7日目
いよいよミャンマーでの最終日。前日より遅いとはいえ、それでも7時にホテルをチェックアウトします。まあ、日本時間で9:30と思えば十分のんびりできたといえます。ただ、油っぽいものが多いミャンマー料理。旅行の疲れもありお腹にきてしまいました←ミャンマー旅行では避けては通れない道、そういう記述が多いのも納得です。
事前にホテルの食事を断っていたのですが、代わりとして熟して美味しいバナナを持たせてくれました←完熟してから採るため日本では味わえない美味しさです。アジア旅行ではいつもたくさんのフルーツを食べるとけど、一番美味しいなと思うのは実はバナナだったりします。
宿泊者は私とガイドさんを含めて3人だけだったとはいえ、ホテルをチェックアウトするとき従業員が全員外まで出てきて、私たちの乗った車が走り去るまでずっと大きく手を振ってくださいました。ミャンマー人の人柄を表すこの嬉しい見送りに、思わず涙ぐんでしまった私です。
バガンの町にある小さな空港には旅の余韻にふけるまもなくあっという間に到着。その後すぐに制限エリア内に入ったのですが、ヤンゴンからの到着便が早まったとみえてすぐに搭乗開始。生まれて初めて経験する自由席の飛行機です。普通は景色のいい席を確保するのでしょうけど、お腹の具合が心配で後方のトイレ至近の席に座った私(^_^;)。なお、ミャンマーの国内線はヤンゴンを基点に国内を周回しているのですが、この便は2度も経由もします。最初のマンダレーまでの区間はわずか15分間。5分で離陸。5分の水平飛行、そして5分で着陸という感じなのですが、わずかな水平飛行の間に飲み物のサービスがったの葉、まだまだ飛行機の旅が高嶺の花であるミャンマーの国内事情によるのかもしれませんね。
ヤンゴン到着。かつて神奈川で使われていた古い「中乗り前降り」の路線バスが空港内移動のバス。室内の案内表示も日本語のまま。20年前の日本にタイムスリップした懐かしい気持ちになりました。
ヤンゴンでのドライバーさんは昨日までと同じ方。2日前にずぶ濡れになりながらワイパーを直してくれた優しい運転手さんです←私がバガンにいる間に車を修理したようです。
シュエダゴンパゴダ。 約2500年前に建てられたといわれ、高さは98メートル。 金箔に身を包むだけではなく、パゴダ上部には6000個を 越えるルビーやダイヤモンドなどの宝石が散りばめられ、 ダイヤは合計2000カラットを越えるとか。 ある商人の兄弟がインドで釈迦からもらった髪の毛を 納めたのが始まりなのださそうです。 |
ヤンゴン到着後は、ヤンゴン最大の「シュエダゴンパゴダ」、街の中心にある「スーレーパゴダ」、大きな涅槃像がある「チャウタッジーパゴダ」、何でもそろう地元民のためのマーケットである「ボージョーアウサン・マーケット」と観光します。
土曜日のため、多くの家族連れで賑わうシュエダゴンパゴダ。ピクニックのようにお弁当箱をもってきて、家族一緒にここで一日を過ごすのがミャンマー流とのこと。ミャンマーのカレンダーでは1週間は8日なのですが、私もそのカレンダーに合わせ、自分が生まれた曜日の像で年齢と同じ回数の水をかけて願いを唱えてきました。ちなみに、私の生まれた曜日は日本流で土曜日←ちゃんと覚えていましたよ☆。ミャンマー流に直すと「龍」がお守りとなる曜日になるとのことです。ミャンマーでは血液型や星座ではなく、生まれた曜日で占いや性格判断をするとのことです。
モヒンガーというのは米から作る麺です。 ナマズのスープを麺の上からかけて食べるミャンマー料理。 |
お昼ごろになりまた雨が降り出したヤンゴン。この旅最後の食事はミャンマー料理で一番有名であろう「モヒンガー」。米から作ったスナックのような麺と、なまずで出汁をとったスープを混ぜていただく郷土料理。なまずを食べるのは抵抗があったけど、実際には濃厚な出汁が効いた美味しい麺料理でした。食事のとき、いつもと同じくトロピカルフルーツの絞りたてフレッシュジュースを頼んだら氷が入っていました。日本人の私のために氷を入れないで作り直すように気を使ってくれたチョウさん。その後、他のおかずの上にパクチーがのっていた時も、パクチーが苦手な私のために一度厨房に戻して取り除くよう指示してくれました。お客さんを非常に大切にするミャンマー人の気遣いを感じたエピソードです。
ヤンゴンの中心にあるスーレーパゴダ。 高さ48メートル、八角形のパゴダは市内の あらゆる方向から見ることができます。 |
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高さ17.7、長さ65.8メートル |
食事後は、ミャンマー語で何でも売っていることを表す「1から10のものが売っている」(←チョウさん談)アウサンマーケットに行き、お土産や自分の生まれた曜日を表す龍のアクセサリーを購入したのだけど、この時、まだ飛行機のチェックイン開始まで2時間以上も残っていました。いつもは時間が足りなくなるらしいチョウさんですが、今回は私一人だったこともあり、とっても時間が余ってしまいました。
雨雲の色が恐ろしいほどでしょ? 右側にスーレーパゴダが見えますね。 |
雨脚も強く、特段行くような場所もないため「じゃあ、トイレに連れて行ってください」とお願いすると、日系企業が多数入る近代的なサクラビルに連れて行ってくれました。しかも、「時間があるから」と最上階の喫茶店でお茶までご馳走してくれました。この旅のお礼をしたく、「私が誘ったのだから私が支払う」といって、がんとして受け入れてくれなかったチョウさんでした。
その後、空港に着いたときまだ4時半。VIPが到着する時間帯のようで、軍人による厳戒態勢での警備がなされており、ちょっぴりびびった私でした(^_^;)。
空港入り口でドライバーさんにお礼と別れをつげ、チョウさんにも「先に戻っても良いですよ!」と何度も言ったのですが、「チェックインが無事に完了するまで残ります」と言ってくれたチョウさん。「これも私の仕事ですから」と。
1時間旅の思い出を含めいろいろと話をした後、とうとうミャンマーとの別れ、そしてチョウさんとのお別れの時間でになってしまいました。前夜必死に覚えた、「私はミャンマーが大好きです」というミャンマー語でお礼を述べたら、チョウさんが嬉しそうな笑顔になってくれました。少しばかりのお礼をしようとしたのですが、やはり受け取ってくれなかったチョウさん。「このお金は次回ミャンマーに来たときに使ってください」と言われてしまうと、「はい、必ずまた来ます!」としか言えませんでした。これがチョウさんへの最後の言葉に。
なお、ヤンゴンの国際空港はチェックインカウンターも制限エリア内にあります。また、空港内にお店が一切なく、制限エリア内ではすることが何もありません。しかもTG便の機内のようにとっても寒いんです。そのため、1時間の待ち時間の間に3回もトイレに行ってしまいました(笑)
RGN−BKKの機内食。CTS−HNDと同じくらいの 飛行時間でもこれだけ立派な食事が出ます。 |
搭乗率が7割ほどのバンコク行きに乗ること約1時間。空港施設も近代的で、上空から見ても明らかに都会であるバンコクの街に到着すると、「ああ、旅も終わったんだね〜」というなんとも言えない不思議な気持ちになってしまいました。
だけど、その後が大変。ミャンマーからの到着便を降りてから、トイレ経由でトランスファーカウンターまで歩くこと1キロ。そして、さらにまた同じくらいの距離を歩いてやっとたどり着いた日本行きの搭乗ゲート。世間での評判どおり、免税店や土産物屋がたくさんあるけど、ベンチやトイレ、ゲートへの案内表示が非常に少ない最新のものとは思えない空港でした←デザインはお洒落なんだけどね・・・。
ゲート手前の手荷物検査で並んでいると、SQのどこかへ行く便の最終案内が流れました。すると、私よりかなり前に並んでいた60歳代と40歳代の日本人の母娘の母親が「すみません。今なんと言ったのですが?」と近くにいる係員に次から次に質問しています。もちろん日本語で。私の場所から遠ざかる一方なので声のかけようもなかったけど、TG便のゲート前ですし、みな焦ることもなく並んでいます。なのにSQ便のコールがやけに気になる様子。
せめて片言でもいいから英語で聞くとか、もう少し状況を判断したほうが良いのでは?と思ってしまいました。「お前は英語を話せるからそう思うんだ!」そう思う人もいるかもしれません。ですが、海外では全て自己責任で解決するのが最低限のマナーだと思うんです。英会話が無理なら小型の会話ブックを携帯するとか。あの親子を見ていると、昨年訪れたイギリスの高級デパート「ハロッズ」で、買い物後にクレジットカードにサインしてから「やっぱり買うのをやめる!」と言い出してお店を混乱させていた日本人親子を思い出してしまいました。日本人として恥ずかしいだけではなく、緊急の場合どうするつもりなのだろう?そう心配になってしまいました。