で柄でもなく、一人感傷にふけっていました
←ずっとゲートの掲示板搭を見ていたのですが、搭乗開始の案内がなかなか出ません。おかしいな?と思って2つ隣のゲートを見ると、私が乗る便が既に搭乗中(笑)。乗券券をくれたの、ついさっきですよね!?(笑)。変更になったなら放送くらいしてください!まあ、実際には小さな空港だから無問題といえば無問だけどね。

 タイまでの搭乗機は、日本では聞いたことも無い
ボーイング717という機材です。まあ、実際にはMD95がボーイングと合併してから作られたものなので、基本はMD95と同じなのだけど、座った場所が問題でした。25Aというその席は最後列の窓側。飛行機に詳しい人ならもうわかりましたよね。MD95ってエンジンがボディーの直付けになっているんです。25A席の横に(^_^;)。一応窓はついてるけどエンジンしか見えませんし、うるさいのなんのって。でも、国際線なのに僅か50分のフライトです。まだ完全に上昇中の離陸5分後には機内食のサービス開始!食後のドリンクサービスも着陸直前まで続いています。いやはや、恐れ入りました。

   搭乗機B717まで徒歩で移動します。

 こうして2日ぶりのバンコクに着いたのですが、次のフライトまで3時間なので入国はしませんでした。パスポートのスタンプが欲しい人なら入国する時間はあるけど、旅の最後にそんなに歩き回る余力はありません。。。とか言いつつ、やはり暇なんで、空港を隅から隅まであるきました(笑)。新しい国際空港が来年完成するので、ドンムアンはこれが最後だろうしなぁ〜なんて思いながら歩き回ったのですが、タイらしいことといえば、やはりタイ式マッサージのお店、いやマッサージ屋さんが数軒あったこと。でも、やはり空港価格で高いのなんのって。30分でも600バーツです。しかも、バーツをほとんど持っていない私は円での支払いだったので、30分で2000円也!・・・はい、支払ったのから値段がわかるんです(^_^;)。でもね、結果を述べると、30分でも非常に満足のいくもので、内容的にも2日目にカオサンで受けたものとほとんど同じ。時間短いために、マッサージ師のお姉さんが慌しく忙しそうにしていたのだけど、旅の疲れが一気に癒された思いでした←ただ、腕時計をはずすのを忘れてマッサージをしてもらったため、お気に入りのマリオ・バレンチノの時計が壊れてしまいました。。。号泣。

 帰りの搭乗機はB767。あまりの疲れと寝不足のため、それと乗り物酔い止めの薬を飲んだためか、乗ったと同時に爆睡。寝つきが非常に悪い私が飛行機で眠ったのは、これが始めてかもしれません。


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