アジア6+1ヶ国周遊記 2008夏
〜台湾・香港・ベトナム・インドネシア・シンガポール・マレーシア+30分だけ中国&2時間だけ仙台〜
2008.7.28〜2008.8.7

はじめに   7月28、29日  7月30、31日   8月1、2日   8月3、4日    8月5、6日   8月7日 


7日目
 
まったく眠れなかった前夜。ホテルは3階だったのだけど、すぐ裏の通りで一晩中客に声をかけるインド人のおばさん連中が煩かったんです。喧嘩でもしているのかな?と思うような威勢で客に声をかけるおばちゃん。どう見ても50代なんだけど・・・。

 この日シンガポールにいるのは、あくまでもホーチミンからインドネシアのジャカルタに移動する際に、同日乗継ができなかったことによるトランジット扱い。なので空港利用税も払う必要もなく、航空券的にもホーチミンからのものとセット扱いで
す←初日の台湾、翌日の香港もトランジットの扱いなので、無駄に高い空港利用税を払っていません。これを利用して複数の国を旅行するのがここ数年のマイブーム(←もう私語ですかね・・・笑)7時に用意をはじめて7:45にチェックアウト。予約していたタクシーに乗り込み、空港に着いたのは8:15。チャンギの第2ターミナルから出国するのは何気にこれが最初。なので、ジャカルタ行きの便まで2時間もあったのですが、ぶらぶら歩いているとあっという間に搭乗時刻となりました。日本便は新しい第3ターミナルを利用するため、今後もよほどのことがない限り利用する機会のないターミナル2でしょうね。
 ジャカルタまでの機材はB777−300。フライト数も多いのこの大型機材を使用するとは、よほど利用客が多いドル箱区間なのでしょうね。エコノミーは70%ほどの搭乗率でした。

左上に写っているパン。しっとりしていて
とても美味しかったです。

 飛行時間が1時間半ほどの短距離国際線でもしっかりとホットミールがサーブされました。しかも、味が格別。機内食を食べて「おいしい」と思うことはほとんどないのだけど、このフライトのメニューはお替りしたいほどでした☆

 ジャカルタ到着後は、とにかく列に並んだ記憶だけが残っています。まずは日本人も必要になったビザの取得のための列。7日まではUS$7ですが、何1つ書類を書くわけでもなく、
空港でシールを貼ってもらうだけというビザにはやはり疑問が残ります。出国税ならぬ、入国税のようにしか感じません。その直後は入国審査の大行列に並んだのだけど、世界中のあらゆる民族がいるため、中には1人で10分以上も審査にかかってしまう人もいます。私は1分ほどで終了したのですが、日本人でよかったな、そう思う瞬間です。

 入国審査が終わり、税関を通り抜けたのは飛行機が到着した1時間後。疲れきっている私に、次の関門が待ち受けていました。まずは、
ニセモノの空港職員が寄ってきます。まあ、有名な話なので一切無視して歩いたのですが、身分証明書をチラッと見せたかと思うと、やけに自分が正規の職員だと強調し、私のスーツケースに手をかけようとします。まあ、アジアの国ではよくあることだけど、こういう奴らはほぼ間違いなく詐欺師。後で法外なチップを要求してきます。第一、本当の職員ならいちいち身分証明書を見せたりしないでしょ?怪しさ全開の詐欺師集団には、みなさんもくれぐれもお気をつけください☆

 次から次に登場する詐欺師を振り切り、事前に地図で場所を確認していた国内線カウンターに向かいます。だけど、不親切なことに案内表示もなければ、空港の見取り図もありません
←だからこそ、詐欺師集団があんなにもどうどうと犯行を重ねるのでしょうね。警察のカウンターもすぐ近くにあるけど、取り締まる気すらないようでした。

 国内線のカウンターに行く前に、なぜかセキュリティチェックがあります。Eチケットを持っているため航空券の購入の必要はないのですが、国内線なのに制限エリアに入ってからのチェックインという流れが不安になり、ガルーダ航空の販売カウンターで確認してしまいました。旅慣れているつもりだけど、
非常にわかりづらい空港です。ようやくチェックインカウンターに着いたら、今度は若い女性職員の話す英語で四苦八苦。英語とは思えない英語で、何を話しているのかさっぱりわかりません。しかも、自信満々で早口で話すんです。エァアァルァポァルァテァトァラァッァクァス!といわれたのが一番聞き取れなかった英語。まるでプロペラ機の羽のようにブンブンという感じで、しかも超早口で話すんです。結局彼女が言いたかったのはAirport Tax(空港利用税)を払いなさい!とのこと。残念ながらまだUS$しかもっていなかったので、再び両替のために徘徊することになっちゃいました。その後、もう一度カウンターに戻ると、今度は預け入れるスーツケースは紐で縛っていないといけないとのこと。この英語は最後まで聞き取れなかったけど、私の後ろに並んでいた男性が、わかりやすい英語で教えてくれました。

搭乗機の737−400と機内食。アジア諸国のキットカットは今でも紙包装でした。

 いや〜とにかく疲れました。人生で百数十回飛行機に乗っているけど、こんなに苦労したのは今回が初めてです。まだ空港に着いただけなのに、インドネシアの洗礼をうけたような気になった私でした。
 初搭乗となくガルーダインドネシア航空。B737−400という小型機に満席だったので狭苦しかったけど、フライト自体は揺れもなく快適。僅か1時間弱の国内線フライトでもボックスミールが出るのはうれしい限りです。空腹を満たすためというより、暇つぶしとして。オーディオ設備のない機体ですし、一人旅なら余計にそう思えますよね。

インドネシアでの私の専用車はこの「キジャン」。
フルエアロ、オーバーフェンダーの80年代暴走族の
ような改造車です。ちなみに、トヨタ製の2000ccFR車。

ハイラックストラックの上にイプサムのボディーをのせた
ような成り立ちの、アジア専用車です。

FR+マニュアルシフトなので自分でも欲しいくらいです^^

社用車がすべて出払ったため、社長個人の車なんだって。

 定刻通りに到着したジョグジャカルタのアジスチプト国際空港。カンボジアのシェムリアップと同じような規模で設備の空港と考えれば様子が伝わるかな?荷物をピックアップして、すぐに年配の男性ガイドさんと合流。ベトナム同様にこのジョグジャカルタでも、世界遺産の遺跡を多数見て回る予定のため、さすがに異国の地で一人での移動は厳しく、現地の旅行会社に国内線の航空券、ホテル、そして専用車とガイドを手配してもらいました。

ガルーダ・インドネシア航空200便墜落事故
 この空港では、私が乗ったのと同じガルーダ・インドネシアのB737型機が、2007年3月に墜落事故をおこしているんです。しかも、原因が機長と副機長の喧嘩。けんかで2人の意思疎通がうまくいかなくなり、管制塔からの警告を15回も無視した後、アジスチプト国際空港に着陸する直前、急激に高度を下げて着陸。その反動で機体は3回にわたって跳ね上がり、前輪から火を噴きだしたまま滑走路上を走行し、そのままオーバーラン。空港敷地外の田んぼに突っ込み、しばらくして機体は爆発、炎上したという信じられない事故。この事故で乗員乗客140名のうち21名が死亡、110名が負傷してしまいました。事故機の機長は業務上過失致死傷容疑でインドネシア警察当局に逮捕されています。
 なお、EUも安全性に問題があるとして、他の全てのインドネシアの航空会社とともに、このガルーダ・インドネシア航空を2007年7月6日からEU域内への乗り入れ禁止を決定しています。

 本来はお昼前に到着する予定だったのですが、7月になりガルーダの時刻表が変更になってしまいました。フライトスケジュールが遅くなったせいで、この日空港を出たのは14:30。しかも、これから約40キロほど離れたボロブドール遺跡に向かいます。道中、ガイドさんがインドネシアの文化や歴史、ジョグジャカルタの概要などを話してくださいました。ボロブドールに着いたのは16:00頃。ガイドさん曰く、「センエン、センエン」と寄ってくる物売りが多数いるので、興味がないなら最初から近づかないように!とのこと。まあ、アジア各国ではよくあることなので、もうすっかり慣れっこになっています。

ボロブドール遺跡の全景。意外と小さく見えるけど、登るのは結構大変。高さは33メートルもあります。
シンガポールに上陸したことで有名な、あのラッフルズが1814年にジャングルの中からこの遺跡を発見したんですって。

 ボロブドール遺跡の観光は、公認のガイドさんのみが案内できるらしく、ここからはデビューしてまだ2週間という若い男性ガイドになりました。だけどこのガイドさん、とっても日本語がわかりやすいし説明も上手。1時間という契約でのガイドだったのですが、一生懸命にガイドしてくださいました。僅かながらのお礼をあげたのですが、久しぶりに、義理ではなく本心からあげたチップでした。

 この後はホテルに戻る予定でしたが、仕方ないとはいえやはりお土産物屋に連行されてしまいました。今度は銀製品の専門店。最近、皇后様もここの製品を手にしたとか、しないとか。誰もいない店内。もちろん私一人に群がる店員たち。みな、器用に日本語を操ります。早く解放してもらうには何かを買うのが一番。なので自分用にとタイピンを購入。あまりセンスもよくないので使用する頻度は低いでしょうけど(笑)。

 この日のホテルはインドネシア国内に多数展開しているサンティカホテル。最初の提案より安価なホテルに変更してもらったのですが、それでも豪華そのもの。チェックインの際にフロントでウェルカムドリンクが出てきたのでびっくりしたほどです。夕食のレストランに移動する前、30分だけ休憩時間をいただきましたが、普通ならシャワーを浴びるところでしょうけど、当然のように洗濯にいそしんだ私です(笑)

 この日の夕食はバイキング。屋外にあるレストランでの食事なのですが、日本語があまり達者ではないガイドさん。「夕食を食べたら罰金です!」と何度も言うんです。お金を払うどころか罰金!?と最初は驚いたけど、彼の言いたかったのは「夕食を食べたら?バイキングです」という内容でした(笑)。しかも、テーブルには私一人分の食器とナイフ、フォークしか用意されていなかったのですが、バイキングなのをいいことに、気がついたらガイドさんもどこかから食器を調達してきて、私と一緒になって食事をとっていました。しかもよく食べるらしく、「いつも同じメニューだ」との不満まで言っています^^;

 食事をしながらいろいろ話したのですが、ガイドになる前は高校の英語教員をしていたとのことで、意外な共通点があることがわかり、インドネシアと日本の教育制度の比較や、英語の授業の概要や、高校から大学への進学率などをお互いに話しているととっても話が盛り上がりました。

1時間半も続くので、飽きてしまうかも。

 食事が済んだのが21時。日本時間で23時。旅も後半に突入し、疲労もたまっていたのでそろどろベッドに入りたいところですが、この後は民族舞踊であるラーマヤーナダンスの鑑賞が予定されていました。そんなことはつゆ知らずの私。しかもこの演劇は屋外で、21時から22:30まで続きます。赤道直下の国だけどジョグジャカルタの気温は一気に下がるんです。念のためにTシャツの上に羽織る長袖を持っていたけど、それを着ても寒いほどです。演劇そのものも私には面白さがあまりわかりませんでした。民族色の濃い踊りや衣装なのはわかるのですが、セリフがあるわけでもなく、延々と民族音楽と歌が流れています。これが眠気を誘うんですよ。まあ、セリフがあったところでまったく理解できないのだけど、演劇好きの私ですが、好きなのはミュージカルや現代劇だけだというのがはっきりしました。いや〜とにかく眠たかったです。だけどまあ、それの星を眺めると日本で見るのと全然違う星座が見えたりします。綺麗に輝く南十字星を眺めながら、ひたすら終了時刻を待ちました。

広く快適な室内のホテルでした。朝バイキングも美味しかった〜!

 演劇からの帰り道、道端で座り込む若い男女を無数に見かけました。このジョグジャカルタの街は学生の町としても有名らしく、夜な夜な若者たちは川原や橋のたもとなどに座り込み、屋台の安い料理を食べながら夜を過ごすとのことでした。

 ホテル到着は22時。ゆっくりと湯につかった後ぐっすりを眠ったのはいうまでもありません。


8日目
 10時にガイドさんとホテルロビーで待ち合わせていたため、ゆっくると寝ていていたいところですが、
日本とは2時間時差があるため、7時に起きてもずいぶんのんびりした気分です。ホテルの朝バイキングも結構な品数で味もまずまず。いっぱい食べたいところだけど、この日はチェックアウトしてほどなく昼食のレストランに行くことになっているのでした。

王宮には世界各国から寄贈された物品が展示されています。なぜか「味の素」もありました。

 チェックアウト後にまず向かったのは、クラトン(王宮)。今なお、王を守るべく、腰にクリスと呼ばれる剣をさし、民族衣装をまとっている「武士」の多さに驚きました。しかも、彼らは無給で働いているとのこと。歴代の王妃が結婚式のときに乗ったみこしのような乗り物も展示されているのですが、「今もこれに乗るのですか?」と私が聞くと。「まさか、今はベンツです」との答えが返ってきました(笑)

 この後は近くにある
タマン・サリに移動します。1765年に建築された離宮で、王が、自分に仕える女性たちの水浴び姿をみて楽しんだところなんですって^^;。油断していると、やはり強制連行が待ち構えていました。なぜか敷地内にバティックのお店があり、そこに案内されてしまいます。本当はこれまでに買った亀の置物やネクタイピンよりも、このような絵のほうが興味があります。だけど、値段が恐ろしく高いだろうと予想されます。冷やかしで値段を聞いたら買わないわけにはいかなくなりそうです。玄関の下駄箱の近く、廊下などにこのような民族色の濃い芸術品を置くのはとっても素敵だと思うんですが・・・←現実には、1000ピースのジグソーパズルが多数玄関や部屋の壁に並んでいる我が家です。

離宮であるタマン・サリ。王様が一夜を共にする女性を選ぶ小窓があったりします。

 うまく土産物屋とパスしたと思ったら、昼食のレストランに向かっているはずの車が、またしてもお土産物屋さんに止まってしまいました。バティック工場併設のお店なのですが、タイミングが悪く、またしても日本人は私だけ。それと欧米人夫婦が1組。店員はなぜか私に集中攻撃をかけてきます。バティックの衣装ってインドネシアで着るからいいのであって、日本でこれを着て歩いたら絶対に浮くと思いません?手描きのため世界にまたとないのはわかるけど、街でこれを着たらやっぱ変でしょう!?・・・断りきれずTシャツを1枚買ったけど^^;

 テーブルクロスや女性用のドレスのような高価な商品を
買わせようと必死なのがわかるけど、Tシャツならまだ着る機会が「あるかも」しれません。いや、着てみます。見かけても笑わないでね^^;←帰国後に試しに着てみたら、首元からビリビリと糸がほつれてしまいました。金返せ〜!

このお店で飲んだレモンスカッシュが最高でした。
美味しいを通り越し、感動の域に達していました。

 ようやく開放されたら昼食となりました。インドネシアにいるのに中華料理のランチです。まあ、中華の常で次から次に料理が出てきて、半分も食べられませんでした。だけど、絞りたてのレモンで作ったレモンスカッシュを頼んだら、これが激ウマ!旅行中は極力、せっかくフルーツの産地なのだからとフレッシュジュースを飲んでいるんですが、今回の旅行中に飲んだ飲み物で一番美味しかったのがこれでした。一口飲んだらそれだけど疲れがとぶのでは?と思うほどすっきりさっぱりしていました。ちなみに飲み物の料金は2万ルピア。2万!だけど、日本円で250円ほどです。もちろん、インドネシアの物価を考えたら高いけどね。

サンビ・サリ寺院。1966年に火山灰の中から発掘されたばかりの遺跡です。

 その後、本来はプランバナン遺跡の中心とも言うべきロロ・ジュングランに行き、このツアーも終了の予定でした。ですが、何せ私一人です。食事も観光も、車の乗り降りもあっという間に終了してしまいます。なので相当時間が余っているらしく、本来の予定にはないサンビ・サリ寺院というところまで案内してもらっちゃいました。上の左の写真を見ると、まるで小型のレプリカのようにさえ見えますが、実際はかなりの大きさ。ヒンドゥー経の寺院として、今なお信者が信仰の場所として訪れる場所のようです。

修復というより、石を積みなおしていると言ったほうが良いかな?中央、細かなレリーフですよね。右、こんなものまで転がっています。

 サンビ・サリ寺院の次は、いよいよお待ちかねのプランバナン遺跡に向かいます。車で数分の距離なんですがね。特徴的なデザインなので、遠くからもすぐにそれと認識できるのですが、やはり第一印象は「アンコール・ワットに似ている」というものです。今回はロロ・ジュングランのみを見学しましたが、細かなレリーフを見たり、写真をとったりすると小1時間ばかりかかってしまいました。このプランバナン寺院群はは古マタラム王国のバリトゥン王(在位898年〜910年)による建設と言われている、インドネシア最大級のヒンドゥー教の遺跡です。1549年の地震で遺跡が大破し、しばらくは忘れ去られていたものが、1937年から修復作業が行われていました。そこを襲ったのが2006年の大地震。現在でも修復が続けられているのはもちろん、巨大な石の部品が転がったままでした。早朝の地震だから観光客もいなかったでしょうけど、これが日中だったら・・・。

ジャワ島中部地震
2006年5月27日午前5時54分(日本時間同日午前7時54分)、インドネシアのジャワ島中部で発生した地震。この地震で、プランバナン寺院群は大きな損害を受けた。。

 なお、プランバナンと言えば、このロロ・ジュングランのみだと思っている人も多いと思うのですが、あくまでもプランバナン寺院群遠くからでも見える中央尖塔は高さ48m。大きく分けると3つの主堂と、その前にある各々の神様の乗り物を祀った乗り物神殿(←シヴァ−ナンディ(牛)、ブラフマー−ハンサ(馬)、ヴィシュヌ−ガルーダ(鳥))があります。この外側には、かつては200基とも、250基とも言われるペルワラ(小祠堂)があったそうですが、こちらは未修復のままで、今でも石材が山のように積み重なっていました。

 広いし基地内を歩いているとき、木の実を拾ってくれたガイドさん。「まずは食べてみてください」とのことでしたが、味はというと梅干のような酸っぱさ。「インドネシアではよく食べるのですか?」と聞くと、「
こんな酸っぱいもの食べません」との返事が(笑)。これを使って漢方薬を作るのだそうです。

絵葉書やパンフレットで見るのはこの構図ですよね。
車で移動しないとこの場所にはたどり着けません。

 プランバナンの観光で、今回のインドネシア観光は終わりです。「まだ早いですよ」と言われましたが、空港まで送ってもらいました。涼しい中座って休める空港の方が快適ですからね。

 空港に着いたのは14:45。ちょうど15:00発のジャカルタ行きの搭乗時刻でした。もしかすると、同じガルーダの便なので一便早めることができたのかもしれません。でも、まあ1時間半の待ち時間なので、おとなしくHPの作成をしていました。だけど、このジョグジャカルタの空港は、かなり“きています”。地震の際、国内線ターミナルは壊滅的なダメージを受け、その後しばらくは国際線ターミナルを共用していたので、
新しいはずの待合室。ですが、行き先を表示する電光掲示板もなく、地上職員のいるカウンターすらありません。地上係員は、次の便になったら出口のところに立つけど、それまでは乗客と同じくベンチで座って待っています。そしてそれ以上に激しいのが、外へ出るドア。本来、搭乗口は保安上重要な役割を担っているはず。なのに、風が吹くと外から開いてしまうし、離陸便が滑走路を横切ってもドアが開いてしまいます^^;日本では考えられないそれらの光景を見ていると搭乗時刻になりました。帰りの機材は往路より旧式になるB737−300。昨年まで一度も乗ったことがなったのに、今回の旅ではB737に乗る回数の多かったです。

久しぶりに雲だらけの写真を撮ってみました。
右側に2つ山が並んでいるのが分かります?

 ジャカルタ到着後は、往路で学んだ「詐欺師集団の相手をしない」ということを肝に銘じてひたすら国際線カウンターに移動します。だけど、往路は「ガルーダの係員です」と名乗ったはずの詐欺師が、今度は「JALの係員です」といってインチキ身分証明書を見せて寄ってきます。だけど、残念ながらJALには乗りません(笑)。しつこくされる前に“No!”と強く拒否するとすぐにあきらめて次の獲物を狙いにいきます。まあ、日本人は人が良いからすぐに騙されるのでしょうけど・・・。みなさんもくれぐれも気をつけてください。

 SQのチェックインカウンターに着いたのは18:10。往路の反省を踏まえ、しっまりと荷物を紐で縛ってもらってからカウンターに並びます。当初予約していた便は20:15発の便ですが、まだ2時間もあるし、その間に2便もSQのシンガポール便があるんです。特典航空券はかなり融通の利く運賃種別のはず
←ただなのに運賃というのは変だけど。だめもとで「もっと早い便にしてください!」とお願いしたらあっさり了解してもらえました。ただ、早くなった便は既に搭乗開始とのこと。なので「急ぎなさい!」といわれ空港内を走る羽目に。

 まだ定刻より1時間も早いのに搭乗開始?と思いながら走ってゲートまで行くと、やはり誰一人乗っていません(笑)。ゲート前のカウンターでチケットをチェックしているだけです。30分後、ようやく搭乗開始。そこで再びチケットとパスポートのチェック。搭乗率が8割ほどのエコノミーですが、この旅で一番空いている便でした。

SQ便の機内食。ポテト料理です。

 チャンギにはターミナル2に到着します。順調に入国&税関をパスしたけど、その後がダメでした。2日前と同様にエアポートシャトルを利用しようと思いカウンターに行ったら、「市の中心から離れた場所にあるので$50です」とのこと。2日前は$9だったといってもダメ。まるでやる気なし。これではタクシー料金の倍以上です。なんだかすっきりしないけど、おとなしくタクシースタンドに移動しました。

 客も待っていないけど、タクシーも待っていないタクシースタンド。程なくやってきたタクシーに乗り込んだのだけど、この運転手さん、どうみても
江頭2:50そっくり。特に目から上が。驚くほど似ているその運転手さんですが、最初は無口だったけど、車を降りる頃になって、「あんた日本人でしょ?日本人なのにどうしてそんなホテルに泊まるわけ?ネットで安いからって理由だけで予約したのでは?」とボソボソ語りかけてきます。まあ、ホテル付近の夜の雰囲気を心配してくれているのですが、最後に“Many many fighting”とシンガポール訛の英語でいった言葉に恐ろしくなってしまいました。まあ、この日は機内食を連続で2度も食べたばかりなので外に出る必要もありません。シャワーを浴びるなり、ベッドで横になって朝まで爆睡してしまいました←窓の外を見ると、警察車両が止まっており、多くの女性が方々に散らばっていきました。


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