フィリピン・タイ・ミャンマー旅行記 2007夏
2007.7.29〜2007.8.5

はじめに   1日目   2日目   3日目   4日目    5日目   6日目  7日目   8日目

 


6日目
その前の日も1時間しか寝ていなかったこともあり、前夜ベッドに入ったのは23:00。日本時間では既に1:30なのでさすがに眠い!と思ったのも束の間、0:00丁度に電話がかかってきました。時計を見ていなかったので「ああ、もう朝なんだ。モーニングコールがなったんだ」と最初は思いました。当然「Thank you!」と言ったけど、電話口の男性が何故かおどおどしています。で、時計を見るとなんとまだ0:00。1時間しか寝ていません。「4:30にお願いしたはずだけど?」と英語で言うと、「そう承っています。だけど、今起こしてしまいました」とわけのわからないことを言っています。もしかすると、内線を利用した悪戯電話だったのかもしれません。こんな時間にわけのわからない電話に付き合いきれないのできっちゃいました(^_^;)

4:00頃には目が覚め、洗顔などの用意をしているとモーニングコールがなりました。女性の声で「This is morning call service」と言っていたので、「Oh, Thank you!」とお礼を言うと、相手の女性、同じことを何度も繰り返して話しています。はい、録音メッセージなんです(^_^;)←と、言うわけで、深夜の電話は余計怪しいんです。ガイドのチョウさんに話しても、フロントの人が直接起こすことはありえないとのことです。

左上:空港ロビー。
左下:航空会社と行き先がわかる色分けシール。
上  : スタンプが沢山押されたチケット。
     B15番の席は最悪でした^^;

約束の時間である5:10にチェックアウト。もちろんチョウさんが待っていてくれました。ちなみに、ドライバーさんは一緒ですが、車はB12型のサニーになっていました。これまた20年落ちの車です←だけど、装着されていたCDプレーヤーは、私がスカイラインに装着しているのと同じ3年前のモデルでした。まだまだ暗いヤンゴンの街ですが、ウォーキングをしている西洋人が多かったのが印象的です。それと、例のごとくヘッドライトをつけていない車がやけの多いんです。玉切れかな?と思うとそうでもなく、遅い車がいるとハイビームでどんどん煽っているんです。これって文化の差なのでしょうね。
国内線のターミナルには10分もしないでつきましたが、上の写真のように何もない空間が無駄に広く、古ぼけた体育館のようなたたずまい。チョウさんがチェックインを済ませてくれたのですが、チケットは写真のように磁気テープのない、スタンプとシールで案内が書かれたものです←ヤンゴン発のTG便の国際線も同じでした。荷物のタグもPCによる印字ではなく、昔の荷札のような手書きのものでした。

特別することもなくすぐに制限エリアに入ったのだけど、そこには多数の人が待っていました。ミャンマー国内線は4社あるのだけど、どの会社も同じような時間に、同じように何箇所も経由して国内を周遊するフライトを設定しているのがその理由。そのため、上の写真のように、行き先ごとに色分けしたシールを胸に貼る必要があります。なお、片道の運賃はお一人US$85ほどのようですが(←往復×2人分を考えると、今回のツアー代金の大部分が航空運賃ですね)、高卒の公務員の月給がUS$30ほどらしいので、そう考えると高嶺の花。待合室で待っていると、チョウさんに年配の女性が話しかけていましたが、チョウさんによると、同じところで降りる人を探しているとのこと。まあ、滅多に乗れるものでもないでしょうし、乗り合いバスのようなシステムだし、不安になるのも納得です。

およそ2年ぶりに乗ったATR72機。
プロップ機らしい重厚なエンジン音です。
機内食が出るんですよ。
これは帰りの便のものだけど、
パンが2種類から選択できました。

ほぼ定刻の6:30に出発した便ですが、往路はバガンに一番近いニャウンウー空港まで直通。なので、1時間は安心して眠っていられると思っていたけど甘かった(^_^;)。

チョウさんは他社のガイドさんたち数人と一緒に後方に座っていたのですが(←資格を持ったガイドは国内に7000人ほどいるらしいのですが、実際に仕事をしているのは300人ほど。なので、みんな顔見知りとのこと)、私が座ったあたりは10人ほどのスペイン人の団体客。私の隣に座ったのもスペイン人男性でした。で、この男が最悪。離陸直前でも機内を歩き回ります。

離陸後はまあ、とにかく大きな声で同じスペイン人の集団の面々に絶え間なく話しかけています。ばか笑いもします。眠れるわけもありません。私の後ろもスペイン人乗客だったので、その人に話しかけるのに、横を向いて私の耳元で大声で話すからだんだん腹が立ってきました。

この男を案内しているガイドはいったい何をしてるんだ!と怒りが頂点に達した頃、チョウさんが後ろからやってきました。「うるさいでしょ?後ろの人と席を替わったらいいよ」と言って、席を替われるよう周りの人たちにかけあってくれました。後から聞いた話では、後方にいたガイド集団の中で一人だけ寝ていた人がいて、その人がスペイン語のガイドだったとのこと。さらに驚くのは、スペインからのこの御一行様を連れてきた添乗員が、このうるさい馬鹿男(ーー;)・・・まだ行ったことのない国だけど、この経験で私のスペインの印象が一気に悪化してしてしまいました。

騒音公害の機内から解き放たれのんびり中です^^

見てのとおり、観光客はほぼ西洋人。それもスペイン人ばかり。
雨季になるとなぜかスペイン人が多くなる」(チョウさん談)

バガンでのドライバーさんは英語が堪能なロンさん。車は15年位前のトヨタカムリハードトップ。当然マニュアルシフト車←壊れた時のことや、日々の厳しい使用環境を考えるとAT車は向かないのでしょうね。バガンは1044年に始めてビルマ族によって統一王朝が作られた街。壮大な大地には、現存するだけでも2217基もの仏塔や寺院があるんです。右を見ても左を見ても、前を見てもとにかくレンガ造りの仏塔ばかりが目に入ります。バガンはカンボジアのアンコールワットやインドネシアのボロブドウールとともに、 世界3大仏教遺跡のひとつと称され、世界遺産への登録を申請中のようです←が、政治的問題のためか、このすばらしい遺跡群があっても登録されていません。遺跡修復にかかわっていたユネスコも途中で撤退してしまったという話をチョウさんから聞きました。

なお、これらのパゴダ群は11世紀からの250年間に作られましたしたが、13世紀にモンゴル族の侵攻によってパガン王朝は滅ぼされてしまいました。  

見てください!この仏塔の数の多さ!しかも、住民が移住させらた後でも、今なお人々の生活に欠かせない畑と
しての役割を担っています。牛をつかって豆を植えているとのことです。

バガンはミャンマー国内でも雨の少ない場所です。赤茶色の大地と赤茶のレンガ作りの無数の遺跡。その隙間を縫うようにして生えている緑の木々。そして抜けるような青空。バガンでの私の第一印象は、この「色のコントラスト」でした。

ミンナントゥ村にて。

左上:村の入り口。
左下:民家
上  :糸を紡いで衣類を作っていたおばあさん。

午前中だけでもアーナンダ寺院、マヌーハ寺院など沢山の寺院や仏塔を案内してもらったのですが、午前中の観光の中で一番印象的だったのが、人口300人ほどの小さな村、ミンナントゥ村を訪れた30分ほどの時間でした。

子供たちの歌声が・・・これは、もしかして・・・?
ああ!やっぱり小学校だ!!
朝の全校集会で国歌を歌っているところでした。
チョウさんに通訳してもらい、敷地内にも入る許可
をもらいました。

外国人を見て怪訝そうな子供たち^^;
授業が始まる前なので校舎にも入れました^^
小学校低学年の板書だけど、英語の授業のレベルは
日本の中3くらいのようです。

人懐っこい人が多いといわれるミャンマーですが、この村でのわずかな滞在時間で非常に多くのことを学ぶことができました。まず、学校の制度。義務教育制度はなく、年間でUS$30ほどの授業料と、教材費が実費でかかるとのこと。教員養成の制度は、首都ヤンゴンでは教員は大卒ですが、この村のような地方では高卒でも教員になれるとのことです←卒業後、1年間ほどの教員としての研修があって、その後で教壇に立つようです。なお、高卒教員の月収がUS$30ほど。そう考えるといかに授業料が高いかわかると思います。事実、地方では生活が苦しく学校に行けない子供も多いようです。

以上、遺跡の街バガンに来て、遺跡のことより学校や教育制度のことを多く学んだHIROなのでした^^;

ミンナントゥ村の貯水池。雨が少ない地域の大切な水源です。
水のみ場であり、洗濯の場であり、水浴びの場でもあるようです。

もちろん、遺跡でもちゃんと勉強したので、以下に少しだけ紹介しておきます^^;

右はマヌーハ寺院。マヌーハ王が幽閉されたことを表すかのごとく、狭い空間になっているのが特徴です。

はい。終了^^;まあ、例えばアーナンダ寺院の像が、見る角度のよって表情が変わる話など他の多くのHPやガイドブックに詳細が書かれているので、私はあえて他の人が書かないことをまとめたいと思います。

タビィニュ僧院にある鎮魂碑

そして、お墓。
世界人類が平和でありますように」の文字に、
心を打たれたHIROでした。

奇しくも、この日ページを編集しているのが
終戦の日である8月15日になってしまいました。

バガンでもっとも高い65メートルの高さを誇るタビィニュ寺院の向かいにあるタビィニュ僧院。ここには日本人戦没者慰霊碑があり、今なお手厚く供養がされているとのことです。私も日本人の一人として手を合わせてきましたが、ミャンマー人は日本人のことをどのように思っているのだろう?そんなことを考えてしまったのもまた事実です。

この日の食事。一番右に並んでいるのは実はひょうたんの揚げ物
恐る恐る食べたけど、実に美味でした^^。

暑いバガンでの観光に疲れた頃にちょうどよく食事となりました。私たち以外に客のいなかったレストランですが、実はこれがはじめてのミャンマー料理です←前日はミャンマー風でしたので。まあ、感想としては油分が多いのと、ピリ辛いのが特徴。食事中に思わずむせてしまったのですが、チョウさんがすぐに飲み物を手配してくれ、さらにはウェイトレスの女性がしばらく団扇で私を扇いでくれたんです。またしても、「いや〜ここまでしてもらっていいの?」とすまない気持ちでいっぱいになったHIROでした。

ルビートゥルーホテル。経営者が日本留学の経験があるらしく、実に親日的なホテルでした。

食事後にホテルでの休憩時間が用意されていました。まあ、日差しが強烈なバガン、更には午後の一番暑い時間ですしね。ホテルはコテージタイプで部屋がそろぞれに独立したもので、けして新しくはなかったのですが、南国らしいエキゾチックな雰囲気満点。しかも、宿泊者は私とチョウさん、それと長期滞在中らしい日本人の3人だけとのこと。スタッフの気遣いやサービスも最高でした。

シャワーを浴びようとしたら面白いものを発見!
パリという名のシャンプーとロンドンという名の
石鹸です。欧米志向が強いのかな?(笑)
トイレはアジアらしいお尻はホースで洗うタイプ。
紙はゴミ箱に捨てるのがアジアの流儀のようです。
韓国なんかはその代表ですね。

休憩後に向かったのは、まずは漆塗り工房。ツアーらしくお土産物屋への半ば強制連行かと思いきや、「いらなかったら買わなくていいですから」とチョウさん。工房での説明後も「売店を見たいなら見てもいいですよ?」と、買う気がない私のことを察知してくれている模様。8日間分の荷物でスーツケースがいっぱいの私です(←しかも、タイでは食品を大量に買っているので空きスペースが皆無でした)、チラッとみてすぐに店を出ました。ただ、バガンの人たちが絵が上手なのを改めて思い知りました。朝方の説明でも聞いていたのですが、この地区の子供たちにとって、無数にある仏塔などの遺跡は数少ない遊び場でもあるんです。内部には多数の絵が書かれているのですが、子供たちはその絵を真似して、これらの遺跡に落書きをして遊ぶうちに絵の技術を習得していくんですって。そのため、あちこちで手書きの絵を売っている青年に出会いました。

シュエズィーゴン・パゴダにて。

順光と逆光ではこうも印象が違います。
逆光にハトの影を入れて写した今回の旅のお気に
入り写真の1枚です。

右上の写真が、影を利用して仏塔をまっすぐに建築
した際の水溜りです。

午後に訪れた中ではこのシュエズィーゴン・パゴダが一番有名。いや、バガンで一番有名かもしれません。外国人だけではなく、地方から訪れたミャンマー人も多数きていました。この釣鐘型の建築様式はビルマ式仏塔の原形となり、さらには仏塔内に釈迦の遺骨と歯が奉納されていると言われ、ミャンマーの人々の厚い信仰の対象となっているようです。影を利用して縮図を作り、仏塔をまっすぐに建設したという話を聞いて、当時の人たちの建設技術の高さ、そして「知恵」を思い知ったHIROでした。

ここからは馬車での観光です。

この後、移動の手段が車から馬車に変更になります。観光客相手の乗り物ではありますが、舗装されていない狭い道も多いバガンでは、馬車は有効な交通手段。この馬車でも英語がよく通じましたし、私への案内をしてくれるだけではなく、道行くレンタサイクルの観光客にも英語で道案内してあげたりと、ミャンマー人の英語力と優しい人柄を再認識しました。

夕日を見るために登った寺院にて。
私は既に屋上にいるんですよ。

30分ほどで、こんなにも姿を変えた寺院。
そしてミャンマーの空。

バガンには無数にある寺院ですが、屋上に登れるのは実は数少ないようですし、数年前は登れたものでも、崩れてしまい危険のために現在は立ち入り禁止になっているものもあるようです。
馬車でのんびり観光している際に意外に思ったのは、パゴダや寺院などの遺跡が崩れた場合、どんどんと新しいレンガで修復していることなんです。土台しかなくなった倉庫のような建物に、現在の人の手で「こんな感じだったのでは?」という風に新しく作っているようなんです。崩れるばかりの他国の遺跡、精巧な技術で復元している遺跡とはまったくもって違う方針をとっています。これが良い悪いはわかりませんが、突然真新しいレンガで造られた建造物に出くわすと(←しかも、明らかに技術的に劣っているも少なくありません)、他所の遺跡の街の入り口によくあるようなレプリカを見ている気になってしまいました。

とっても良いムードのレストラン。約一人の馬鹿野郎さえいなければもっと良かったのに!
最前列に座っていたので、人形だけではなく、操っている人までよく見えちゃいました^^;

夕日観光の後は再びカムリに乗り込みます。日もすっかり暮れ、向かうのは夕食のレストラン。昼間は私たち2人しか客がいなかったのですが、このレストランには西欧人(←おそらくスペイン人が大部分)を中心に沢山の人がいました。

スペイン人・・・朝の悪夢を思い出したHIROですが、この場所で朝の続きが始まったんです。屋外にテーブルが並んだレストランで、最前列にステージがあります。このステージでミャンマーの伝統芸能であるつり人形のショーを見るのですが、ショーが始まってすぐ、ステージの前に立って一眼レフカメラでフラッシュをたきながら何枚も何枚も写真を撮りだす大馬鹿野郎が出現しました。後ろにいる人は奴の背中しか見えないし、写真のとおり、ローソクの淡い光の中での食事なのにそれもフラッシュで台無し・・・と思ってその馬鹿の顔を見てみると、なんと機内で騒いでいたスペイン人添乗員。馬鹿につける薬はないっていうけど、まさに奴の場合がそれ。呆れ返る私に、「HIROさんはあのスペイン人と縁があるんですね〜」と笑うしかないチョウさん(^_^;)

部屋に戻って見ると、案の定何箇所も虫に刺されていました。
靴も履かずに裸足であるいていたので、虫除けスプレーも
効果なしです。

右足の甲だけで4箇所。全身では・・・数え切れません(^_^;) 

ホテルに戻った後、街を少し歩いて見ようかな?と思ったけど、ホテルの場所は町からかなり離れており、付近には何もありません。街灯も民家も。なので真っ暗。こんな場所を一人で歩いてもしょうがないばかりか、危険極まりないのでおとなしく部屋でNHKをみて旅の最後の夜を過ごしました。


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