アジア6+1ヶ国周遊記 2008夏
〜台湾・香港・ベトナム・インドネシア・シンガポール・マレーシア+30分だけ中国&2時間だけ仙台〜
2008.7.28〜2008.8.7

はじめに   7月28、29日  7月30、31日   8月1、2日   8月3、4日    8月5、6日   8月7日 


3日目
 絶対に寝坊できない!その気持ちが強いため、寝不足と前日の疲れでぼろぼろなのに目が覚めたのは3:30。二度寝を避けるためにそのまま起きたけど、2時間しか寝ていません。この3日間、だんだん睡眠時間が短くなっています(笑)。5時半にはチェックアウトをしたけど、予想に反してホテル前にはタクシーが止まっていません。走り去るタクシーもほぼ皆無←2台通ったけど、お客が乗っていました。前日に、ちょっと荷物を運んでもらっただけでUS$1のチップをあげたのがよかったのか、フロントスタッフが必死に探してくれ、近くのビルの前に止まっていた無人のタクシーの運転手をどこからか連れてきてくれました。だけど、その運転手、上半身は裸、ズボンも足を突っ込んだけで、道路を歩きながらファスナーを上げ、ベルトを通しています。おそらく、寝ているのを起こされたのでしょう^^;

 空港までは20分ほどですが、やはりベトナム。それもホーチミン。とにかくバイクが多く、しかも信号や車線というものは目に入らないのか、皆、「自分が世界の中心」状態。何でもあり。そんな中、さっきまで寝ていた運転手は、めちゃめちゃな英語で機関銃のように話し続けます。「俺も前は韓国車だったけど、今は日本車に乗っているんだ!」とガッツポーズとともに運転中に叫んだり、「ホンダのバイクに乗っている女性のほうが金持ちでいい女だ」などと。空港まではメーターで走ったくれたけど、ドンではなくUS$で払ったら、2ドルほど多く請求されてしまいました。わずか2ドルだけど、物価を考えるとややぼったくり気味です。でも、まあ朝から喧嘩をしたくないので言われるままに支払いました←ドンを持っていないからこちらも強くは出られないしね。

フエ空港到着後。地方空港らしく、タラップで乗り降りします。

 定刻が7時ちょうどの国内線に乗るのですが、空港に着いたのが5:50。かなり早いかな?と思ったけど、ベトナム航空の国内線カウンターは長蛇の列。自分の順番が来たのが6:25ほど。ちょうどそのとき、「フエ行きの搭乗を開始します」との放送が流れたので、すぐに2階のセキュリティチェックを受けゲートに。だけど、ゲートに向かう途中、搭乗の最終案内のコールがありました。まだ6:30だし、それに搭乗開始から5分しかたっていません。いくら沖止めのためバス移動になるとはいえ、5分間というのは短かすぎ。実際、私が急ぎ足でバスに乗り込んだ後も次から次に乗客がやってきます。しまいには、走り出したバスが急停車して、再び乗客を乗せるほど。バスの車内を見る限り日本人は私だけで、ベトナム人とフランス人が多いようです。
 ほどなくして乗り込んだA321機。全席エコノミーの設定ですが、チケットを見る限り高い運賃クラスでの予約になっていたせいか、前方の幅広い上級座席が割り当てられていました。らっき〜♪
←同時に、2ヶ月も前に予約したのだから、もう少し安い運賃でも予約できたのでは?という気にもなったけどね。

 1時間のフライトの間、少しでものんびりしようと思ったのだけど、やはりそれも間違い。窓側席に座っていたのだけど、すぐ横には顔がしわしわの80歳くらいのおじいさんが座っていました。そのおじいさん、よほど飛行機がうれしいのか、それとも外の光景が気になるのか、身を乗り出して窓の外を見ようとします。私がつぶっていた目を開けると、おじいさんの顔面がすぐ目の前に!(笑)。しかも、搭乗中ずっと。東向きの席で朝日がまぶしく、窓のシェードを閉めると「閉めるな!あけなさい!」とジェスチャーするおじいさん。快適なはずの上級シートなのに、非常に不愉快な、いや、正直気持ち悪い思いをしてしまいました。朝っぱらから^^;
←所得の差を考えると、飛行機が贅沢なのかもしれませんね。

 いかにもアジアの田舎空港という趣のフエの空港には定刻に到着。あまりに小さな空港で、滑走路の脇に誘導路がありません。小型のA321だからできるのでしょうけど、滑走路の端まで行った後、
自力で180度回転。意外と小回りの利くことに驚いちゃいました。まあ、車でいうところのホイールベースは短いですからね。

 フエの空港では、3日間案内してもらうことになるガイドのタムさん(30代男性)が待っていてくれました。もちろん、私一人だけの専属ガイド&専属車。10数年ガイドをしているという割には、あまり日本語が上手ではなかったけど、いつでも質問をできるのはありがたいです
←だけど、3日間、ことあるごとに自分の給料が安いこと、翌週子供が生まれるのでお金が必要だ、などとあからさまにお金の話ばかりするのは非常に不愉快でした。日本人ならお金があるでしょ!そうはっきりいってくるしね。

ミンマン帝廟
第2代皇帝、ミンマン帝の廟。

 事前に渡された行程表では、お昼をはさみ5つの観光場所を回る予定でしたが、まだ時間は8時過ぎ。しかも、私一人のため、午前中だけで十分に全部を見ることができるとのこと。多少昼食が遅くなっても、午後にホテルでゆっくりと休めるので、午前ですべてにまわってもらうことにしました。

カイディン帝廟。第12代皇帝、カイディン帝の廟。王風な建築物でした。

 フエの街は世界遺産になっているのですが、すべてにおいてベトナムのたどった道を意識させられました。フランス流の建築物があるかと思えば、ベトナム流もあります。かと思うと、中国の紫禁城の建物の数々をそっくりとまねて作った王宮があったりします。まさかベトナムで紫禁城やパリの凱旋門を模した建築物を見るとは思いもしませんでした←いや、正確には事前にガイドブックで読んで知っていたのだけど^^;

トゥドゥック帝廟
第4代皇帝、トゥドゥック帝の廟。絵画的な
美しさなのですが、とにかく熱かった〜!

 とにかく暑い中での観光で、そろそろ熱中症になりそうだ・・・と思った頃に5箇所すべての観光が終了しました。ちょっぴり遅い1時過ぎのお昼ご飯で、レストランの客は私一人。日本でも食べたことのない初ベトナム料理の感想はというと、「日本人の口にも合い、食べやすいな」というものです。タイ料理の辛さや酸っぱさ、カンボジア料理の独特の風合い、ミャンマー料理の油分の多さと比べ、非常に食べやすいだけではなく、「とってもおいしいです」と思ったほどでした←世界中を旅したけど、やはり、日本人には和食が一番合うと思っています。

王宮。左、巨大なフラッグタワー、右、王宮門。北京の紫禁城そっくりの建物配置です。

 この日の宿であるピリグリミッジ・ビレッジホテルは非常に豪華で贅沢な作り。各部屋はバンガロータイプで独立した建物になっているのだけど、ロビーやレストランまで移動するのも心地いいほど。まるで高級な別荘地を散歩している気にさえなってしまいます。いや、独立した建物を見ていると、ホテル名の通り、ひとつの村を形成しているかのようです。部屋自体も30畳はあろうかという広さで、バスルームも広大。バスタブのほかにもシャワースペースがあり、貧乏人の私には似つかわしくないほど。ウェルカムフルーツが用意されているホテルを利用するのも初めてだし、何よりも驚いたのが、すべてのタオル、シーツ、便座、バスタブなど、部屋中に数十個は置かれていた小さな赤い花。最初は造花かと思ったら、なんと生花だったんです!←と、フエの世界遺産よりもホテルに感動したおろかな私です(笑)

写真を5枚も貼ってしまうほどの感動でした。
バスルームも広大だし、ベランダも広々。
部屋の前も南国の別荘地のようだし、
なんといっても、部屋中に飾られたこの赤い
小さな生花に感動しちゃいました。

 チェックインしたのが15時。ホテルの敷地内のレストランでの食事は20時にお願いしたので、まずはゆっくりと入浴。そして昼寝。あ!ちょっとまった!その前にこれまで3日分の服の洗濯をしなければなりません。夏のアジア旅行はとにかく暑く、何度もシャツを着替えたりします。日本から多くをし持参することもできないし、それに10日間も汗をかいたシャツをスーツケースに入れておくのは不衛生もいいところ。なので、ちゃんと洗剤を持参ているんです。連泊するならランドリーサービスを利用することも可能だけど、私のような周遊型ではそれも無理。だけど暑いアジアの国々では夕方に洗ったら夜には乾いてしまいます。ちなみに、洗う時はバスタブを利用しますが、子供の頃に、死んだ祖母が孫のおむつなどを手洗いで洗っていた様子を思い出しながら←洗う手順も、祖母が玄関先のタライで洗っていたように☆
 
 16時頃、2時間くらい寝ても夕食には余裕で間に合うだろう、そう思って目覚ましを使わないで寝入ったけど、はっ!と目が覚めると既に19:45し。さすがにこの3日間の睡眠時間は短かすぎ、限界を超えていたようです。この日の夕食は
ベトナムの宮廷料理。味よりも見た目の豪華さに感動ちゃいました☆

左、料理の数々。右、パイナップルの照明ではなく、よく見ると料理が突き刺してあります。

 部屋に戻り荷物を整理したり、旅行記をまとめていたらあっという間に2時間ほど経過し、おなかが空いてきちゃいました。23時過ぎにウェルカムフルーツのオレンジとドラゴンフルーツを食べたのだけど、どうやら、このドラゴンフルーツがよくなかったようで、深夜に激しい腹痛に見舞われてしまいました^^;

これを食べたら、その直後から腹痛が・・・



4日目

 7時半のモーニングコールがなったときには既に起きていました。正確に言うと、ゆっくり寝たかったのだけど、一晩中トイレとベッドの往復だったんです(泣)。9時半のチェックアウトまでトイレと仲良し状態でした。持参した抗生物質が効いたのか、8時過ぎにはだいぶよくなったけどね。

ハイヴァントンネルはこの山を貫通させました。右がトンネルのアップです。

 9時半に出発なので9時15分にはチェックアウトを済ませていたけど、35分になっても現れないガイドさん←その後も何度も言った時間より遅れて登場する結構ルーズな人でした。この日の午前はダナン経由でホイワンへ移動するだけ。100キロの道をただひたすら南下するのだけど、途中にあるハイヴァン峠を通ってもらうことにしました。標高こそ496mでたいしたことはないけど、狭い道、急なカーブの連続するハイヴァン峠はかつて難所と言われていました。だけど、日本のODAにより、東南アジアで一番長い6.3キロのトンネルが2005年6月に完成し、峠越えなら1時間弱かかるところが、わずか10分で通過できるようになりました。もちろん、安全に←ちなみに、ハイヴァン・トンネルの工費270億円のうち189億円が、日本のODAによる有償協力によって賄われ、全工区の内、約60%が日本のハザマによって施工されたとのことです。

送電線が邪魔をしているけど、天気もよく眺めが良かったです。駐車場も結構な坂なんですよ〜。右、かつて日本軍も使った砦です。

 峠の頂上はかつては景勝地として知られていました。そのため、今でもここを通る車の多くが頂上付近のおみやげ物屋に立ち寄るのだけど、まあ、しつこいおばさんが多数ついて来ます。しかも、このおばさんたちはスリをするのでも有名らしく、一瞬たりとも気が抜けません。綺麗な景色に酔いしれることも、車酔いを緩和させることもままならず、数枚の写真を撮ったらすぐに車に乗り込みました。身の安全のために。するとおばさんたち大激怒。運転手がうちの店のベンチに座ったのだから金を払えと。ふざけるな、です。こちらも強く抗議したところ、おばさん、車のスライドドアを渾身の力を込めて閉めてきました。ぶーぶー文句を言いながら。

 水を一本くらい買ってあげてもいいんです。そのうち飲むのだから。だけど、あんなしつこく強引にされたらそんな気持ちもうせてしまいます。こんな山の頂上だし、フエとダナンとの境界ということもあり、
警察がまったく機能していないのが原因の1つらしいけど、今思い出しても不快に感じてしまうほどです。

 峠のくだりは、まあ、それはそれは恐ろしいほどのスピードで一気に駆け下ります。オフロードタイヤを履いたあんな15人乗りのミニバンでよくそんなスピードで走れると感心してしまうほどです。先の見えないブラインドコーナーでも追い越しをかけていたけど、対向車がいたら間違いなく
崖の下に落ちていたことと思います。トンネルができたのも納得^^;

ガイドブックにも掲載されているアプサラというお店にて。スイカが一番美味でした^^;

 ダナンの街はいかにも新しく発展したという感じの港町。ピースボートや飛鳥などの大型船もよく立ち寄る、海の要所のようです。この街は観光することなく、昼食のためにレストランに立ち寄っただけですぐにホイアンに向けて再出発。だけど残念なことに、その後、2軒も連続で土産物屋に強制連行されてしまいました。一軒目なんて大理石彫刻の専門店。それも巨大な大理石の仏像とか棺などがほとんど。価格もさることながら、もって帰れるわけないでしょ?という完全に場違いな場所。だけど、なかなか帰してもらえず、仕方なく小さな亀の置物を購入してしまいました。しかも$10で。こんなものを欲しがる人もいないので(←私も欲しくない・・・笑)、職場の机に置いて、風で書類が飛ばないように利用します。ようやく大理石から開放されたと思ったら、ほんの数分後にシルクの専門店に連行されちゃいました。しかも、カイコの幼虫を多数飼っている本当の工場に。繭玉から糸を作る作業や、多くの女性従業員のシルク製品製作風景を丹念に丹念に英語で説明してくれました。だけどね・・・あの動き回る幼虫を見た後で、シルク製の洋服を買いたいとは思わないよな、普通・・・にもかかわらず、仕方なくネクタイを一本購入した私です。たぶん、ネクタイはどこかの工場で大量生産した安物だと思うけどね。

 ダナンの新しい町並みを見た直後のホイアンの町は、なぜか
とっても懐かしい感じのする不思議な場所・・・そんな印象をもった古い町並みでした。狭い路地沿いを徒歩で観光したのだけど、ホイアンの写真を見ると必ず見かける、古い建造物の2階から眺めた路地を行く人々の光景を目の当たりにし、町自体が世界遺産になっているのを納得しました。同時に、平泉の文化遺産が登録にならなかったのもなんとなく納得。まあ、私の主観だけど。

日本風、中国風のものが織り成す不思議な
調和。もちろん、かつては争いが多かった
とのことです。

福建会館です。こちらは完全に中華系ですね。

 かつての日本人街や中国人街を歩いた後、気持ちよくホテルに向かっているのかと思うと、道路沿いの真新しいお店に誘導されてしまいました。この日3軒目。いや、この1時間で3軒目(笑)。このお店は古木からつくる置物やお香の専門店。だけど、こういう臭いが大の苦手。匂いではなく臭いなんです。一生懸命に日本語で説明してくれる店員には悪いけど、店にいる間、ずっと口で呼吸していました。しかも、聞くところのよると、この日オープンしたばかりのお店で、私が購入したら最初のお客になるとのことなんです。既に午後3時だよ?それまで誰も買わなかったの!?それくらいの商品力なんですよ!と言ってあげたいほどでした。

部屋の窓から。プールは一日中欧米のお客さんが気持ちよく泳いでいました。

 この日のホテルは国営のホイアンホテル。ホイアン最大のホテルだけど、いささか古さの目立つホテルです。第一、バスタブに湯をはろうとしても、お湯がどんどんと漏れてしまうんですよ。しかも、ホテルで結婚式をしていたようだけど、その場所が私の部屋のほぼ真下。結婚式らしく賑やかなのはいいことだけど、大音響でずっとカラオケを歌われてしまい昼寝することすらできませんでした。湯にもつかれず、騒音公害に悩み、かえって疲れがたまった午後の休憩時間です。

 夕食はホテルから徒歩数分のレストラン。女性店員の接客態度が今回のベトナム旅行中で一番よかったお店でした。

市中のレストランにて。ベトナム料理というより、
アジアン料理の専門店に出てくる創作料理の
ような、日本人の口にぴったりの味付けでした。

 食事後にガイドとお店でわかれ、昼間観光した町並みをもう一度歩いてみました。仕事帰りの人が多いのか、バイクの数が昼間以上で、横断歩道なんてないベトナムでは道路を横切るのも一苦労でしたが、そんな体験も旅の良い思い出になるはず。町を歩いていも強引な売り込みもなく、カンボジアのように、女性が春を売ろうと誘いかけてくることもなく、暗いのとバイクの多ささえ気をつけると、割と安心して歩ける町でした。


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